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邪魔なら消してしまいましょうか【後編②】

【↑前編↑】 【後編①

「お姉ちゃん!」

「ブフアアッ、ゴホッゴホッ、ヴッ」
コーヒーを勢いよく吐き出した亜美は数回激しく咳き込み、水気を払うように汚れた両手を振って私を睨みつけた。

「海香……あんた……」

地獄から這い上がってきたような低い声だ。唾液の混ざったコーヒーが口から垂れている。血走った亜美の瞳は、私を捕えて離さない。

なに? なぜ私を睨むの。
私はその場から動けなくなった。

樹が小走りでダイニングから綺麗なミニタオルを持ってきて亜美に渡す。
「姉さん、どうしたんだよ。大丈夫か?」
そう言って背中を優しく叩いた。
亜美はゼイゼイ言いながらも手と口元をミニタオルで拭くとちょっと落ち着いたのか、樹の手を払って再びソファにどんと腰かけた。
「あー。死ぬかと思った」と呟いて天井を仰ぎ見る。

「どうしたの……お姉ちゃん」

何が起きたのかさっぱり分からない私は心配して声をかけたのに、亜美は私を再びキッと睨みつけた。
「どうしたのじゃないわよ! あんたコーヒーに何いれたのよっ」
「え? 何って……私は何も……」

樹が事態を察して、自分の席に出されていたコーヒーを手に取って匂いを嗅ぐ。
「別に……異臭はしないけど」と首を傾げると、亜美はさらに目を釣りあげて言った。
「じゃあ、私のだけ毒を盛ったっていうの?」
私に食ってかかろうとする亜美を樹が必死で止める。
「ちょっと落ち着いてよ、姉さん。海香がそんなことするわけないだろ」
樹に宥められ一瞬考え込んだ亜美は、再びはっと何かに気づいたように瑛介を見る。
「海香じゃないなら、瑛介しかいないわ。そうよ。あなた薬剤師だもんね。毒なんて簡単に手に入るわ。何入れたの? 白状しなさいよっ!」
「なっ!」
突然言いがかりをつけられた瑛介は眉を吊り上げた。
「何てこと言うんだ。俺は人を助けるために薬剤師になったんだ。毒なんて盛るわけないだろ」
「ふん。どうだか。医学部に入れないから薬学部にしたくせに」
「ふざけるな! そんな浅識で俺をはかるなよ。お姉さんこそ、桜花のこと殺そうとした金の亡者のくせに!」
「はぁ? 何言ってるの! 私じゃないわよ!」

取っ組み合いでも始まりそうな勢いの亜美の体を樹が必死で抑えると、今度は瑛介が立ち上がって亜美に掴みかかろうとする前に、桜花がその腕を引く。

なぜ。何故こうなってしまうの。
嫌だ。喧嘩する目的で集まったんじゃないのに。
私たちは、仲良くしないといけないのに。

「いい加減にして!」

私がありったけの大声を出して叫ぶと、その場の空気がピタリと止まった。
亜美と瑛介の激しい息遣いは聞こえるが、樹と桜花が手を離しても、二人が再び掴みかかろうとすることはなかった。

「そうだよ、姉さん落ち着こう。コーヒーがどうしたの?」
亜美の激しく上下していた肩が少しずつ落ち着いてくると、再び大きなため息をついてソファに腰を落とした。
「ものすごく……変な味がしたのよ」
「変なって?」
「分からないわ。でも、異常な……しょっぱさというか、苦さというか。とにかく、吐き出すほど異常だったの!」
亜美は叫ぶように言ったが、その声は弱弱しい。言った後にすっかり元気をなくして俯いてしまった。

まさか、あれだけ激高したのに「よく分からない味」程度のことだったの。
「姉さん、ちょっと神経質になっているのかもしれない。疲れてるんだよ。休んだ方がいい」
樹がいつになく優しい声を出して言うと、亜美は俯いたまま少し頷いた。
「私も、少し休みたい……」
ソファに座ったままの桜花も、お腹をさすりながら小さな声でそう言った。

