憧憬のまま
最近、暑い日が増えてきた。
汗ばむ中を歩いていると、ふと、十年以上も前の思い出が蘇る。
自分の人生の中で、生涯忘れられない人物の1人。
彼女は、バラよりも向日葵が似合う人だった。
(先に記しておくと、この文章の書き手である自分は生物学的女性である。性自認は定まりきらないため割愛させていただく)
高校生活が始まって間もなくの頃。
とある部活を見学しようと、教室のドアを開けたその時。
自分の視線の先に、彼女はいた。
それは、経験したことのないほど、強烈で鮮やかな衝撃だった。
全ての意識が吸い込まれ、息を呑み言葉を忘れ、視界のほか全てが薄らぎ、揺れ、視線を奪われるような。
恋心、なるものがもしも存在するのだとしたら、この衝動こそが相応しい。そう疑いなく思えるほどだった。
彼女は、自分よりも一つ上の学年であり、その部の部長を務めていた。
世に言う美人、というカテゴライズは、当てはまらないように思う。
しかし、美しさ以上に、彼女には惹きつけるものを持っていた。
少し太めの、赤い縁の眼鏡。そのレンズの奥の瞳は、知識を求めて輝く。
澄んだ横顔は、真っ直ぐに世界を見つめる。
かと思えば次の瞬間、その目を細め、火花が弾けるように笑みが花開く。
お気に入りの歌の一節を口遊む。鼻歌を鳴らす。
黒板に向き合い、白いチョークを滑らかに走らせては、思考に耽る。
まるで彼女自身と対話するかのように、言葉を紡ぐ。
広く友人に愛される人であった。
時に変人と揶揄されながらも、揺るがぬ個性を身に纏い、それすら魅力に変え、自分自身がいかなる人間であるかを体現する人であった。
自分が迷いなくその部活に入り、程なく部長職を引き継いだのも、彼女への大いなる憧れと尊敬の念からであった。
少しでも、彼女に、彼女という存在そのものに、近づきたかった。
過ごした時間は幸福であった。
自分の知的好奇心を満たし、見える世界の広がりを感じる日々であった。
やがて月日は過ぎ、彼女は受験生になり、部を辞め、顔をあわせる機会は極端に減った。
そして彼女は、高校を卒業した。
卒業式当日、緊張ながらも卒業の祝辞を伝えた自分に、彼女は変わらぬ屈託のない笑顔で応えた。
その後の進路は、知らないまま。聞けずじまいであった。
(自分は当時、東京の高校に通っていたのだが)、風の噂では京都の方に進学したらしい。
今もなお、その後の消息は知らない。
知人を辿れば分かるのかもしれないが、知らぬままにしている。
彼女にとっては、一後輩でしかない存在のまま。
進んだ分野は大きく異なり、もう顔をあわせることもないだろう。
しかし、それで良かったのだ。
なんとも幼く自分勝手だが、
出会ったあの日の衝動と、その後も色褪せぬ憧憬の姿とを、自分の記憶の中に閉じ込めておきたい。
連絡先も、写真も、持たぬままでいい。
その名前と、記憶に焼きついている姿とを、これから先も大切に抱えて生きていきたいのだ。
今年も、夏が来る。
向日葵が咲き誇る季節だ。