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#1 所在がない。【創作】

「いってきまーす」

朝早い電車には、もう慣れた。
薄雲の空の下、学生の頃から共に大きく育った木の道を通り抜け、赤い屋根を目指して歩く。
あの頃は二段跳びもできた階段も、重いリュックが待ってと悲鳴を上げた。
上まで登り切って、少しだけ呼吸を整える。
季節が変わり、炭酸飲料の姿がいつの間にかお茶のラインナップが増えた自販機。
そこを通り過ぎて、定期券をタッチし、ゆっくりやってきた私鉄の電車に足を踏み入れた。

この時間は、人はまばらで大抵座ることができる。
今日の座席は真緑でふわふわ。
ブルーライトで疲れた目には、少しだけ癒しを与えてくれた。
ゆらり、揺られて、瞼が落ちる。
あ、そうだ。忘れないように降車アラートの設定を。
そんなことを考えながら数十分が過ぎれば、いつの間にか広いホームが見えてきた。
降りなくちゃ。


半年が過ぎた。
新しい仕事は前よりも、目新しいような、目新しくないような業務内容を、ただただ淡々と繰り返す。
パソコンの電源を付けて、一つ大きくあくびをする。

誰もいないたった一人きり。

カシュっと道すがら買った今日のコーヒーは、家の近所のコーヒーより30円高かった。
しかし、ちょっとだけ家を出るのが遅かったのが敗因なのは分かっている。
次はもう少し早く出よう。

そんなことを考えて二口口に含めば、少しずつ頭が冴えてきた。
今日の仕事内容を頭に思い浮かべながら、鍵を持ってフロアへ出る。
今はひっそりと静まり返ったこの場所を、叩き起こすのが私の仕事だ。
決まりきったボタンを押して、これが肝心リピートモード。
黙ったゲーム機に光を灯せば、過ぎ去った影に反応してけたたましい音楽が鳴った。
「僕を見てくれ」なんて聞こえるけれど、生憎遊ぶのは仕事には入ってない。

全ての目覚めを確認したら、箒と塵取りを持って、ちり掃除。
昨日のスタッフ、綺麗にしないで帰ったな…そんな小言を呟きながらも、粘っこいゴミをゴシゴシ落とす。
ある程度白が見えなくなったらおしまい。
役目の終わった道具たちを片付け、窓のないせまっ苦しい事務所へと戻れば、どっかり。椅子に座ってまた一口。
温くなってもキレ口のある黒い液体。
だけど、私の仕事はこの時点でもう7割終了していることが多いから。
いくら頭がキレモードになったって、対して役に立たないわ。

【所在がない】
それは、することが無くて退屈なこと。

そう、つまり今の仕事の事。
居場所を変えたら、こんなにも静かでゆっくりだった。


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