会社員時代のダメ評価を受けた後遺症に苦しんだ十数年間-試行錯誤の人生の先に見つけた光
12月1日は、いて座の新月。
私は私の使命を果たすために、
挑戦したいことを生き生きと
取り組みます!
と宣言はした。
希望の未来だけを描いて前だけを
向いていきたいのですが、
私の心の中に、
もう一度掘り下げないといけない
負の体験が残っています。
向き合って手放すために。
今日も始めます。
人間関係トラウマになりつつ、
限界まで他人軸人生を味わい、
家族と子どもとだけという
箱にとどまっていた私。
人と交流するといっても、
愛想笑いで、挨拶だけをして
通り過ぎるような深入りしない
あっさりした関係を心がけていました。
他人だから、心は
開けない。
本当は、定期的にランチ
できるような友人が欲しかったけど、
そう望むことが怖くなっていた。
そうだ、私には家族が、
親がそばにいるんだからって
思い込ませていた。
それなのに、
今年になって
家族関係が殺伐
していた。
まるで、自分が自分に
「行動を変える時だよ」
「自分を取り戻して」
って伝えているように。
自分が大切にしてきた
家族、
夫、
こどもでさえも
私の話に共感を
しなかったり、
噛み合わなかった。
この家族箱に
とどまっていても、
面白くないことばかりだよ
っ、て言われているように。
他人軸で、弱い私、
自分を主張しない私。
空気を読んで合わせる私の時、
今まで自分を守ってくれて
いた夫が、
自分軸を取り戻した私に
対面した時に、不機嫌になった。
夫婦だから、
なんでも分かり合って、
お互いのことを超リスペクトして、
なんて期待しなくてよいのだ。
人はそれぞれが自分軸で
夫でも、妻の話に
めちゃくちゃ共感しなくても
いいのだし、
夫の顔を立てて、前に出ないように
一歩下がって控えめにしている
ことが正解でもない。
私は私の真実でいることが正解なんだよ。
今はそう思えるけれど、
それが明るみになるような体験。
自分が体育すわりをして、
家族と言う箱の中で大人しく
黙っていただけなのに。
その四角い壁が段々自分に
近づいてきて狭い箱のように
なって限界が訪れた。
「うーん、私の話は誰も聞いてもらえない。
こんな退屈な場所から早くでたい」
何か外に出ていく行動が
必要な気がしたのです。
「あなたの世界はもうここにはない」
といったような。
「家族のためにとどまり続けたこの世界は
もうぽっかり誰もいない空っぽの箱だよ」
って。
刺激も、人との交流もない世界から
出なさい!
というようなお達しのようなもの。
そういう表現が正しいように、
狭い人間関係の中
に自分を押し込めていた
私の生活は退屈で、
閉塞感のある日常でした。
何で、箱に居続けたのか。
職場でプライドずたずたにされ、
無視、冷遇、
閑職に追いやられたのちの、
自己都合退職
という新卒正社員時代の
後遺症です。
人間不信がとても長く
暗い影を落としたのです。
16年も私の人生の足を引っ張ったんだから、
当時の会社には、まだ恨む気持ちが
ありますね。
他人が怖い、
人が怖い。
ギリギリの精神状態だったのに、
親の顔や世間体的には
働かなきゃ。
会社員にならなきゃ。
と自分にムチ打って
過ごしてきた他人軸の人生。
夫と結婚してからは、
働かなきゃという思考は収まりましたが、
夫を支えなきゃ。
家族を整えなきゃと、
専業主婦という生き方自体が
自分のやりたいことよりも、
家族がどう思うか、
自分の買いたいものなんて、
願ってはいけないと思ったり
しちゃってね。
バリバリ教師や会社員で
働いていた友人達と
比べて、
専業主婦生活は
社会的には意味がない、
という思考をもっていました。
私の中の間違ったプログラミングが、
「会社員で働く」
というミッションを捨てさせなかったですね。
ここに気づいたことも、覚醒だったのですが。
これは、40歳も過ぎた私に
絶縁の時に父親が浴びせた暴言です。
「お前は、努力をしていない」
「成長をしていない」
と言ってきた。
この意味は就業していないことを
意味するのです。
「働かないと意味がない」
というプログラミング
が設定されていたので、
周期的に働こうとするのです。
酷い退職の後、駐在生活。
帰国後の職探しですったもんだして
就職をあきらめた私でも、
自分を取り戻すための
行動をする瞬間が来ました。
話を聞いてくれない、
わかってくれない家族に
当てつける形で
密かに行動をした訳ですが。
せどり、
アフィリエイト、
ブログ等
ネットビジネスの道を模索しました。
きっかけは、イオンモールの
本屋さんでした。
そう。
家族のために
家族とだけいるようにって
箱にいた私は、
人間関係も、
社会活動もなく
とにかく暇だった。
人を恐れていたから。
確かに人間関係の
ストレスはないけれど、
退屈で退屈でどうしようも
なかった。
日頃から関係が
うまくいっているとは
いえなかった、両親には
絶対明かすことのできない水面下での
活動でした。
ちゃんと何かの形で
社会活動をしようと動いていたのに、
私の親は
「努力していない」
「成長していない」
「働かないお前は価値がない」
なんて言ってくる。
働きたいし、働く活動は
十分したよ。でも縁がなかったんだ。
結婚もして40も過ぎた娘に
生き方をバカにしてくる親
なんて、もう会わなくていい。
大人しく、
ワガママって昔言われたから
欲求を我慢して言わないようにしていたし、
こどもが嫌いな勉強も、
私は嫌いなんて言わないよって
必死に勉強する
姿を見せて、
成績も優秀といわれ、
いい子でいた事は、
全くもって意味がなかったって
ことだ。
何の結果にもなってない!!