「今日は、話し合いは無理ね。明日にしましょう」
亜美と樹、瑛介と桜花。その中央に立つ私がそう言うと、反対する者はいなかった。

みんなが二階に上がってからすぐ、私は桜花の傷の具合を見に行き、部屋で話を聞いた。
結局、窓を開けたら嫌いな虫が飛び込んできたので追い出そうとして落ちたらしい。激しく頭と手を振り回していたら、運悪く貧血気味だったこともあってふらついてしまったと。
兄が痛み止めの薬を持って来たので、少し状況を確認してから私は自分の部屋に引き上げた。穏やかに話をしていたので心配なさそうだ。

部屋のベッドで横になって考えを整理する。

桜花は殺されかけた。
そう思ったけれど違ったみたい。いえ、まだ分からないわ。また今晩、何かが起きるかもしれない。邪魔モノを消そうと考えるかもしれない。でもさっきの様子は……。

何かが起きたら、さすがに音が聞こえると思う。私は、もう1つのことを思案し始めた。

亜美のコーヒーカップに、何かが混入していたのなら。
もちろん私は何も入れていない。
瑛介がテーブルに並べるのを手伝ってくれたが、私が見ている目の前で何かを入れることは相当困難だ。あらかじめ掌に何か用意していたのかもしれない。
いえ、違うわ。
桜花が降りてくるのを待つ間、亜美はコーヒーを口にしている。その時は何も異常はなかったはず。だとすると、私が桜花を呼びに行き、みんなで走って外に出た間に、誰かが何かを入れた?
慌てて外に出た時、リビングから一番最後に出たのは……いいえ、亜美だったはず。

だったら一体、誰が。

窓の外は木々が激しく騒めいている。山の上はいつもこんな風に強い風が吹くのだろうか。それとも台風でも来るのだろうか。
お天気情報を確認しようとダメもとでスマホを開くけど、相変わらず「通信できません」のまま。
もし本当に、何か事件が起きたら――。
そんなことを考えながらも、歌っているような風の音を聞いているうちに、ふかふかのベッドに吸い込まれてしまった。

木々が激しく揺れ、窓をノックしている。
開けろ。
ここを開けろ。
ここを開けて、手を伸ばせ。
ここを開けて、オマエが落ちろ!

風の声が聴こえて、はっと目を覚ました。
天井のライトが煌々と私を照らし、全身にじっとりと汗をかいている。
「いつの間に、寝ちゃってた……」
落ちろと言われたのは夢だったのかと、ホッとして体を起こすと、ドアを静かにノックする音が聞こえた。
「海香? いないの? 開けて」
亜美の声だ。
窓がノックされて風が呼んでいる夢だと思ったけれど、本当に亜美がドアがノックしていた音だったんだ。私は慌ててドアの鍵を開ける。

さっきの血走った目で睨んでいた時とは違い、今度は少し唇が震えていた。
「どうしたの、お姉ちゃん」
「樹がいないのよ」
「え?」
つけっぱなしだった腕時計を見ると、もうすぐ9時。1時間ほど寝ていたらしい。
「シャワーでも浴びてるんじゃない?」
私が言うと亜美は半笑いで首を横に振る。
「1時間以上よ?」
細かく震える亜美をとにかく落ち着かせようと部屋に入れてドアの鍵を再び閉めた。
「怖くて眠れないの。樹がいいお薬でも持ってないかと思って何度も部屋を覗いてるのに、いないのよ」
「リビングは見た?」
「階段を通るのが嫌なの。だって、あの二人の部屋の前を通るのよ? 突然部屋に引き摺り込まれて、何かされたら……」
何ておかしな発想をするんだろうと思ったけど、とりあえず宥めようと努めて笑顔で言った。
「あ、出かけたんじゃないかな。コンビニまで」
「コンビニ? どこにあるのよ、こんな山奥の」
「うん。だからきっと時間かかってるんだよ。往復で……2時間かかるとして、まだ帰ってなくてもおかしくないでしょ。大丈夫。お兄ちゃん、運転上手いし」
私はとにかく、亜美を落ち着かせるのが先決だと判断した。
「いざというとき、樹も居てくれないと怖いじゃない」
「まだ9時だよ? 東京だったらこれから二件目に繰り出そうって時間でしょ」
私がそう言うと、亜美は自分のスマホの時計を見て少し考え込んだ。
「独身は気楽でいいわね……」
そう言われて言い直した。
「ほら、かいくんだって、塾に行ってる時間だわ」
亜美の大事な一人息子が何時に塾に行くのかなんて知らないけど、だいたいそんなはずだと思って言ったのが、当たったみたいだった。亜美は私を見つめ、「そうね。そうだわ」と眉を上げた。

