スクショを撮りたい決定的瞬間に落ちる
Windowsユーザーであれば、デスクトップの画像を残したい時に、キーボードの [PrintScreen] ボタンを利用する。
関心ある画面だけトリミングしたい時は [Alt] + [PrintScreen] を使ったり、クリップボード保存ではなくファイル保存まで一気通貫でやりたい時は [Win] + [PrintScreen] を使ったり、いくつかのバリエーションはある。
覚えて使い分けると言うよりは、自分に合ったスクショ方法を1つか2つ覚えておけば事足りる。本題は、そうやって覚えたスクショも、キーボードが変われば致命的な操作ミスに繋がるということ。
キーボード配列に慣れれば一生モノ
パソコンごとにキーボード配列が違ったら覚えるのが大変だけど、だいたい巷に出回っているのはQWERTY配列で統一されている。
名前の由来は、左手小指側の上段を順番に押すと「QWERTY」になるというもの。本で字面を目にすることはあっても、「クアーティ」「クウェルティ」と聞いてもピンと来ない。
諸説あるけれど、もともとタイプライターが故障しにくいよう速度を遅くする配列だった。つまり、わざと使いにくくする側面もあるのが、電子接点になった今でも普及している。それくらいUI界の慣れは強い力を発揮する。
最近は、スマホでビックリするほど早く入力する若者もいる。そうだとしても、デスクワークではキーボードに向かう時間の方が長いし、いったん習得すれば一生モノなので、キーボード入力を身に付けて損はないだろう。
キーボードごとにPrintScreenが違う問題
キーボードが変わっても、「QWERTY」の英数字は互換されている。でも、周辺にある矢印、テンキー、ファンクションキーあたりになると、ボタンの数によって有無の違いもあれば、 [Function] キーとの同時押しに割り当てられることもある。
その作法がメーカーによって違うため、事故が起きるというのが本題である。
普段、私用で使っているPCのキーボードでは [PrintScreen] ボタンが [Function] + [Insert] に割り当てられている。Insert操作の機会が少ないので、私の中で、スクショしたい時は [Function] + [PrintScreen] くらいに認識している。
一方、お仕事で使っているノートPCのキーボードでは [PrintScreen] ボタンが確保されていて、[Function]を押す必要が無い。もし、 [Function] + [PrintScreen] を同時押ししようものなら、割当てられた「機内モード」を意図せず発動させてしまう。
お仕事PCで電話会議していて、重要な情報が表示されている状況を想像してほしい。メモとるよりスクショのほうが早いので、私用PCの慣れで [Function] + [PrintScreen] を押す。すると、自分のインターネットが切断されて、重要なシーンを聞き逃してしまう。
「キーボードの右上」と覚えていて感覚で押すと、別のデスクトップPCでは [Power] に割当されていて、電話会議中にシャットダウンしてしまうこともあった。
コンピュータは、むずかしすぎて使えない!
上のようなエピソードに対して、「注意深く操作しないお前が悪い!」と思うだろうか。これに対して、「いや、設計がイケてないせいだ!」という立場をとるのが、本節のタイトルにもなっている本である。
Visual Basicの父として知られる凄腕エンジニア、アランクーパー先生をもってしても、「コンピューターは、むずかしすぎて使えない!」のだから、私のような凡人が操作ミスするのは必至である。
英語の原題「The Inmates Are Running the Asylum」を直訳すると、「精神病患者が営む精神病棟」になる。難しいコンピューターを使いこなして悦に入るエンジニアが、使いにくいソフトウェアを再生産することを痛烈に皮肉っている。
乱暴に要約すると「使い手のことを思って設計しようぜ」という内容で、マーケティングやUXデザインで普及している「ペルソナ」の概念も、この本が元祖である。
機械中心から人間中心、その先へ
前の節では、操作ミスしないように使う人が気を付けるべきだという「機械中心」のパラダイムと、ミスするような設計を見直すべきだという「人間中心」のパラダイムがあることを対比させた。
私のスクショ問題が人間中心のパラダイムで解決されるべきかは知らんけど、声を上げることで同じ罠に嵌った人が見つかったり、世の中よくなるキッカケになったりしたらいいなと思う。
一方で、より使いやすく簡単便利にすることも度が過ぎれば、人間の退化に繋がり、本当に幸せに繋がっているのか疑問である。自動で流れる便座のおうちで育った子供が、お友達の家で流し忘れる話を聞くと、業が深い。
召使いのように機械が不便を取り除くことだけが人間中心でよいのか。真の人間中心は、オカンのように「お前のことを思って言うてるんやで」といっては、後々になって「俺を育ててくれてありがとう」と思える存在かもしれないと妄想している。