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いかのおすし⑥ 【20分休み】

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《美桜》

「見て、友香ちゃん。四つ葉のクローバー」
「かわいい。栞にしたんだね」

リュックに隠していたクローバーがママに見つかったときは、どこの公園に遊びに行ってたのって怒られるかと焦ったけど、ママはニコニコして押し花を作ろうと言ってくれた。
 
ティッシュに挟んだり、レンジで乾かしたり。100均で押し花用シートを買ってきてアイロンをかけたら立派なしおりが出来あがった。
 
「今日も、おじさん来るかな。お礼に見せてあげたいんだ」
「来るかもね。あたしのクローバー、全部枯れちゃった。今日もまた見つけてくれるかな」
「おじさん、四つ葉見つけるの天才だもん。いっぱい見つかるよ」
「だよねー。またバドミントンも教えて欲しいな……あれ?」
 
桜公園の入り口から、ゆっくりこっちに向かって歩いてくる人を見て友香ちゃんが声を出した。
痩せていて少し焼けたような肌。
「アンだ。ねぇ、ほら。アンじゃない?」
友香ちゃんの言葉に、わたしの心臓がドキンとした。
3年の夏前に転校してきたアンさん。この前の春休みにまた引っ越すと言って会えなくなった、友だち。
前よりぐんと背が高くなって、髪も長くなって、スラっとしたデニムを履いていて。モデルみたいにカッコいい。
 
3年の時、わたしはそんなカッコいいアンに憧れてた。長いまつ毛と大きな瞳。髪はすこしパーマがかってて、細い指がとってもきれいだった。
算数はぜんぜんできなかったけど、なぜか国語が得意で。お兄ちゃんによく漢字を教えてもらってると言ってた。わたしよりも字がきれいだった。
 
あまり笑ったり騒いだりしなくて、でもわたしが答えを間違ってたり、運動会で転んだり、失敗して落ち込むたび「美桜のスマイルは100点まん点だよ。見てるといつも勇気がでる」と言ってくれた。3月の文集には「なんでもがんばる美桜さん」を大好きな友達として挙げてくれたことが、わたしの自慢だった。
そのアンと、この公園で再会できるなんて。
 
アンは「美桜! ひさしぶり」と軽く抱き付いてきた。わたしは照れくさくって、すぐに離れる。
「アンのおうちはこの近くなの? 一緒にあそぼうよ」
友香ちゃんがバドミントンを持ち上げて言う。
 
うん。やろうやろう。ラケット2本しかないからジャンケンね。じゃーんけーん……え、さいしょはグーでしょ、あっそうか。アハハ。
 
今だって、すぐにあのころの私たちに戻れる。久しぶりに3人で走って、大声出して、大笑いもした。
 
つかれたァ、あれ。見て、あそこにおじさんもいるよ。おーい! 一緒にあそんでよ。またクローバー探そう。僕、こんなのもってるんだ、次はみんなでそれしよう。わー、にげろー! ぎゃはは。

人数が増えれば笑顔も楽しさも倍々になる。
夏休みは、こうでなくっちゃ。
 
今日のわたしたちは、夏休みを大いにマンキツしていた。
 

 
「今日はね、公園でね、みんなで水風船投げて遊んだの」

洗濯機のスイッチを入れてキッチンに戻ってきたママが、洗う前の洗濯ものが濡れていて「いったい何して遊んだらこうなるの」とあきれ顔で聞いてくるから説明した。
 
「水風船か。みんなって?」

ぼこぼこした鍋にスパゲティをいれたママが私に聞く。

「あ、うん。今日はね、アンさんも一緒だったの」
「アンさん?」
「うん。きょねん同じクラスだった、サトウアン。サラダのお皿はこれでいいよね?」
「佐藤アン、あん、杏……今は何組さん?」
「今いない。転校した。だから久しぶりに会ったの。偶然公園に来たの。レタス、このくらいでいい?」
「そっか」

ママは「サトウサトウ……?」と言いながらパスタをぐるぐるかき回す。

「うん。みんなですっごい楽しかったの。ゆで卵は私が皮むくね」
「ゆで卵は、皮じゃなくて殻ね」
「カラ、か。はい。あのね、四つ葉の栞を見せてあげたら、すごくきれいって、いいなって言うから、アンにあげちゃったの。2つとも。お兄ちゃんもいるっていうから。あ、ゆで卵は半熟がいいな」
「そう。美桜は優しいね」