この生き方、
もうしなくていいよ。
終わったよって。
メッセージのようなものだ。
絶縁宣言を受け入れる覚悟が
できたもの、今振り返れば
不思議な体験です。
ふっきれた。
何を言ってるの!
あなた達のために、
私は友達も作らず友達と会う時も
イチイチ母親に理由を
説明したりして義理をつくしてきたのに
こんな言われよう?
ここで、
何かがおかしいと、
やっと自分が不憫に思う事を感じた。
わかりやすく掘り下げると、
私のこれまでの人生
何がいけないことだったのか?
正しくあろうと、
相手に配慮して
相手を立てて、
先生や親が喜ぶような
勉強や活動を
一生懸命まじめにやってきて!!
それで一体何がいけなかったのか、
ということですよ。
このままじゃだめなんだと!
ブログも、ネットビジネスも
はい、違います。
努力はできる人間だから、
書く方に力を発揮すれば本気で
うまくいくとおもって
進み始めたわけですが。
自分が培ってきた英語が特技である
という根拠に基づいた特化ブログは
大して読まれることも、アフィリエイトリンクを
クリックされることもなく、
それは脇道にそれていただけです。
ちゃんと自分に向き合っていない。
ちゃんと向き合っていない頃の私が、
ただ、現状から逃げ出したくて
なんとなく
「ネットビジネスとは?」
「こんな稼ぎ方だってあるじゃん」
と急に飛びついたもの。
でも、オンラインスクールとか
コミュニティにも入っていたから、
自分を見失った状態で、
「あんな風に書いてください」
「この通りにリード文、書き始めてください。
なんなら、このテンプレート無料でプレゼントしますよ」
という情報商材に飛びつき、
情報商材の罠に陥り、
どんどんお金を払って
、さすがに「なんかちがう」って
気づきましたよ。
コミュニティ4つぐらい
転々でしたね。
だから、ある意味、親からひどいことを言われ、
ネットビジネスではちゃんと稼げるように
なっていて、「へっへーい、実は
不労所得で儲かってまっせ!」
と思うような稼ぎが得られていたら、
親に勝ったー!ということになり、
「実は私だって、ちゃんとネットで働いています」
って言えたのかもしれませんが、
そうは問屋が卸しません。
人生って本当に奥が深い。
他人軸の時代の自分が
変化を恐れて、
「英語を克服する自分」
「英語スキルをバカにされた自分の挽回」
「英語を頑張ったことを知らずに、表面的な部分で
ダメな評価をつけられたかっこ悪い私をなんとか、復活させたい」
という方向に、道を歩み続けていた。
これは、私が果たすべき魂の使命とは
違うので、うまくいかないでしょう。
そう。
もう兆しがないのです。
たまにありますよ!
AI技術の進化で、
え?AIライティング?
目次をAIに作ってもらえちゃう?
これならまた書けそう?
