相談相手

こんばんは。今宵も絶賛悩みに悩んで、脳内思考回路で迷子中な人間である。

この数週間ほど、いわゆる抑うつ傾向に苛まされ、川底に沈んだオモリの如く、動けないままに、水面の向こうに広がっていそうな明るく輝く外界を眺めて…みたいな状態に浸っていた。
なんとか、ここに浮上できるくらいには、回復したが。やれやれ。

そんな中で心にぼんやりと思い浮かべていたのは、こういう状態に陥った場合に、果たして世の人々は、誰に相談しているのだろう…ということ。

悩み自体やその背景によって、変わる部分はあるのでしょうけど。

想定される回答は…
例えば、家族?、いや離れて暮らす両親兄弟姉妹に、余計な心配事は送りたくはない。
友人…うーん、相談できるような、心のうちを打ち明けられるような、打ち解けた友人なんかいないのでは…。やはり余計な心配事は以下略。
勤務先…業務に支障を出したくないし、そう信頼できる相手もそうなかなかいない。

ある程度、自分の生活圏に根付く人には共有しにくい、結果がどうであれ、相談したという事実自体が関係性を曲げてしまうから…といったところか。

かといって、カウンセラーやら心療内科/精神科のご厄介になるのも、xxx相談員やら何やら、得体の知れない、姿の見えぬ相手に、どこまでざっくばらんに詳らかにできるか…想像だけでなんと険しい道のりではないか。

適切な距離感の関係性は、難しい。
近づいても遠ざかっても到達しない、わずかな差が大きな影響力の差異と継続性に影をおとす。

誰かに持ちかけられた相談事は、たとえ聞き役だけであっても率先してできるのだが。こと自分のこととなると、どうにも不器用で臆病で、解が見えない。

結果、取り急ぎの対応として、あるいは圧の逃し口として、自問自答が始まる。
そして悶々と悩み出す。
はい、十分に想定済みの事象。考え倦ぐね始めれば、一度得られた結論を元にさらに深みに追求し、終わりのない円環の論争(といっても対自分なのだが)が始まる。

自分の歯車で生み出したエネルギーを用いて、その歯車を回し、加速し加熱し、ああもう手がつけられない。ぶっ飛んだ思考が顔を出して、おそらく思考回路がショートして我にかえる。

内省的で内向的。外向的な要素が影響しないときは、内向の直観と思考が無限ループを形成し、深い泥沼に嵌っていく。
まさしく、自分の志向を的確に表している。

解決策、どこいった。

これを防ぐには、適切な外的存在、悩みを吐き出して受け止めてくれる(そう期待できる)人物が不可欠なのだが…
そもそも、こんな対人関係の優良スキルを持ち合わせている人が、どこにいるというのかね。いや、いるんだろうけども、そうと信じて自らの身と思いの丈を委ねられるような人物と信じきれるかどうか…うーん。

仕方なく、第二の手段、文字に起こして外的に触れられる形にする、文字に起こす作業で脳の過負荷を防ぎ、圧が一点にかからないようにする…の出番だ。
相手が居なくとも、壁打ちでも成立はする。

何かの言葉を、考えを、紡ぐ。
そこに呼応して、次の言葉たちが連なり浮かび上がる。

取り止めのない言葉が並ぶ

絶えず回転し、引き出しを漁り、中身を四方八方に投げ開けるような、ガス抜きを繰り返す

書いている側から言葉が溢れ出し、掬いきれず、なんとか手のひらに残った単語たちを綴って、文章を書く

そうして出来たのが、この、何とも纏まりのない文章だ。

noteよ、ありがとう。

これが、いつかの自分を救う言葉になりますように。

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