「やりすぎ」ができる環境がある。企画の「刺激・奥深さ・難しさ」を追いかける。
「そこまでやるの!?」は当たり前
4年勤めた小学校教員から、2年前にCOLEYOに転職をした。
――― もともと教員時代は、生徒が楽しみながら学べる仕組みを考案したり、新しい教材を製作してみたりと、通常のカリキュラムをそのまま実施するだけではなく、自らの発想を形にしてきた。
日常生活でも『野望100』と題して、実現したい遊びや経験、実験などを書き連ねて、日本全国を飛び回り、「成人式Take2」を企画するなど、「やりたいこと」はすぐに実践して試さないと気が済まない。
まわりからは「なんでそこまでやるの!?」と言われることも多く、前の職場では、吉松のやり方に疑問を投げかける上司や同僚がいないわけではなかった。
吉松としてはただ「子どもたちに、より面白い経験をしてほしい。自分もそれを面白がり続けたい」という想いが大前提。学校での立場の変化もあって、公教育の現場からより広いフィールドへと、次第に転職を意識するようになった。
自分の興味を存分に発揮できる環境、それが受け入れられる環境を求めて、出会ったのがCOLEYOだった。
発想や創造に制限がない。どこまでもやっても「やりすぎ」と言われることはない。むしろそれが歓迎される場所だ、と感じた。
最初の企画は『ゼロから味噌汁』
入社から2年を経た今、代表の川村は吉松の印象を、こう語る。
入社後は、主に講師としての教室の運営を担当してきた。
教室に通う生徒たちとの日々のかかわり、未利用者に向けての体験会の運営や、生徒のプロジェクト伴走などを任されてきた。社内の企画会議では、持ち前の発想や視点で出したアイデアが導入されることもあった。
変化の兆しが訪れたのは、2年目に突入した初夏の頃。
「吉松も2年目になったし、新しい授業の企画してみる?」
これまでにも単発の企画はいくつか経験があったが、自身がメインの企画者として実際に形にしていくプロセスも含めて担当するのは、初めてのこと。
取り上げるテーマが「第一次産業」ということは、すでに決まっていた。そのテーマに沿って、どんなメッセージを乗せて、どう形にしていくか。
吉松が考え出したのは、『ゼロから味噌汁』。
子どもたちに植物の種や大豆、キノコの原木を渡して、2週間の栽培体験をしてもらう。そこで収穫したものを実際に調理して、味噌汁をつくってみる、という企画。
短い期間ながらも、農業の仕事をコンパクトに体験することで、普段スーパーに並ぶ「商品」の裏にある社会の広がりや、栽培の工夫や科学の側面に触れてほしい。
自身の興味も組み込んだ、初めての企画だった。
企画は「子どもたちへのメッセージ」
「実際にやってみて、子どもたちが料理や野菜に興味をもってくれたり、湿ったしいたけの原木を触って騒ぐ彼らの反応を見て、リアルに触れることの楽しさを感じてくれたのはうれしかったですね。
その反面、結局メッセージとして何を残せたか、という点で考えさせられることが多い経験でした」
その時期を境に、教育プログラムの企画や開発の業務を徐々に任されるようになっていく。
・講師としての教室運営、生徒対応などの既存業務。
・全社員の企画会議でのアイデア発案。
・半期ごとの生徒プロジェクトの報告会でのミニ体験コーナー担当。
・自宅で体験できる『おうちタッチ』のプログラム開発(月2本)。
・夏の無人島キャンプの企画・調整・運営担当。
当時の吉松がかかわっていた業務は、多岐にわたる。
特に、無人島キャンプの企画は、これまでとは大きく勝手が違った。
COLEYOの中でも、年間を代表するイベントのひとつ。50人以上の子どもたちと一緒に、電気も水道もない無人島で1泊2日をすごす。自然に触れながら、COLEYO独自の仕掛けや学びを得ることを目的としたイベントだ。
入社1年目の際にも無人島キャンプは経験していたが、2年目は実質的な責任者として、企画段階から実施方法、プログラム内容や試行やリスクの洗い出しなど、細かい部分まで幅広く想定する。万が一にも、事故が起きてはいけない。
結果的に、想定外のアクシデントにも柔軟に対応しながら、結果的にはイベントとして想定通りの満足を得ることができた。
「自分のアイデア」と「事業としてのアイデア」
初めての経験がいくつも重なった、当時をふり返る。
実効性と継続性を兼ね備えた「企画」を生み出す。
その意味に触れた3ヶ月間。
一方で、その経験がまた別の状況を生み出すことになった。
責任の大きさを認識したからこそ、プロジェクトやプログラムの企画を進めるに当たって、より精度の高いものをつくることを目指した。
前職のように、「自分のアイデアを自分一人で形にする」のとは異なる。
動くのは自分だけではない。対象となる生徒の規模もケタが変わる。かかわる人たちも増え、「自分よりも忙しい人の時間や労力」に配慮しながら、子どもたちのために、その家族も満足できる企画にするために、日々考えて動き続けた。
その想いの強さがあったからこそ、リスクを意識するようになった。
本来、「もっとワクワクすることを」と考えていた自分が、いつのまにか変わってしまっている自分にも気づいていた。
自分が“しっぱい”を制限していた
10月のある日、半期の目標面談の時間が設けられた。
これまでに行なってきたことと、これからの理想や目標。代表の川村、取締役の能代と話しながら、次の半年の動きを決めていく。吉松が考えていることや現状を話していると、川村がいつもどおりの口調で言った。
その言葉で、溜め込んでいた不安や躊躇が吹っ切れた。
本来これまで、まわりから「そこまでやるの!?」、「なんでそんなこと?」を、「やりすぎ」てきたからこそ、今の吉松がある。
川村だけではなく、他のCOLEYOの社員が吉松に期待しているのは、その好奇心や軽快さ。枠や常識に捉われない発想やアイデアにある。もっと「やりすぎる」くらいでちょうどいい。
その10月の目標設定での会話が、吉松の大きな転機になった。
「誰のため」に仕事をしてるのか……?