と思ったりしたときも一瞬ありました。
これは罠です。
ここにけじめをつけて、一切撤収する
ことを最近決めました。
稼いで自立したい、という私の
願いは、エセ願いです。
自分の魂の使命を
知るスピリチュアルな知識に
照らし合わせると、
全然自分の使命でもなかったから。
時間をかけてめちゃくちゃ習得した英語も、
結局他人に役立てることが
出来なかった。
何のために。
私の時間を返して。
人からケチつけられたことも
かっこ悪かった。
私の英語なんて、変で下手だ。
(今思うと、ドツボにはいっていましたね。
下手な英語なんてないのです。
技術英語と、小説英語の違いですから。)
本来の自分の使命に気づかせるための
風景やアイテムだったとしたら
すごい。
視点が変わりました。
そして、英語に対して、
すねることもなく、
非常にフラットな気持ちになりました。
そして、周期的に
英語教材を買いそろえたり、
資格を取ろう、検定を
取ろう、
認めてもらいたいための
スキルを証明させるための
勉強的なことを
「もう私が頑張ることはない」
と気づいて、
頑張らなくていいことだったと
自分が納得できるように
なりました。
すべての点と点がつながった。
だから、この現象、辛かった現象にすら
感謝できてしまう。
こうして、人生の方向性を決めることが
できました。
自分が納得をした瞬間に、
次のゲートが開いて
突破していくのです。
本当に気づけてよかったですね。
どうして道がおかしいぞって気づいたか。
ブログは特に、
最初は盛り上がっていました。
罠とは知らず。
自分の気持ちをアウトプットする
手段として、執着していました。
ブログ書きを学ぶ
コミュニティに入れば、
同じ志をもつ家族以外の誰かと
つながれて、世界を
広げていける
と幻想を
信じていた。
「よーし。このマニュアルと
この人のスクールに入っていれば。
この人の個人相談を申し込んだから
絶対うまくいくんだ。
コミュニティで仲間もできたし。味方のようなものだ。」
と希望しかなかったです。
ところが実際のコミュニティは、
もやもやするだけ。
その主催の人が、自分のビジネスから
離脱者を出さないための、
戦略のようなものかなと。
だから、「つながってくださいね」
と自分の意志でもないのに、
チャットワーク等でつながるように強制される。
すると、そのコミュニティ内で
競争とか、上下、みたいな。
稼げている人が上、稼げていない人が媚びる
みたいな変な人間関係に巻き込まれてしまった。
個別相談サービスだって。
あなたのテーマは「英語です」
って。「英語でやっていきましょう」
って決まって。
いや、そうはいっても違和感があるんです。
なんてクヨクヨした相談は
オンラインでは限界があります。
自分から相談できづらくなってしまった。
結局費用払い損です。
ここでも、自分の主導権を他人に渡した
他人軸状態の相談で
「これでうまくいきますかね?」
「このブログ稼げますか?」
発信テーマは英語ですよね?
て人に評価を委ねているって。
全然説得力ないと思いませんか。
また、「こう書いてください」
「この通り書いていけば間違いなく
ユーザーがアフィリエイトをクリックします。」
「ここにリンク置いてください」
ってどんどんがんじがらめになっていって
記事が書けなくなって本末転倒に
なっていました。
引き寄せとかで願っても
全然稼げるようにならないし、
先行投資したお金も返ってこない。
活かせない。
ここまでくると、
動きが凪の状態。
しーんとなって
「あ、そうですか。
違ったんですね。道が。」
と自ら気づく事態になりました。
これって全然つまんねぇや。
稼ぎたいというのは表向きの
目的であって、
本当は私は私の狭い世界から
出たかったのです。
でも、出なかった。
出ない方が円滑にいくし、
周囲の家族のバランスを
取っていた。
あとひどい目に遭った英語の件について、
英語を学ぶ大学を卒業した私が、
英語を活かして仕事をするという
働き方に執着をしていたんだから、
「あの人、使えない」って
閑職に追いやられて退職させられた
自分を認めたくなかった。
英語のブログを書けば、
英語を活かしているという状態を
作れるし、
ビジネスウーマンっぽいこと
してるじゃん!と
思うために。
そのための自分の
軸からぶれている
行動だったように
思います。
だから、書き進まないし、
書いても、他人からの評価は得られない
から、自己満足の時間潰し
状態になっていたのです。
「働こう」「稼ごう」
と思って就職活動を空回りすることこそ、
満たされなかった承認欲求を埋めるための
必死な行動です。
そうです。これは勇気を出して
書きます。
多分、親の望む私の姿です。
有名な4大をでて、自立のために
立派な会社員になること。
ここに執着した20年間強。
私は私で十分就職活動しました。
頑張った。
だけど、ことごとくうまくいかないし、
行った先でトラブル、人間関係
会社の不正に合い、
離職するを繰り返した。
ここを納得するのに苦しかった。
一緒に長年LINEでつながってきた大学時代の
仲間の存在も私を苦しめた。
そう。
他人軸時代の、
周りに合わせていた時代が
終わりに近づいてきたということが、
自分の中で明るくなってくる
イメージ。
使命を知ることの方が早いんじゃない?
