固定観念外しが進行中。子どもの志望校選びについても考え方が揺れていること
自分の内側が、変化しています。
昨年末から、自分を表に出すという
ことを始めました。
今までぎゅっと閉じ込めていた
自分をこの場をお借りして
解放するのです。
思ったより、何も悪い事とか、
嵐は起きませんでした。
むしろリアクションをいただいたり、
スキをいただいたり、
いい事ばかりでした。
目下私に降りてきた考え方が
あります。
小学校高学年の息子の
中学受験です。
現在は私立小学校に通わせています。
韓国から帰国してきて、
遠隔で学校を探していたのです。
それは5年以上前の、
昔の他人軸の時代の私が、
精一杯悩んで、
まず帰国してきて住む地域が
不安だったし、
浮いたらどうしようとか
そんなところの公立小学校に
通わせるのがまずNGでした。
大体、自分(やばい、親が主人公になってる)
の傍に小学校があるというのは
面倒なことが多いです。
面倒な経験がたくさんあったのです。
韓国でも。
わざわざ日本人の幼稚園にいれた
韓国人の母親が、
自分の韓国語能力を鼻にかけて、
「私と仲良くなれば、
韓国の生活は保障してやるわ」的なね。
彼女の周りには韓国語自信ありませんのような
日本人母が取り囲み、どこへ行くでも
金魚の〇状態。
やれ市場、やれカフェ、やれランチと
そよそよ5,6名の集団で
移動するのよ。
面倒ったらありゃしない。
そういうの一切嫌だったから、
こどもを公園遊びから外されたり
嫌がらせもあったからね。
私は自力派で、自分で韓国語ネイティブ能力を
身に着けて、一人でテニスやら
国際交流やら、
買い物やら、キッズカフェやら、
キッザニヤやら(All韓国語のHPから
予約して、チケットを入手!こどもに
韓国のキッザニヤ体験をさせてあげましたね。)
面倒な保護者との関りを
恐れていたんですね。
昔の私は。
今は段々、ちょっとずつ
大丈夫かな、地域と繋がってみようかなと
思い始めていますがね・・・
大体、マウント系保護者とかね。
私と仲良くなっておけば、
だれだれを仲良くさせてあげるわよ。
とかね。
学校以外でも親しく遊んでいるアピールとかね。
この前週末遊んだよね、とか
それでそうでない私は
うらやましくてうらやましくて。
無理につながってみようと思ったり。
でもはじかれたりとかね。
だったらいいや。
受験させよう。ってね。
それから、
他人より詳しい噂好きママ友の存在ね。
だれだれ先生はここのスーパーでよく会うよ!
こんどのお遊戯会はこういう演目をやるらしいよ。
と誰よりも早く学校や園の情報を入手し、
それを広めることで
自然とヒエラルキーの上に立つのような
昔のボスママね。
今となってはバス通学の人もいたりして
そういう人にも公平に情報が
伝わるように工夫されているんだから、
よほどトラブルが多いんでしょうね。
園のほうからも、「路上では
立ち話はお控え下さい」
とか案内されているし、
過去には親同士の
トラブルがもっと多かったと
思われます。
誰もが、公平に。
必要な持ち物とか、
親が準備することとかは
PDF配信とかアプリ配信で
ちゃんともらえるから。
昔は割と不透明なところがあってね。
わからないことを親同士で
確認したり教えてもらえるからと
必要以上にママ友を必要だと思ったり、
つながらなきゃ、でも私コミュ障だし、
とかいう悩みがよくネットでも
見られますよね。
自分がコミュ障と自覚されているのに、
こどものために、
つながらなきゃとか、
私は誰とも仲良くなれない、だから
こどもに申し訳ないとか。
それを不特定多数の人に
投げかけて、答えをもらおうと
必死になる。
(身近な人には相談デキづらいしね)
一切必要ないと思いますね。
私はコミュ障です!(どーん!)
だから、こどももこういう親なんだから
自分の友達は自分で見つけて、どんどん
自分の世界を広げていきなさい!
それでオッケーだと思うんですよね。
究極、自分のこどものために、
自分自身を変える必要なんて
一切ないのよ。
あとは、先日のこどもの発表会で
私が体験したような。
ああそうだった、公立を避けた理由。
近所のめんどくさい知り合いってこういうことか。
と思ったことね。
住んでいる場所で
なわばり意識のような幼稚な親ね。
「うちは、パークハウスです。
あなたどこどこマンションですよね」
といった類の。
そういうことが今も昔も不要だと思っているし。
私はだれだれのただの保護者です。
だから何か?
