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服飾と自分の思考

幼少期からの思い出。
センスがまるでない人間の戯言。



服を買いに行くという行為が苦手だった。
小さい頃から、母親に連れて行かれると、いつも困った。
「好きなの選びなさい」と言ってくれる。(先に書いておくと、そんなお高いブランドではなく、いわゆる大衆向けの量販店である。)
事実、きょうだいは皆、思い思いの物を手に取っては、姿見の前で当ててみたり、母に似合うかどうか等聞いてみたり、試着室へと嬉々として向かっている。

対して自分は。店の中を見るでもなく、ただ親きょうだいに付いて回るだけ。
何が欲しいのか、自分でよく分からないから、することもなく、ただ時間が経つのを耐え忍んでいた。

見かねた周囲が「これはどう?」などと聞いてくれても、なんと答えたら良いのか分からなかった。
どんな服が良いのか分からない、自分の好みもよく分からない。有象無象の服の中の一枚にしか見えず、欲しいか分からないので答えに窮するのだ。

他方、その思いやりはヒシヒシと伝わってくる。
ハッキリ答えないからイラつかせているのも伝わるし、気に入らない服を着たくはない。ましてお金を使わせる親に申し訳ないし、考えすぎて余計にもどかしく答えが出せず、申し訳なかった。
大概は、何も買わないか、流石に何か一つくらい…と、空気を察して、無難なロゴ入り白Tシャツで済ませた。

ああ、今思い返しても、あの時間は苦痛だった。
自分自身の苦痛はもちろん、気遣う親への申し訳なさ、純に楽しんでいるきょうだいや周囲の他の客の姿と対比しての自らの劣等に近い空虚さ、その時間が延々に続くような無力さ。


と、ここまで書いておいてなんだが、一応服の好みは存在する、ようだ。
まれに一目惚れでビビッと閃く気に入り方をすることはある。
ただ、基本的には、いまだに苦手意識の払拭には至っていない。


本音をサッサと書いてしまうと、自分の目には、並んだ衣服が単なる布にしか見えないことがある。

所狭しと積み上げられた布。ハンガーにかけられ陳列された布。

布。布。布。

ああ、本当に申し訳ないとは思う。
作っている方にも、店員さんにも、あるいはファッションというものを好いている全ての人にも。
ただ、こういうモードに頻繁に入ってしまうので、そして服屋で商品を見ていると殊更この思考に陥るので、特に苦手である。
こうなってしまうと、どれを選ぶ/買うどころの話ではない。

そんな思考を抱えて店先で悶々としている横で、若い学生らが「これ可愛い〜」だの「ちょ、ヤバくねコレ」だの「絶対似合うって!買お買お」だの、嬉々として話しているのを見ると、布としての認識から前に進めていない(むしろ後退していく)自分との対比で、なお嫌気がさしてくる。
俗にいう「ファッションセンスがある人」というのは、羨ましい。一体どこで、どんな育ち方をして、どんな学習をすれば、そう会得できるのか。



音がうるさいのも、また苦手意識の引き金になる。
人混みも苦手、突然話しかけられるのも苦手。

そういった人間にとって、量販店やファストファッションの店舗やショッピングセンターは、眩暈がするほど苦痛に感じる。
初対面が無理なのではない。こちらのペースを乱される、想定外の会話が発生するのが苦手なのだ。すまぬ、店員さん。
元来、喧騒の中に放り込まれるとストレスフルに感じる自分にとっては、一刻も早く去りたい場所に感じてしまう。


脱線した。
服の話に戻ろう。

自分が着るものとして鮮やかな原色は苦手だ。
第一に派手。美しいとは思うが、余計な目を引きたくない。また一応、一端の社会人として出るのに、組み合わせが極端に難しくなるのは想像に難くないので 却下しがち。自分のセンスは信用できるほどに高くない。
とはいえ、憧れることはある。

また。デザイン、イラストは好きである…と書くとやや言い過ぎだが、興味をそそられる。見ていて楽しむ分には、デザインという観点では楽しめる。(ようになってきた…というのが、より正確か。)
デザイナーの方々が拘りと好みとを持って作ってらっしゃるのはステキであり、何を表現したいのか理解したいと思う。

素材に注目してみると、それはそれで面白そうである。服飾品としてというより、物質・物体としての興味関心にはなってしまうが。

いわゆるロリータ?ゴスロリ?の類も、着ることはないだろうが、美しいと感じる。そういう専門店の前を通ると、心は浮き立つ。

全く他の系統だと、パンクファッションも同様。趣味嗜好を服飾を通して自己表現している姿は凛としている。
こうした服を着た人を見かけると、自身のアイデンティティの主張として、そういう人々は格好良いと感じる。

他の例だと、最近は和装を現代風に着こなす方の写真をSNSで見かけた。あれは実に繊細な美しさで、品が漂っていた。



こうして書き出していくと、断じて無関心ではないのだろうとは思う。
しかしながら、いずれも鑑賞の対象としては興味を惹かれるが、いざ自分が身につけるものとなると、てんで関心が薄れる。

いまだに、実店舗で何かを買うことは滅多にない。今の時代、通販で済んでしまうことも多いので、ありがたいことだ。


時にそういう場に、いわゆるショッピングセンターに足を踏み入れた時、こんな思い出が蘇る。
少しは大人になった自分は、居場所を見つけられず店内を彷徨った幼少期の自分の残影を、そこに見ている。








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