うふふ。褒められた。私、いいことしたんだね。

「もっと栞作りたいな。作れるかなぁ」
トマトのヘタを取りながら、「またおじさんにたくさん見つけてもらお」と小さく付け加えた。
 
「おじさん?」
 
鍋に向かっていたママが、急に手を止めてこっちを見た。
 
あ。

今日みんなでバドミントンして笑ったことといい、水風船でびしょぬれになって気持ちよかったことといい、いろいろ楽しすぎて、褒められて嬉しくて、つまみ食いしたポテトが美味しすぎて。
 
ついうっかり余計なこと言ってしまったみたい。

こういうのを慣用句で『口がすべる』って言うんだ。宿題のワークに昨日書いたばっかりだ。
 
「おじさんって、誰?」
 
ママの顔が急に怖くなって、まともに顔が見れない。
「オジさん」って名前の転校生だなんて言ったって通用しないってことは分かる。なん組の子? 先生に電話して確認するよ? って言われるに決まってる。

でも、べつに悪いことはしていない。
ちらっと横目でママを見てから覚悟を決めた。

「公園で、公園に、いたの。いた人」
「また、って言ったよね、今。いつもいるの?」

ママはずいぶん、かぶせ気味に聞いてきた。
まってよ。返事、あわてちゃう。

「い、いつもじゃない。えっとね。カギをね。自転車の鍵を落としちゃったの。そしたら探してくれたの。草がいっぱいでね、見つからなくて困ってたの。すごい困ってたの。そしたら探してくれたの」
「今日? それ、今日の話?」

またすごい勢いで聞いてきた。待ってってば。
 
「う、ううん。カギを探してくれたのは、夏休み入って、えっと……」
「さっきの、『また見つけてもらわないと』って何。鍵のこと? 何度もなくしたの?」
 
あ。
自転車の鍵を何度も失くしていたらゼッタイ自転車に乗ったらいけないって言われちゃう。自転車に乗れなかったら桜公園まで遊びに行けない。困る。

「ちがう、ちがう。一回だけ」

ママの目をみて伝える。鍵を落としたのは1回だけ。それは本当。メロンパンナちゃんのキーホルダーもつけた。
 
「何を探してもらうの。もしかして四つ葉?」
「うん」
「前にたくさん持って帰ってきてたやつ?」
「……うん」
「友香ちゃんと見つけたんじゃなかったの。ちょっと! ちゃんと説明して」
「うーんと。だから……」
 
わたしは鍵を落としてしまったこと、たまたま公園にいたおじさんが一緒に探してくれたこと、そのときに四つ葉を見つけたからって、わたしたちにくれたこと。
今日、アンと3人でバドミントンしてたらまた会ったから、スマッシュを教えてもらったこと、水風船をみんなで投げて遊んだこと。
それらを全部ママに話した。

あれ? でも、おじさんとはバドミントンを2回やった気がする。いつ会ったっけ? って考えてるうちに、ママの話が始まったから考えるのをやめた。

「近いのにわざわざ自転車なんて乗るからそんなことになる!」
ママは「公園」っていったら、やまと公園のことだと思ってるみたい。
「近くなら歩きなさい」
「はい」
近くの公園なら乗りません。
べつに桜公園まで行ったことを隠してるわけじゃない。どこの公園? って聞かれたら答えるつもりだった。
でも、それは聞かれなかったから結局言えなかった。
 
