自分を偽ることのはじまりは小さな頃

おはようございます。
新しい変容した私になるために、
今一生懸命自分がいつから自分で生きられないできたのかなって
振り返っています。

私の小さな声。
今ようやくかすかに聞こえるようになっただけ。

今、「自分を取り戻した」
と表現しているけれど、
まだまだ向き合い切れていないのです。

私の取り戻した部分は、
心から好きなことを思い出しただけ。

本当の私とは?
私はどうしたかった?
そんな自分の声がもう一回
聞こえるようになるまで、
アウトプットしたいです。

赤ちゃんの頃全肯定されていた私。
両親、祖父母、親戚のおばちゃんおじちゃん。
みんながニコニコして可愛がってくれて
いたように思います。

初めての違和感があります。

こども園の体験の記憶です。

小さな椅子に、集団で座らされるという
体験をしたときに、
内面から沸き起こる違和感。

母親は恥ずかしかったと思います。
必死で抱きかかえて座ることを強制されました。

多分、床にひっくり返って暴れたかな笑。

結果こども園にはいかず、自宅保育でした。
転勤がきまり、
転勤先では無事幼稚園に入園しました。

こども園に体験したこと自体が
3歳から年齢的に早すぎたのかもしれません。

小さなころって、泣くのが当たり前と
周知されていたり、暴れたり、不満を叫んだり
しても、寛容に受け入れられます。

段々成長していくと、
はみ出す子は怪訝な顔で見られたり

自分を抑えるようになりますよね。

何が言いたいのかというと、
小さい頃の私は、不満や我慢ができず
いつでも床にひっくり返って自分で
納得するまでそうできていたということです。

母も、妹の子育てが忙しく
まだ私への干渉的な介入は
なかったです。

小学校では、社宅に住んでいました。
社宅には父同士が同じ会社という
友達もたくさんいて、男の子と遊ぶような、
気が強く活発な子でした。
母は、1階という場所柄自宅を開放し、
狭いけれど、人が集まり、
誕生日パーティなどを開催して
ニギニギと過ごしていました。

勉強は脳内には皆無。

昔は犯罪的なこともなかった時代でもあり、
ランドセルをしょいながら、
「飛び越え禁止」の針金をスカートで
またぎ、2年生にして革製の上質なランドセルの表面が
傷だらけに。

ランドセルを置くと、とりあえず
外に出て行って、誰かしら
いる同じ社宅の友達とかけっこ、
一輪車、道路に繰り出していってほかの
マンションの駐車場で遊んだり、
社宅の貯水タンクから飛び降りごっこをして、
より高く、より強く、等
男の子と競争をしました。

真似をした1個下の学年の男の子が着地に
失敗をし、顔に大きな傷ができました。

さすがに高いか、とは思ったものの
飛び降り成功。
かかとに響くじーんという痛みは
未だに生きている感覚を思い出させてくれます。

動物園の動物っぽい原始的な子どもでしたね。
これが、一番自然な本来の自分
だったのです。

3年生の時、転勤で引っ越すことになりました。
初めての、転校。

自分を偽ることの始まりです。

社宅で、誰かしら友達がいて
人がきて、にぎにぎという環境から
戸建ての社宅へ。

そして、都会から田舎へ。
人口密度が少ない。
街が寂しい。
ビルや、デパートから、
森、林、田んぼの地へ。

そして、冬はしっかり寒い地へ

必死につなぎとめようと手紙を送ったり
していました。
しかし、それも徐々にとだえていく。

そういう人の別れ、を体験。

学校で転校初日の挨拶で、まず修正させられたこと。

方言です。

関西弁のイントネーションが周りと違うのです。

そのまま貫けばよかったものの、
必死に修正しました。
適応しようと自分を偽る経験です。

使う言葉が違うのですよね。
ほかす→なげる
ねん→べした
宇宙人のような経験がものすごく強烈でした。

小学生時代は、3つの小学校を体験しましたが、
2回目の転勤の時は同じ県内ということもあり、
楽勝でした。

なんなら、「新しい地で新しいキャラの私」
なんて、偽りに慣れていましたね。

文化も違いました。
集団登校になったのです。

自由気ままに登校するスタイルから、
無言で端を歩かされました。

これも、たぶん自分じゃなかったですね。

ガチャガチャ騒ぎながら行きたかった。
それが好きだったと思います。
好きじゃないことを無理やりさせられた。

成績も変わりました。

都会(1,2年)
の時は、勉強なんてしていなかった。

ところが、地域差による偏差値の
全国レベルの下から2番目ぐらいの
地域に引っ越したら、突然
優秀な人になってしまった。

転校生は頭がよくて、優秀

そんなイメージに自分を出せなくなってしまった。
偽りの私がいました。

周りの期待にこたえ続けてしまった。

本当の私は、大地にひっくり返り、
貯水タンクから飛び降り、
勉強なんて頭に皆無!
砂場で泥にまみれて、男の子と
かけまわるぞ!

