続くビッグニュース
コラム『あまのじゃく』1963/11/26 発行
文化新聞 No. 4628
ひと昔前の暗黒時代が現実に…
主幹 吉 田 金 八
ケネディ大統領を狙撃した犯人がまた一人の暴漢のために留置所から別のところに移送する際、銃撃されて死んでしまった、という事件が25日朝報ぜられた。
とっさに考えられることは、最初の犯人が右翼か、左翼か知らないが、政治的意図のためにケネディを倒すことを頼まれた殺し屋であって、これが捕まって背後関係が割れることを恐れて、別の殺し屋を使ってこの男を消したのではないかと、よくアメリカのギャング映画に出る手口を想像したが、報道によればそうした複雑なカラクリではなさそうで、 ケネディの死を悼んで、夫人の悲惨に同情した町の小父さんの単純な義憤から出た一種の私刑的なものであるらしい。
これも西部劇などによく出る例で、町の憎しみを買った犯人を住民が地方検事の手に渡して裁判にかける前に、警察から引きずり出してリンチする場面もよくあるが、これに類するもののように伺える。
西部劇とかシカゴのギャングものは一時代前のもので、日本の国定忠次や大前田の英五郎が活躍したチャンバラ時代のものかと思ってテレビを見ていたが、現在のアメリカにもこれに近い社会が現実に残っているということである。
この事件に関連して、アメリカの暗い反面がいろんな角度から露呈されるのではないかと思われるが、日本の似たような欠点と睨み合わせて反省のよすがとなすべきである。
それにしても、死人に口なしでケネディ暗殺の死因が闇から闇に葬られる恐れがあることは残念である。
セルビアの一青年が放った一発の銃弾が元で、第一次のヨーロッパ大戦が起こったとよく演説文句には聞いたが、キューバの核兵器基地問題でケネディがとった『米・ソ核戦争辞せず』の決意が、返って核戦争による世界の危機を 回避した結果になり、ケネディの柔剛の政治力は近世政治史上で高く評価されている折も折、背後は何者か判らない一青年の銃弾でその大政治家は葬られ、全世界は不気味な沈黙のしじまの中にあるのが現状。
その問題犯人が、心ない熱血漢の報復的リンチによって続いて葬られた。何だか恐ろしい世の中になった感じである。偉くならなくても良い、世界の覇権を握らなくてもよい。もっと静かに平和が楽しめる地位に住みたいものである。
アメリカの出来事であるが、いずれは日本にも関連が生じて来る。他人事で呑気にしていられない気がする。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】