それ以外なにもありません。
係やボランティアはやりますよ。
先生とも積極的に感謝を
つたえたり交流しますよ。
でも、今の私は機嫌のよい一匹狼
なんだと思います。
心地よく挨拶する関係性。
そこまででオッケー。
深く知る必要も、
深くつながる必要も、TPOで!
さてさておしゃべりがそれちゃったけど
それで、今通っている学校が、
確かに私立小学校だから。
自分の子どもが大切です。
自分の子どもが誰と仲良く、誰と付き合うかが
大切です。
という自分の子ども大好きな人たちの集団だ
という自覚がもともとあったわけ。
学校の近くに住んでいる人も多いし、
幼稚園も付属だから、幼稚園から一緒の子も
いる。
うちは、公共交通機関を
使って、学校から離れた場所から
通わせているから低学年のうちは
(私が、こどもの友達を作らなきゃとか、
私が家に呼ばなきゃとか、
頑張らない親だったこともあり)遊ぶ相手がいなかった。
高学年になると、早下校のひに
子ども同士で約束をして、
バスで遊びにいったり、
自転車で遊びに行ったりし始めた。
その様子に私は目を細めながら、
「ああ、こども自身が自分で居場所を
作っているな」って。
近所の上級生の家(同じ私立小学校に通わせている子が
近所に何人かいる環境)に
遊びに行かせてもらったり。
もともと焦っていた訳でもなく、
プールは、近所のスポーツセンターで
顔見知りもできるわ、
ピアノもグループレッスンで
それこそ近所の公立の子達と一緒にレッスン、
交流も生まれるわ、
ゼロじゃないのね。
ちゃんと色々広げてきていた訳。
でも、ちゃんと流れに沿って
生きていればこどもが
自然と自分の友達や、
自分の場所を作っていく。
家に呼ばなきゃ、
親同士も仲良くしなきゃという
のも全部固定観念。
こうして6年間、
密に同じカラーの小学校に通わせてみて、
やっぱり保護者の中には
保守的ながっつりこどもを守っている
守り派の方が多いなと。
段々自分の価値観が変わってきて、
今まではその保護者達と同じように
自分のこどもを守りたかった。
いじめや、
変な仲間外れから守りたかった。
韓国から帰ってきたからね。
でも、今は違う。
人と人の中で交わり、
色々な価値観の中に身を置く
こどもの時代って、とても
大事。
それが、いい経験だったり多少
イタイ経験だったりしても、
こどもの時代だからお互い
許されたりする。
だから、親がそれを奪ったりしては
いけないよね。って。
ちなみに、うちの小学校でまだ
印象的に残っている、
小3時保護者のクラス会での
挨拶があります。
女の子のお母さまでした。
「何々の母です。
娘は、インラインスケートにはまっています。
うちの娘は、
周りの方にご迷惑をかけることは
ないと思いますが、
どうぞよろしくお願いします」
気づきました?
めちゃくちゃ強烈な違和感でした。
一方うちの息子はこの時期
学校でもがいていました。
学校ではトラブルだらけ。
クラスの誰かが、
映画にいこうと声をかけて、
その集団が、7人8人となり。
うちの息子に対して
「お前はうるさいから。だめ」
という言葉をかけられ、
映画メンバーから省かれたのです。
さすがに心配になり、
学校に電話を入れました。
「お前はだめ」
といった子は海外のご両親との
ハーフの子N君と他数人
で罪の意識もなく発言したと
後で誤解も解けましたが、
私は傷がついたし、
昔の、「人一倍他人の顔色を見て、
他人のために、一生懸命気をつかってきた」
私からしたら、許せない感じだった。
また、自分の息子に対しても信じられなくなっていた。
トラブルばかり。本当にしょっちゅうしょっちゅう
学校から電話がかかってくるし。
私に迷惑ばかりかけるの?この子は?
なーんて被害妄想的に思っていましたね。
それが、
「うちの子は、他人に迷惑をかける
ことはまずないかと思いますが、1年間よろしくお願いします」
って。何それって。
なんでそんなに自信もっちゃってるの?って。
でも、その考え方が今では異様だなと思っていて。
迷惑をかけるかけないは関係なくないかな?
迷惑をかけて、迷惑をかけられて
それできちんと誤解を解いて、
また交わっていく。
それがこども時代に大切な経験
なんじゃないかなって。
一回の失敗で、「お前は最悪な奴だ。
親の顔が見てみたい」とか心の中で
思ってしまっていましたが、今、どうなったと思いますか?