そういう野性的な一面がありました。

田舎に引っ越してからは、
静かな(方言を適応させるのに、サイレント期間が生じた)
大人しく、背が高く、
頭がよく、新しい、他の子と違う子みたいな
設定になって、自分を出せなくなって
いました。

これは、今振り返って始めて
自覚できる「自分を偽る」体験であり、
その渦中にいた時は適応に必死なわけなので
気づかない。
こんな細かいこと。「あなた、自分を偽らなくていいのよ」
なんて、誰からもフォローもされないです。

だから、こうして振り返ることは
自分を癒し、ねぎらうために
とても大切なんです。

ちくっと胸は痛みますが、
ここから先の未来は
「私、大変だったよね」
「これからは、私が認めてあげるから
大丈夫だよ」
って言ってあげれますから。

母親が急に教育ママになったことも、
もう一つありました。

これは母親に文句を言いたいです。

私はランドセルは放り投げて、
砂場や貯水タンクから飛び降りて
コンクリートで、服を擦って破いて
おりゃーって遊びたかっただけなんです。

ところが、
社宅のママ会で、転勤関係の奥様から
言われたことにスイッチがはいったようです。

「私たち転勤族はね、ある程度学力も
平均かそれ以上を保っておかないと、転勤先で
子どもがいじめられるのよ」
と聞かされたそうです。

2年生の頃から急に教材や
添削問題をさせられたんですよね。
母親が周りに振り回された結果、
私に暗い影を落としました。

勉強の答え合わせの時が特に怖かったんです。

急に鬼みたいになって
難しい勉強をさせられました。

「なんで、答えがこうなるねん!」

頭が働いていないので、自分が自分でない状態で
鉛筆を動かしていました。
だから難しい教材は間違いだらけだし、
自分は頭が悪いと思いこんでいました。

だれだれさんのお姉さんは塾にいって
神戸女学院に行くために、頑張ってるねんて。

自分にとってはへ?ってぐらい。
まったく興味がなかったです。

その、転勤ママさんの「いじめられるわよ」
という未来の呪いが全く通用しないほどの
平均学力の低い地域に引っ越したことで、
必要以上に学力が高くなりすぎてしまって、
中学時代はいじめられました。

母から聞かされたことですが、
レベルの高い優秀な生徒が転入してきて
その教育委員会の偉い人や
校長先生が大変喜んだとか。

各種、作文コンクール、
書いた絵の作品、
書道、
研究発表、
ピアノの伴奏
合唱部のピアノ、
合奏部の応援演奏
次々選ばれて目立っていました。

地方などでよくあることですが、
通常の学校生活で書いたものを
先生が応募に出し、それが
市や県から選ばれる
というものです。

成績はオール5がついていました。

体育とか、本当は苦手だったのに、
このオール5に踊らされて
自分を変えてしまいましたね。

ごめんなさい、私。

5を取るために。
短距離は遅かったくせに、
持久走ならいける、と誰よりも早く
ゴールをするために頑張ったり、
どうしても難しい競技の時は、
態度をよく先生の話を真剣に聞いたりする姿勢で
5をもらいました。

本当の自分じゃなかった。

できないものは、頑張らなくてよかったし
3でもよかったんだよ。

多分校長先生の喜びの表れなのか、
全校集会で成績オール5の
発表がありました。

今の時代とは教育が違いますね。

常連になっていました。

こうなると、完全に昔の貯水タンク事件、
金属針金ワイヤーの柵をスカートで
乗り越えていた本来の私は
どこかに行ってしまい、いい子を演じるようになりました。

ここからが本来の自分らしさではない
うまくいかない人生の原点だったように思います。 

生徒会、クラス委員、
先生との日誌の交換で、
クラスのリーダー的なことをしたり
ありましたね。


上履きを隠されたり、
聞こえる場所で悪口、
体操服を破る、
休み時間は報復を恐れて、誰も話してくれない
周りが敵だらけになる誤解を体験しました。

ポジティブ変換をし、
見返すために、
休み時間「お前ら、暇だな」
と言わんばかりに猛勉強を見せつけました。
ここも、平静を装いいじめっ子たちに
マウントをするために、
偽った自分でしたね。
結果、高校受験偏差値高い
見事に3つ全て合格し、
「ほれ、みたことか」と恰好を付けて
この地域を後にしました。

これは、自慢でもなんでもありません。
適応のために、偽った自分のあり様です。

今思えば、頭がよいキャラでもなかったけれど
いじめに対抗するために、
頭良い自分を演じているわけですから、
多分、その当時勉強したことも
全く自分の頭に入っていませんよ。

偽りの自分なので、
「すごいじゃん!」
「優秀じゃん」
ということでもありません。

本当はボケーっとさぼりたい、
床にバタバタして叫びたい。

おりこうさんなフリをして
本当の自分で生きていませんでした。

地球に生まれて、地球人として生きていくには、
私だけでなく、誰しもが
環境に適応するために、自分を変えたりしませんか?
キャラ設定なんてまさにそうですよね。

本当は根が真面目だけど、
真面目だとおもしろくない、とかいろいろ思われて
「明るく、面白いこと言っちゃう人」
みたいな自分を演じる。
とかね。

本当は内心火が燃えまくっているのに
かっこよい女性に思われたくて
クール姉御みたいな自分を演じるとかね。

逆に、変えない人は
「あの人変だ」「なんだよ」
と責められたり、冷たい視線を向けたり
されがちではないかなと思います。

今の私がもう一度やりたい事。

自分の素を表現したいですね。

床にひっくり返っていやだ―
ばかぁー
あれ食べたーい、
これしたーい、
欲しいー
って言ってみたい笑


























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