明らかに落ち着きを取り戻した亜美を見て、私もベッドに腰を下ろした。
土気色だった亜美の頬にやっとピンクが差してきたようだ。ゆっくりと亜美が口を開く。
「さっきのコーヒーね。もしかしたら味覚障害だったのかもしれない」
「味覚障害?」
「そう」
亜美は少し申し訳無さそうに笑みを浮かべた。
「去年もあったの。病院で樹に見てもらったことがあるわ。過度なストレスがかかって急性の味覚障害が起こることもあるって」

たしかに。姉は少しそういったところがある。ラムネ一粒で風邪が治ったり、占いにのめり込んだり。そんな亜美に私は振り回されてきたけど、ある意味他人がコントロールしやすいともいえる。
「去年の過度なストレスって? 何かあったっけ」
不意に訊ねると亜美は照れ笑いを浮かべ「家族がいれば、いろいろあるわよ」といって目を逸らした。

「なんか、お腹すいちゃったな」
亜美は急に大きな笑顔を浮かべ、お腹をおさえて言った。いつもの、機嫌がいい時の顔つきだ。思わず「呆れた」と笑ってしまった。
「あ、管理人さんが朝ごはん用の食材を冷凍庫に用意しておいたらしいけど。何か作ろうか?」
私が言うと亜美は顔を顰め、「いやよ。この家に置いてあるものを食べるのは、なんか怖い」と首を振った。まだ瑛介や桜花のことを信じていないようだ。
「そうだ。だったら途中で買って来たお菓子あるよ」
私は自分の鞄からコンビニで買ったお菓子を出して机に並べた。

のど飴、たけのこの里、ポッキー、午後のミルクティー。

どれも亜美が食べたいと言って買い物かごにポンポン入れたもの。私の好みの味はひとつもない。なのに「このコンビニのポイントカード、持ってるでしょ。海香が貯めていいよ」と一見恩着せがましい言い方をして先に店を出てしまう。
亜美の家の方が収入は全然多いのに。「うちは子供がいるからお金かかって大変」と言えば済むと思ってる。

ポッキーの箱を乱暴に開けて亜美に手渡し、私は耳を澄ませる素振りを見せた。
「お姉ちゃん。いま車の音がしなかった?」
「車? 聞こえなかったわ。樹が帰ってきたのかしら」
「ちょっと、下に降りて見てくるね」
そう言って机の上に置いた《午後のミルクティー》を手に取り、「これ、あっためたほうが落ち着くかも。レンチンしてくる」と声をかけて部屋を出た。

キッチンのマグカップにミルクティーを注ぎ、電子レンジのスイッチを入れると小さな電子音だけが響く。

小窓の目の前にガレージが見える。キッチンの真上は亜美の部屋。

外は真っ暗だけど、二階からでもガレージは見えるはず。樹が部屋に居ないと知ってから、車で出かけた可能性を全く考えなかったのかしら。
私が「コンビニに行ったのかも」と言ったのをあっさり信じたのだからガレージを確認していなかったのだろう。亜美は自分で深く考えることをせず、すぐに周りの人を頼る。昔からそうだ。

いま、亜美が居る私の部屋からは、ガレージは見えないはず。
朝までずっと私の部屋にいてもらう。

夕方ここに到着した時からずっと、防犯センサーの赤ランプが点滅を続けている二台の高級車。

2階に戻ったら、さっきの音は車が戻った音だったと言っておこう。そして、帰ってきてすぐにお風呂に入ったと言っておけば亜美はきっと安心して眠る。

私は軽く温めたミルクティーに「グッスリ眠れますように」と呪文を唱えながら、わざわざスプーンを取り出してよくかき混ぜた。

【後編③】へ続く→→

#邪魔消し


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