数年を経て、今は割と仲良いそうです。
N君と。
だから、私がもし介入して
「もうN君とは近づくな、離れろ」
とか言ってこどもの人間関係に干渉して
しまっていたら、
この人間関係のリカバリーは
なかったのです。
私の親が過干渉で、過干渉な親に苦しんだ
私だったからこそ、
ここはこどもの人間関係を分断させることなく、
自分の中でモヤモヤノートに毒を吐くのみに
とどまり、
相手の親や、相手の子どもに謝らせたり
そういう大事にせず、
子どもにも、「お前が悪いんだ」(過去の私の親の私宛の暴言)
など、子ども自身に問題があるような責め方も
しないで済んだのかなと思っている。
だから、その年は少なくとも周りに
味方(話を聞いて味方してくれるママ友)
がいない気がして苦しかったけど、
私の問題ごとにしないで、手放し、
こどもに任せた結果、
その2年後、こうしてお互い分かり合い、
素晴らしい、認めあえる関係を
築けている。
だから、もうその心配は手放して
大丈夫。
さて、次の3年間。
中学校進学をどうするか。
選択肢は、今の学校では
①中学受験をして、系列の中学校に行く。
②中学受験をして、他の中高一貫校や、国立、私立を目指す。
③中学受験はせず、近所の学校に行く。
ほとんどの人が、①が楽だなと思う。
試験は難しくないし、①には兄弟がいて、
そちらに進む同級生が結構多い。
でも、我が家は敢えて①をやめようかなと
思っているのです。
やっぱりこういうトラブルが多い低学年
時代を経て、めげずに
こどもが、自分で人間関係を
縫いなおし、継ぎなおしできている
姿を見て、さらに広い海に出て
いいんじゃないかと思えたから。
おそらく①を選んだら
人間関係がほとんど変わらない。
慣れた環境の中で、
トラブルやかかわりを極力さけて
「うちのこは、全く迷惑をかけません」
等と仰るご家庭の子(お医者様とか、そういう方が
現在進行形でいらっしゃいます。)
うちの子に限って。とかね。
あともう母親同士が、めちゃくちゃ
仲良くなってしまって、なんとなく
人間関係を作ってね。
何をするにも、どこにいくにも、
「だれだれ君とだれだれ君は仲がいい」とかね。
高学年になっても、お母さまが前面に
存在感を発揮されている同級生もいます。
授業参観とか、仲良しアピールがうるさくて、
クラス内でシーンとしているのに、
手を振りあったりとかね。
廊下でキャピキャピ盛り上がったりとかね。
どうか外でお好きにどうぞ。
どこの幼稚園かと思ったりすることも
あるのですが。
そういう方々ももれなく、
同級生になりまぁす。
それでね、やっぱり①は違うかなと
思ったりするわけでそれは
こどももパパも同意している。
私はまた
固定観念とか、社会的な情報(本、雑誌、
特集、ネットの記事)の罠から
学校選びについてね。
迷路に迷い込んでいます。
小3から、うっすら中学受験というのは
考えていたので、
小学校3年生からZ会の中学受験コースを
申し込んでいました。
こどもの抵抗がすごかったのですが、
鬼の剣幕でやらせていました。
(懺悔)本当に、私のせいで
こどもが勉強嫌いになったと思います。
・中学受験コースと、ワークブック的な
毎日練習ブック。
年間の私の絶叫ワードベスト3以内に入る
「毎日練習ブックは?やったの?」
です。
こうさせなきゃ。
こどもの未来の幸せが信じられなかった。
こういう学校に行かせなきゃ。
勉強が大変で負担なんだから、
早いうちから慣れさせてあげなきゃって。
そういうメッキのようなものが、
ここ最近の自分の価値観の変容から、
ものすごく、
罠だなって気づき始めてしまった。
もう今全然言えない。
「勉強しなさい」とか
「毎日練習ブックは。やったの?」
とかね。言えないし、言わなくなりました。
言わなくなると、不思議なことに
こどもが、こもってガリ勉し始めました。
ありゃ不思議。
それより、「早いうちに自分の好きなことを
見つけてほしい」
その好きなことができる場所を志望校として
選ぶんだから。
公立中高一貫校も、高い教育が
あまり負担のない学費を払って
受けられて理想だった。
これを目指すために、
4教科の中学受験コースと、論文のコースも
取っている。
しかし、適性試験もなぞ。
あんなに難しいテスト。
しかも適性がIからⅢまで。
対策して、
うちのこどもに待っている
のはなんだろう?
選別に残るためのテストを受けさせられるために
低学年から塾に通っている子、
塾だからって好きな野球やピアノを
やめてしまう子もいた。
むしろそっちを続けることが
大事なんじゃない?
