創作昔話 神崎弥五郎の霊

享保3年4月6日 殿山藩領内 河口村にて水騒動が起き その当時領内の代官で神崎弥五郎成義がいた 非常に

勤勉でありまた情に厚い人物ではありまた酒が好きな人物であったそうな


水騒動の発端は河口村の百姓 弥兵衛が隣村の川並村の水田から勝手に水を引いたことが ことの
起こりであり 本来なれば仕置きであったが 弥五郎の采配により仕置きは免れたが 隣村の庄屋であった

次郎兵衛が怒り 宴席にて飲んでいた弥五郎に斬りかかり 弥五郎は手当ての甲斐なく落命する それからと言うもの 庄屋の次郎兵衛は夢の中で

落命した弥五郎に毎日毎日責め立てられとうとう
息を引き取ってしまった

弥五郎の霊の怒りはそれで収まることを知らず 不正を見逃していた

殿山藩 勘定方 中原吉兵衛義勝

同じく勘定奉行 三原観山広宗

寺社奉行 平城政勝成吉ら 三名の枕許に立ち 不正を見逃していたことを殿に詫び 腹を召されよ と言い続け 三人は衰弱してしまったのもあってか 藩主である 川波光義公に自白した後 中原吉兵衛は永蟄居

三原観山は切腹 平城政勝成吉も同じ切腹となった 弥五郎の遺品の日記には不正を見逃していた三人の記録と証拠があり 藩主は騒動で落命した後

義憤により三人を罰した 弥五郎を領内にて霊神として祀り

亡くなった7月21日には慰霊祭を執り行い 廃藩置県が行われた後も川波家の人間が祭祀を執り行ったという

弥五郎の祟りは祭祀を執り行ってからは収まり 庄屋の子孫と罰せられた三人の子孫が慰霊をしだした頃には完全に祟ることはなかったという
7月21日に配られる弥五郎の紙札は

災難避けなどに霊験があり また

逆恨みで落命したのもあってか それを避ける願意が入ったお守りもあったということだ

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