と思い始める程。
せっかく劇的に現状を抜けたいのに
ブログの記事を書きだせずに
止まっている。
(アイドリングストップ状態)
箱から出なかったのは
私です。
干渉的な親が、ああいってくるかもしれない。
ああ、バカだと思われるかもしれない。
きちんと職場で働かないで、ネットビジネスなんて。
怪しすぎると思われるかもしれない。
そうやって過去の怖い経験から、
失敗に過剰にバリアをはりすぎてしまう
私が、私を狭い箱に閉じ込めていたのでは
ないでしょうか。
私は家族のために、家事と料理と掃除だけ
一生懸命やりますよ。
他人と関わるなんて、浮気行為に思われる。
あなたたち家族のために従順を
生きています。
自分の子どもたちのためにだけに時間捧げる
母の鏡の母です。
自分のことなんて、とんでもない。
母のくせにそんな自由が
あってはならない。
大学時代の友人を見てごらん。
立派に会社で働いているではないか。
もう一人の自分がいっぱい私を責めてきていました。
あるいは、昔からうるさいことばかり言ってきた
母が、いつもその場にいないに、右肩の上のほうに
いて、いつでも何か言ってきているような
感じもありました。
この母の声をなくすのにも、
すごい時間かかりました。
近い最近までは、
「母がなにか言ってくるんじゃないか」
といつでも怖がっていました。
こういう考え方が
ちゃんちゃらおかしいことに
気づいていきます。
一番自分が
「違うよ」「え、何でそっちいっちゃうの」
ってサインを送っていたんだ。
気づくべきことは、
自分軸であること。
自分の人生の舵は
自分が取るべきだったんだなと。
それに気づかず他人の
評価ばかり基準になんでも選んできて
しまった私は16年以上の長い時間が
必要だった。
相談したり、
悩んだり、聞いてしまうことで、
他人に主導権を全部渡してしまうような
私でした。
自己犠牲
他人の顔色をうかがう
親に判断を委ねる
夫に何でも聞いてから行動する。
それなのに、
私のやることに共感がない。
不足にばかり目がいかない。
1人がさびしいとか思ったりして。
こんな状態では、とても自分軸の人生とはいかず、
遅かれ早かれ限界がきていたと思います。
自分を取り戻した私が
アドバイスを受けて実践した事。
1.むしろ1人の時間が大切
誰もわかってくれない、
寂しい、なんてナンセンス。
自分と対話
2.見るもの、聞くものに気をつける。
新型コロナ、
戦争の話、
自分の地域でないところで
発生した地震の震度のニュースを
見続けて、お、震度5すげぇとかイチイチ
反応することをやめるように
しました。
3.うまくいかないことを頑張って絶えない事。
本当の正解は、
楽しく
軽いノリでできること。
4.セルフラブ。
他人の忠告をまともに受けない。
境界線をひき、まずは
自分の声を聴くため、そういう存在と交流しない。
5.なりたいセルフイメージ、叶えたい夢を
毎日書く。
守護霊様、神様、ご先祖様、
大天使様に感謝をする。
6.不安は手放す。
大丈夫だ、と思う。
または、私は大丈夫だ、
そう声に出す。
いま、私は大丈夫なことばかり
引き寄せられるようになって
安全安心に包まれて
本当に自分で自分を満たせるように
なりました。
おすすめです。
7.金銭的にも、肉体的にも、精神的にも
自分がまず満たされていないと他人に
与えることはできない、と知ること。
私は親軸。他人軸で親が何か欲した事は
すぐ解決してあげないとと、自分を投げ出して他人の要求を叶えようとしてきた分、
目から鱗の考え方を教わりました。
たとえ、こどものことでも自らと切り離すべき。 それができなければ、母と同じ過干渉の道に
進んでしまうから。
自分がこうだったからこどもには
こうなってほしくないと言うことを
思う事を手放す。
こどもをなんとかしようという
コントロールを手放す。
まだ半分ぐらいしか自分の声が
聞こえてこない。
過去は重症だったわけだから、
少しずつ自分を取り戻すサイクルに
いま入って頑張っています。