塾でいっぱいいっぱい勉強する
道に進ませるなんて。
これこそが、間違っているんじゃない。
どうしよう。最近すごいぶれてしまった。
今まで3年生から時間をかけて
目指していた中学受験の
いわゆる偏差値の表にでてくるような
学校ばかり見ていたのね。
それも、情報源、
私自身が参照する情報源が
そういうときに限って
「教育雑誌」
やら「中学受験経験しました。開成中合格体験記」
のようなものから引っ張ってきて
影響されてしまっているんです。
あと、固定観念だなと思うのは、
学校の説明会に行くと、
「塾はどこですか?」ってね。
筑波大付属中もそうだった。
学芸大附属大泉中もそうだった。
塾はどこですか?ってアンケートに書く
欄があるのね。
なんで?Z会はだめなの?塾に行くのが
前提なの?
書けないことが気持ち悪い。
塾に行っていないうちの息子がダメな人みたいに
思わされてしまう。
こういう学校は
違うんじゃないかなって。
どうしよう、Z会の第一志望校で
公立中高一貫校に第一志望いれているんだけど。
実は、この週末私は、
とある私立の学校説明会に
息子を連れていってきました。
私の強引な感じで、
目が死んだような、ゲーム漬けで、
勉強が嫌いになってしまった息子に
ブーブー文句を言われながら。
もう申し込んだから行くよってね!
直観的に申し込んで、
直前までキャンセルしようかと思っちゃったり、
でもせっかくなんだから、と思って
家族で出かけた。
呼ばれた!と思った感じだった。
そこは、今までの価値観とは
まったく非対称の学校だった。
校舎が古い。
自然。
次のグラウンド。
現地点で志望校で見ているのは
外側の、
きれいな校舎
新しい、
アスファルトのグラウンドの広さ、
部活の活性化度などで選んでいた。
筑波もいったけど、
校舎が古かったことから、
「ここは古いな」ってこどもが
切り捨てていた。
そういえば、筑波の説明会では、
満席だったけど、説明会中に
任天堂スイッチをしている
お子さんが散見されて驚いた!
そして、最初に学園長さんの
挨拶があった。
この学園長さんの挨拶に
私の魂が震えて共鳴した!!!!!
こんな事があるなんて。
多分呼ばれてここに来たような
気がした。
この先生の挨拶は
すごかった。
・雑誌の方には偏差値表にのせないように頼んでいます。
・世の中の不登校、こどもの自殺者に触れて、
押し付けの指導が存在しない学校であること。
こどもがやりたいことをやる学校であること。
勉強を一番重視していない。だから、
説明会ではよく恒例の「東大に何名、早稲田、慶應に何名」
といった説明は、パンフレットで確認してもらって、
この説明会では他の説明をします。
とかね。
それから、不登校ということは
不登校でも、学ぶ機会さえあればいいじゃん
という風潮的な、本当に見ているようで
見ていない訳だけど、
学校以外の場所を増やせばいい、
そういう事でもなくて。
学校という学びの場所にでていけない
こどもたちが多く存在しているんだという
事実に目を向けるといったフレーズにも
私も「そうだ。そうだ」って思ったし。
また、説明会では上映中の映画『みんなの学校』
の中のエピソードを例に出されました。
ほとんどの会場にいた参加者が
未視聴の状態でした。
そこに映し出された
みんなのこうあるべき姿に、
一人の女の子が自分の意志ではなく、
教師の暗黙のプレッシャーを受けて、
上手くいかない楽器の練習を
泣かされながら促されて
「お前たちは努力ができる人間だ」
などと鼓舞されて
演奏本番を迎える日までの
事が描かれていました。
一部しか見ていませんが、
ああ、先生が言いたいことは
こういうことかと意図が伝わりました。
もう段々、こういう
こどもの意志やペースを無視して、
周りと同じように行動を強制するってね。
もう変わるね。
通用しなくなるの。
私は昭和だから。
そういうの一通り経験してきて、
あの頃あったよねって
みんな、そういう少なからず
卑屈な経験とか、劣等感を
植えつけられるような経験
してきてるから。
でも本当にこれからは
時代が変わるなって。
昔はね、
品行方正で先生の言うことを聞く子が「よいこ」
立ち歩いたり落ち着きがない子が「だめなこ」
ってすぐレッテルを貼ったりしたりね。
3年生はルーズソックスがオッケー。
1年生は白いワンポイントもだめだ。
先輩が三つ編みしたら、
お前はポニーテールしてたら
「先輩に目つけられるよ」
とかね。
制服(白線流しみたいなね)の
