亡霊と化した未練

これは、ヒトには大なり小なりあるかもしれない、ささやかな後悔と失恋の話。
大学の時の先輩。憧れ、尊敬、そこに混じる恋慕の情。


……この書き出しを書いた時点で、ふと我ながら突っ込んでしまう、なんだこのタイトル。

なんでだろうね、こういう「甘酸っぱい青春」みたいにテンプレート化された「エモ」って、もう少し爽やかな透明感を湛えているはずのモノなんでしょうけど。

とは言え自分の心情を振り返って見たときに、こういう例えが最も適していると感じてしまうのも事実であり、そのくらい惨めでも捨てがたい心情。
こうしてnoteに書いている時点で、どうかその未練がましさを察していただきたい。

過去の自分への、もう戻りようがない後悔と情けなさ、あまりに醜い懐旧、そういうドロドロとした心情が纏わり付いたものとなって、へばり付いてしまっている。

まあいいや、等身大で書いていこう。本編へ。


憧れと尊敬。
間違いない、これは否定しようがないほど、今も忘れがたいほど、自分の中に存在している。
偶像化しているのではないか、と思うほどに、尊く侵し難い記憶だ。

発する言葉や行動に滲む、人柄の暖かさと思いやり。
優秀な人物、そう誰もが評価する方だった。
たかが小僧がどんな目線で評しているのだとお叱りを受けるだろうが、あれほどの人物に今後出会えることは、そう無いだろうと思えた。

これは推測でしかないけれど、何かと溜め込みがちな方だったように思い返される。
明るく穏やかな人当たりの裏に、他人には決して見せようとしない、心中に溜め込んだものがあるような気がしてならなかった。
沸々と押さえ込んでいるストレスや負の感情が、翳ったように差し込むように、確かにそこにはあった。

如何に苦しく辛い状況だろうと、周りが安心して行動できるように場を整えていた。
一方で自らの感情はフラットに保ち、誰にでも穏やかに、変わらぬ笑顔で接する姿を常に絶やさなかった。


その光も、その隅に滲むような毒々しい影さえも、魅力的だった。
優秀で友好的だが、どこか孤高の人だった。



こう書くと、自分が性悪な人間のようだが(実際、何かの力や解決になれたわけではないので、甘んじて受け入れざるを得ない)、差し込む陰影も合わせて、清濁くるめて全てがその人物の魅力を形作っていた。
ただ光に満ちた人間ではない、ひどく人間味に溢れながらも努めて輝く姿は、美しく格好良かった。



学生の委員やら運営やら、その方が務めていた諸々の業務を引き継いだのは、そういう意味では必然だったのだろう。
以前の他のnoteにも書いたが、自分は憧れた方に少しでも能力的に近づきたいと思うが故、同じ道を選び、あわよくば親密度を稼ごうと考えてしまう癖があるようだ。

それは、視線をこちらに向けたいという卑しい画策、同じ状況に身を置いて追体験したいという願望、そういう前にも後ろにも向いたドロドロで粘稠度の高い感情だ。

もちろん、これで振り向かせようという魂胆ではない(それが無用である事は重々理解している)
これは自分のエゴだ。

学年も離れていた彼の方とは、共通項がなくなれば接点も減るのが自然の理であり、それきりである。
…なんだか、以前のnoteに書いた話と重なるな。どうにも成長していないようだ。


ほんの少し、奇跡を期待するなら、一度だけ誕生日に個別のメッセージが来たことがある。
こういう、他者の誕生日を覚えているとかいう、細かな心配りができる点に惹かれたのだろう、としみじみと理解した。
奇跡なんて書いている時点で、いまだに未練がましく引きずっているのが丸わかりである。ああなんて無様で恥ずかしい。



つまらない人間の、つまらない過去の回想と未練の話。

早く忘れられないだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!