2023年2月、COLEYOとして初の大型イベントが開催された。
京都の「みやこメッセ」を会場に、生徒のプロジェクトを発表しながら、来場者にもその内容を体験できる「お祭りイベント」。
工場で使われる直径1.5メートルの扇風機を使った実験、自作の石鹸をつくったり、UVレジンに好みの材料を閉じ込める宝石づくり……。会場には、プレゼン・展示・体験などのブースが設置され、1000人を超える親子が参加する。
そのイベントで、吉松は複数の体験ブースを担当することになった。
朝から次々と訪れる来場者。想定以上の来客で混雑する中で、必死に動いても対応しきれないほどの盛況だった。
だからこそ、どうしてもミスは発生する。
案内の順番の前後、石鹸やレジンの取り違え、待機時間の繰り延べ、それによる問い合わせの増加……。時間が経つごとに修正を繰り返したことで、結果的には多くの来場者から好意的な声が集まるイベントになった。
それでも、吉松は満足することはできなかった。悔しさが残った。
「やりすぎ」ができる余地がある
幼い頃から自分の興味や好奇心で動いてきた。
自分の楽しみを起点にした、自分にとっての面白がり方。大学時代を経て、教員になってからは面白がれる範囲も影響を与えられる対象も増えた。いつも「なんでそこまでやるの?」、「そんな必要ある?」と言われてきた。
COLEYOに来てから、自分が面白がることを追い求めることに「やりすぎ」の限界がないことに気づいた。その一方で、まだまだ「やりすぎ」ができることにも気づいた。
「やりすぎ」に限界はない。
むしろ、COLEYOでは人とは違う発想で「やりすぎる」くらいがちょうどいい。責任や影響力の意識が生まれたからこそ、その壁に向き合うことができた。
吉松にとっての「成功」は、売上や人数の規模が大きくなることではない。自身の成績も関係ない。ただ、自分は誰のために何を喜んでもらえるのか、自分がかかわることで子どもに良い影響や変化が生まれるかどうか。
COLEYOでの2年間を経て、人を巻き込み、子どもたちに影響を与えるための“しっぱい”を繰り返しながら、価値を生み出し続けている。
代表 川村からの最後のひと言
ええと……こういう記事って普通は「こうやって成功したぞ!」みたいなものが多いと思いますが、COLEYOで爆成長中の吉松だからこそ伝えられることがある、と考えて登場してもらいました。
「やりすぎ」で、労働時間が大変なことになったり、休みが取れなかったりすることを良しとはしませんが、え?そんなことまでするの?という予想を超えてくる発想や行動力は大歓迎です。
2月の大きな悔しさを経て、吉松はこれからどんどん大きなホームラン(というかバズーカ)を打ってくれると思うし、これから入ってくれる社員にもそんな期待をしたいな、と考えています。
ぼく自身も過去にいろんな人から「なんでそんなこと、やってるの?」とか「それで儲かるの?」と言われ続けてましたが、やりたいことをやってきたら「人が足りない!」と思えるくらいにはなってきました。
ぜひ、これから一緒にCOLEYOを大きくしていける人、より多くの子どもたちに好影響を生み出せる人と出会えたら、と毎晩毎朝、願っています。興味をもってくれたら、ぜひ気軽に連絡をください。あなたに会えるのを楽しみにしています!
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