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きれいごと
私が好きなあの人たちは、世間(ほんの一部)からして今最も叩きやすい存在なんだろうな、と。
そういうSNS(旧Twitter)上のつぶやきを見て最近思います。
もちろんそんな存在なんて要らないし、
あってはならないんだけれども。
人気者だからこそそれを好かない人ももちろんいる。
それで当事者に適当な攻撃をしてくる人もいる。
そんな次々飛んでくる適当な火の粉を避けるために、
過信をしない事が大事だと思っています。
あとは本気で攻撃している人なんてそうそういないからその適当をスルーすること。
ここでは過信の部分について。
私は、何か、はたまた誰かを好きになる時、「それがこの世の全て、絶対ではない」ということを自分と約束しています。
恋は盲目。
好きになった相手(人・もの)は何をしてもカッコイイ、カワイイ。
って思うのは自由。ここまではいいの。
でもそれが
「みんなそう思わない?!」
「なんでそう思わないの?!」
「ありえない!」の域に行くとただの強要。
自分の考えと一緒の人なんてほんのひと握りだし、そもそも興味すら無いみたいな人がほとんど。
問題は、「考えが違う人」「そもそも興味すら無い人」は敵なのか?っていうところ。
決してそうではない。
その人なりの考えや興味が無い他の原因があるかもしれない。
多様な見方、いろんな視点から物事を見る・考えるというのを心がけるだけで、殺伐とした界隈はちょっとだけ良くなると思うんです。
これは綺麗事ね。
でも私は心のどこかでこれを信じています。
そしてそういうことが出来る人が大人だと思っています。
あの界隈はもう少し大人になれると思ってるよー。