「誰なの。おじさんって。この近所の人?」
わたしは、もう一本ポテトをつまみあげた。
「うーん。わかんない。えへへっ」
「ふざけないでっ!」
 
突然大声で言われて、ほんとうにビクっと飛び上がった。
手に持ってたポテトが床に落ちた。
 
「友香ちゃんの知ってる人? ねえ!」
わたしは首をゆっくり横に振った。

「知らない人なの? 知らない人なのね? 知らない人と遊んだりしたら、ダメに決まってるでしょ!」
 
ひさびさにママの怒った顔を見た。
いつ以来だろう。ママがわたしに、こんなに怒ること滅多にない。

スーパーのレジの順番を抜かした人にものすごく怒ったのは見たことあるけど。ボールを追いかけて道路に飛び出した子にめっちゃ怒鳴ってたのは見たことはあるけど。
 
だけど。
でも。
わたし。
そんなに悪いことしたのかな。

「でも……いい人だよ」
 
「ばかっ!」
 
ママはとうとう「言ってはいけません」って言葉をわたしに言った。昔、誰かのことをバカって言って、ママに怒られたこともついでに思い出して、ちょっとムッときた。
 
でもママは、怒ったままの顔でわたしの両腕をがっしりつかんで言った。

「世の中にはね、怖い人がいっぱいいるの。小さな子が好きな気持ち悪い男の人もいるの。そんなこと知ってるでしょ。何度も教えたよね。ママのいないところで、ママの知らない男の人と遊ぶなんて絶対に、絶対に! だめ! 自転車の鍵をなくしたって、歩いて帰ればいいでしょ? 拾ってくれた人には、ありがとうって言って終わりでしょ? なんで一緒に遊んだりするの。余所の女の子と水風船で遊ぶなんて、そんなの変でしょ。気持ち悪い! 変な人に決まってるでしょ。怖い目に遭わないとわからない? ねぇっ!」
 
怖い目にあう? 公園で? 友香ちゃんもいるのに?  
べつに暗いところに連れていかれそうになったとか、体を触られたとか、個人情報を聞かれたとか、全然そんなことなかったのに。

いっきに色々言われてよく分からなくなった。全部いっしゅんで忘れた。
でも「絶対ダメ」と言われたことは間違いなく分かった。

「……ごめんなさい」
ママは大きなため息をついて、うつむいた私をぎゅっと抱きしめた。
 
「ごめん。怒鳴ってごめん」
 
ママは、わたしの頭を強くなんどもなでながら言った。
そしてまた両腕をぎゅっとおさえて、わたしの顔の前にママの顔を近づけた。
 
「ママね、心配なの」
さっきまで怒っていたママが、急に泣きそうな顔になってる。
その顔を見たら、わたしは本当にいけないことをしたのかもって思った。
 
ごめんなさい。
 
「美桜は私の宝物なの。何かあったら、なんて思いたくないけど、本当に世の中には変な人がいるから怖いのよ」
そういってまた、わたしをぎゅっとしてくれた。
 
わたしはママの宝物。わたしもママが宝物。ママを悲しませたらいけない。
自然と涙がでてきた。
「ママ、ごめんなさい。ごめ……っ」
ママは何度も何度も優しく頭をなでてくれた。

「いいよ。分かってくれたらいいよ」
 

その日のゆで卵はボロボロの固ゆでで、その代わりにスパゲティは太くてぶよぶよ柔らかくて。
ぜんぜん、ちっとも美味しくないのに、怒られたくないから残さず食べた。
 
 *

その夜。
お風呂に入ってたママが化粧水をパタパタさせながら出てきた。
「まだ眠くないの? 夏休みだからって夜更かしばっかりしてたらダメだよ」
「ママ」
「うん?」
「パパって、どんな人だったの」
 
ママがお風呂にいる間にずっと考えてたことだった。

パパがいたら日曜日はパパと一緒に遊べたんじゃないかなとか。さっきテレビで見た親子みたいにキャンプに行ったりドライブに連れて行ってもらったりできるんじゃないかなって。
別にパパなんかいなくたって全然平気だって思ってるけど。でも、どんな人だったのか。写真も見せてもらったことない。
 
ママの化粧水のパタパタがとまった。
 
保育園のときに一度だけ同じ質問をママにしたことがある。
すごく嫌そうな顔をしたから聞いちゃいけないことだったんだって、ずっと思ってたけど。でも、そろそろ聞いてもいい気がする。リコンしてから何年も経つんだから。
 
友香ちゃんちのピアノの上には、友香ちゃんのパパとママの結婚式の写真がかざってある。2人とも今よりずっと痩せてて、かっこいい時の写真だって聞いた。きっとわたしのパパも、ママと結婚した時はかっこよかったと思う。だってママは今でもきれいだもん。
パパのかっこ良かった時の話、聞いたらだめなのかな。
 
