紙大尽、設備大尽
コラム『あまのじゃく』1963/11/28 発行
文化新聞 No. 4630
少数精鋭で効率的な会社運営
主幹 吉 田 金 八
埼玉銀行に勤めている人に聞いたが、同行では今年500人の新しい行員を採用する方針で、しかも昔のように「銀行員が高校新卒者の一番の人気があった時代と違う、座っていて志望者の中から選抜する時代を過ぎて、各支店に一般募集用の大きなビラが届けられて、掲示してPRする」のだという。
女子行員が多くなって、しかもそれが結婚のため300人も新陳代謝するのだともいう。 男女によらず羨望的だった銀行が、求人に苦しむ時代になったのだから、いわゆる中小企業の求人難は深刻で、よく行く先々で人がなくて困ったという言葉を聞かされる。
私のところは2年ほど前から読者がご存知のような事態があって、従業員も減るに任せて意欲的に補充をせずに賄っているので、企業の割に人がいない。
しかし、家族がほとんど新聞製作、印刷などの仕事に専念するようになり、しかもなかなか意欲的にやってくれるから、僅かの従業員だが、これと混然一体で新聞の発行にも別会社の印刷の仕事も何とか穴を開けずに回っている。
「来たる者は拒まず、さる者は追わず」式の雇用方法が私のこの20年を一貫した従業員の採用方針だったが、最近はこの方式も多少の修正が加えられて、「使って貰いたい」と来た者でも、おいそれとは使う気になれず、決定を渋るようなとこから従業員が増える訳がない。
せがれ達は「これだけの設備があり、技術的にも東京の一流に遜色のない水準になったのだから、もっと人を増やして大きくやってみたい」と親父の尻を叩くのだが、私にはまだそんな気にはなれない。
「まあ、お前たちの責任と能力で人がうんと使えるようになったらやれ」と社長の責任を回避するような逃げ口上でせがれ達の要望にお茶を濁しているのが現状である。
しかし、少人数でうんと仕事のできる方式の採用と設備の改善には熱心のつもりで、その方面の投資にはできる限りの努力をしている。
幸いに企業の割に借金がないのが取り柄で、借金の利息に追われて無理な仕事をする必要もなく、「まあ持って来て下さる仕事をこの人員で出来る範囲でこなせば」という事で、どうやら紙屋もまとまった安い売り物があれば「買っておいて下さい」とばかりドシドシ持ち込んでくる。この間も某製紙会社の倉庫の整理品とかいう自動車3台もの紙が、一銭もお金を払わないのに持ち込まれ、倉庫が一杯になる始末で、これで半年くらい紙の仕入れは控えないと身動きがつかないのではないかという嬉しい悲鳴である。
私のところは何事も自給自足できる設備があるから、紙とインキだけ補給できれば仕事には差し支えない。その紙が紙問屋を負かす位倉庫に入ったのだから、新聞社、印刷屋としてはこんな気強いことはないのだが、それでも女房は「銀行の帳尻はいつも空っぽ、まとまった金は持ったためしがない」ことを「なんだか安心出来ない」とこぼしている。
現金と預金通帳だけが「いざという場合の頼り」と思う女房と「信用と設備と技術があれば仕事をしさえすれば、金は無限に湧いてくる」という私との、体験による自信と処世信条の相違である。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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