リボンを先輩は可愛く広げてもよい、
1年生はリボンをギューッとしたに卸して、
可愛くなくしろ。とかね。
変な上下関係とかね。
あったなー。
今振り返ると面白い時代でもあったな♪
だから、本に偏差値で入れそうな学校に
入学するとかは変だな
と思ったりし始めてしまいました。
あとね、コミュニティサイトの
口コミとかみてね、
口コミ上位何位とかの評判の良い
学校から選ぼうとしたりね。
これも変だな。
やっぱり実際に足を運んで
空気感を感じるのが一番と思うから、
去年あたりから、息子と数校
学校の説明会には連れていく機会を
作ってきた。
その時に、
「話はまじめに聞かなくていいけれど、
体感的なところ。雰囲気とか、
その場にいるボランティアの生徒さんの
雰囲気とか、直観的に感じてほしい」
それだけは息子にお願いして。
それだけは、実際に通うことによる
息子が味わうことだから。
そして、今回も
事前のあのマイナス発言とか
めちゃくちゃ最悪だったけど、
やっぱり雰囲気とか場の気的なものを
体感したくて、
喧嘩寸前の超不機嫌な息子と一緒に
説明会会場へ向かった。
息子からしたら、
去年の間に、グランド広くて、
野球もできて、憧れの
学校を決めたからもうこれ以上見なくていいのに
と思ったいたかもしれず、
何でこう説明会ばっかり連れていかれるのかってね。
不満に思ったかもしれません。
それで、期待半分
失望半分、
こんなにたるそうな息子を横にして
こなければよかったかなと
後悔もしたりして、
学校説明会が始まってしょっぱなの
言葉の校長先生の
お話。
○○のような、こどもを増やす教育を
本校はしています!と
そういう内容の一節を聞いた時、
イキイキしたこどもを増やすだったかな?
もっと違かったな。
自分の身体にビビビって電気が走ったのです。
すごいすごい!ぞわってきた。
私が最近中学受験に向かっていく段階で
なんかモヤモヤしていること。
それが、ここにいた!ここにいらっしゃった。
未来の教育を難じて、
未来の教育を変えていこうとしている
学校のトップの方が。
ここに。こんな通える通学距離圏内に
いらっしゃった。そういう感覚だった。
まったく初対面の
校長先生が、まるでソウルメイトのように。
この未来のこどもたちに対して、
同じ使命感を持って、
この場に存在していると
思えたように。
ふわーんと説明会会場が、
教会の礼拝堂みたいな場所だったんだけど、
太陽光が天井の窓からぱぁーっと差し込んで
非常に温かい場になった。
すごい体験だった。
私がびりびり痺れている横で、
こどもは、退屈そうに
貧乏ゆすりをしてあくびをしていた。
アハハ。
親の心子知らずという
言葉がぱっと思い浮かんだ。
この学校に行かせたくなっちゃったんだけど、
給食は自分で作るし、学校のメンテナンスも自分たちで
するし、進学のための勉強はないみたいだし、
それも、主人や子供も「え?」
って思うだろうし。
しかも、実際の試験は2教科で、
しかも事前1200文の作文と
面接もあって
一風変わった募集要項だけど。
普通の
4教科、国、算、配分は100点
理、社は配分50点
とは違うけど。
また、公立だったら適性だけど。
そういうのなくなるけど。
価値観が変容して、
「偏差値」「きれい」「英語」「進学校」
から、
こどもが
好きなことに打ち込めるのか?
勉強より、生きる力?
食育?環境?地球?
みたいに、めっちゃ地球みたいな
発想になってしまった。
母の私が。
2月にこどもの意志で
年末に家族会議して、
Z会のコースどうする?って。
勉強が苦手で、苦しくて苦しくて。
毎月月例テストを提出するのが
死ぬほど嫌で。天井をあおぎながら
まるで拷問を受けているかのような
泣き顔で全力抵抗してきて。
あの顔を私たち保護者は
忘れられなかったのだ(笑)
うちの息子は本当はやらされるお勉強が
嫌いなんじゃないかって。
それを入ってからも生徒同士
競わせて勉強させるような
環境にいれちゃったら、
(難関大学進学実績率をあげたいような学校とかね。)
めちゃくちゃ苦しくなるじゃん。
毎月毎月号泣する日々に、
カリキュラムからは
外れてしまうけれども一年間
中学受験コースを離れる選択をした。
そして、年末にコース変更の
はがきが来て息子のほうから、
「今度こそ」
「やっぱり成績が伸びたのは中学受験コースだった」
と言ってきて再会した
中学受験コースのZ会教材しかも、4教科。
と毎日練習ブックが届くんだけど・・・
どうしたものか笑