「美桜……」
ママは嫌そうな顔はしなかったけど、急に考え込んで、しばらく何も言わなかった。
 
……やっぱりいいや。だいじょうぶですって言おうと思ったらママがやっとくちを開いた。
 
「もしかして、公園のおじさんってパパくらいの歳なの?」

パパくらいの歳って、いくつだか分からないけど。おじさんの年齢も知らないけど。とりあえず「うん」って頷いた。
 
「もしかして、パパが居なくて寂しい?」
「そんなことない」

それは断固否定しなきゃ。
パパが欲しい訳じゃない。今さら知らないおじさんに「今日からパパって呼んでいいよ」なんて言われたら絶対いや。この部屋に知らないおじさんが来るなんて、ぜったいムリ。きもい。
 
「あのね、美桜。美桜のパパはとっても……」
ママが溜息をついてから続けた。
 「とっても、いい人だったよ」

少し笑ったママの顔は、でも、少しだけ寂しそうな顔だった。
 
「うん……」
「美容師だったんだ」
「へー」
 
ママに嫌な思い出を話してもらうのは嫌だったけど、聞いてないのに仕事を教えてくれたってことは美容師だったことは嫌じゃなかったんだろうな。

「かっこいいね」

美容師だったら絶対かっこよかったと思う。お腹は出てないと思う。

「うん。かっこよかったよ」

ママがちょっと微笑んだ。
懐かしそうに。嬉しそうに。
 
だったら何で。
 
わたしは、のどの奥にあった言葉をぐっと飲み込んだ。
なんでリコンしたの、なんて聞けない。大人にはいろいろ事情があるって分かってるから。リコンしたってことは、パパが浮気したとか、殴られたとか、アル中になったとか。そういうことだよね。顔がかっこいい人は、だいたいそうだって聞いたことがある。結婚したら急に変わるって。
 
ママがそれを思い出して悲しい顔をするなら、それはもう見たくない。
 
「ママ、」
「なあに?」
ママはちょっと困ったような顔をした。
 「教えてくれて、ありがとう」
わたしがそう言うと、ほっとしたようにわたしの頭をなでた。
 

 
その日の夜、布団にもぐってからずっとパパのことを想像した。

白いレンガみたいな壁一面のぴかぴかの美容室に、緑の葉っぱがあちこちにぶら下がってる。ナチュラルなカウンターに真っ白い椅子。鏡の前に座ったわたしが、パパに髪の毛を切ってもらってる。
 
「お客さま。こんな感じでいかがですか」
パパが、わたしの後ろ髪を合わせ鏡で見せてくれる。
「えー、こんなに切っちゃったの! のばしてたのに、ヒドイ!」
わたしが怒るとパパが急にオロオロする。
「え、ごめん。美桜ちゃん、ごめんね。どうしよう」
わたしは腕を組んで、ほっぺをぷーって膨らませてパパを睨む。パパのあまりの慌てように思わず吹き出してしまう。
「ぶふふ。うっそでしたー」
「ええー。なんだよ、もう」
パパは胸に手を当てて「よかったぁ」と笑顔になる。
「パパ、なかなかカットうまいじゃん」
「当たり前だろ。美容師だぞ」
「そっか。知らなかった」
アハハとふたりで笑ってると、いつの間にかママが財布を持って立ってる。
「美桜、サッパリしたね」
鏡にうつるママが、わたしの髪型をほめてくれた。うれしい。
 
「美容師さん、ありがとうございました。おいくらですか」
ママがパパに向かって丁寧に話しかける。
「パパにお金払うの?」
笑いながらママにそう聞いて、もう一度パパをよく見たら、それは公園のおじさんだった。
ママは急に眉を吊り上げて鏡の中のわたしに言った。
 
「ばかっ!」
 
 
私は、はっとして、今、自分が、夢を見てたことに気付いた。
びっくりした……。

まだ夜だ。部屋は、まっくら。
はぁはぁ、と息を整えて、右どなりにいるママがぐっすり眠っているのを見て、安心してまた布団に横になる。
 
左どなりには、誰もいない。
ずっと。
 
リビングのエアコンは弱くつけっぱなしだけど、ちょっと暑い。汗かいた。
でも、もし。
もしママとパパにはさまれて川の字になって寝てたら、足を大きく広げることもできないだろうから。
 
だから、これが ちょうどいい。
 
わたしはまた、ぐっすりと夢の中にもぐりこんでいった。


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豆島  圭
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