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残夢【第一章】⑤雑談

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結局近堂は多くを語らないまま送検され十日間の拘留が決定した。簡易的な精神鑑定でも何も問題は見つからなかった。
その後も変わらず黙秘を続けるため「空気を入れ替えてこい」と係長に言われ取調べ室に向かった山下遼太朗は、わずか十五分程度で戻ってきた。
 
「雑談でいいとは言ったが随分早すぎやしないか、山ちゃん」
係長が少し眼鏡をずらし上目遣いで山下を軽く睨んでいる。
「めっちゃ温めてきましたよ。きっと近堂ひろ子は今から全部話します」
「山ちゃん、その自信はどこから来るの」
隣の席の小池さんは下腹をさすりながら笑って山下に尋ねた。
 
山下は二年の交番勤務を経て今年鳩巻署の刑事課に配属されたばかりの巡査、俺と組むことが多い。叔父が今年から県警の刑事部長に就任していて父親もキャリア組。だがその家系を継ぐと期待されているのは年の離れた長男らしく、次男坊の本人は人懐こい笑顔と裏表のない性格で課内みんなに可愛がられている。
 
「すごい盛り上がっちゃったから嶌村さんに今替われって言われたんですよ。ほんとですって」
自信満々の声をあげる山下の後ろから部屋に入ってきた藤岡華乃が眉根を寄せて補足する。
「すごい盛り上がったワケでもないですけど。和んでたのは事実です。そろそろ観念してくれるといいんですけど」
結婚・出産を「早めに済ませた」と公言している30代半ばの藤岡は、近堂と同世代と言えるが、その藤岡相手でも近堂は口を閉ざしたままだった。
今日になってやっと和んだという藤岡の言葉を聞いて係長が軽く身を乗り出してきた。
 
「どんな話したんだ」
「えっとですね。『山さんみたいな刑事にカツ丼とか奢ってもらえると思いましたか、でもだめなんです。取調べ中は飲食禁止なんですよ』とか」
「カツ丼に反応したのか」
係長は真剣に山下に尋ねる。
「いや、してないです」
「してないのかよ」と隣のデスクの小池さんがツッコミながらパソコンに向かう。
 
「でもでも聞いてくださいよ。『山さん?』って聞き返したんです。だから山さん興味あるのかと思って、太陽にほえろのジーパンとかマカロニの話をしたんです」
「マカロニのほうが好きってか」
係長は半笑いで再度山下に尋ねる。
「まあ、結局そこは無反応だったんですけどね」
「無反応かよ」と小池さんはパソコン画面から目を離さず吐き捨てるように言った。
 
「いやいやいや『うちもみんなあだ名あって、今日の取り調べはジェントル嶌村です』って言ったら『ジェントル?』ってにっこりしたんです」
へえ、と小池さんが少し顔をあげる。俺は山下の話の続きを待った。
 
「嶌村さんって優しくて紳士的で何でも聞いてくれる安心感がありますよね。だから被疑者はみんな落ちちゃうと僕は思うんです。ジェントルマンなのでジェントル嶌村」
「それで?」係長が苛立った口調で山下に聞く。
「あ、それからケンさんは『現場保存の鬼』って紹介して」
山下の言葉にその場にいたもの全員が「ああ」と納得の声をあげた。
 
俺がそんなアダナをつけられ、しかもみんなの同意を得るとは意外だった。俺は基本を守っているだけだ。別に鬼ではないと言いたかったが、そこで藤岡が話を遮った。
 
「でも私の話でめちゃめちゃ機嫌悪くなりましたよね」
「そうなの? 華ちゃんは何てアダナ?」と小池が尋ねると「『分別ブンベツの華』です」と山下が自慢げに答える。
 
これも一同が「ああ」と納得した。ゴミの分別に目くじら立てて怒る藤岡華乃の姿は誰でも目に浮かぶ。
「だいぶ失礼なアダナですよね。分別するのはアタリマエですよ?」
藤岡は両手を組み、怒りを表明しながら話を続ける。
「でも近堂は、そのアダナで機嫌が悪くなったわけじゃなくて、山下君が『強行犯係の紅一点』って言ったときに怒ったんだと思います」
「紅一点? ああ、華ちゃんに嫉妬したってことか」
小池さんは俺の顔を見てにやりとした。
 
またその話か。
 
昨晩も遅くまで山下が俺と近堂との繋がりを調べていたようだが、結局接点は何も出てきていない。冗談じゃない。嫉妬などするわけない。
「いえ。嫉妬じゃないと思います」
意外にも藤岡は俺と同じ考えのようだ。
「嫉妬だったら私を睨むと思うんです。でも、山下君を睨んでましたから、ね?」
「え。そうでした? 僕、華乃さんのあだ名を絞り出すのに必死で、そこまで気づきませんでした」
 
おいおい雑談だって重要なんだぞ、ちゃんと見ておけと俺が嗜めると係長も声を張り上げ「山ちゃん、どこが『あっためてきましたぁ』なんだよ。まったく」と嘆いた。
 
小池さんが「俺のあだ名は何だ」と声を飛ばす。
山下は天井を見ながら「えーっと、鳩巻の、あ、鳩巻のVaundyバウンディですよ」と言う。
藤岡が「違いますよ。山下君は小池さんのこと鳩巻の鶴瓶って言ってましたよ」とすかさず訂正する。
「なんだよバウンディって。なんのキャラだよ」
「なんだ小池さん、Vaundy知らないんすか。褒めたつもりなのに。損した」
「正確には『いつも取り調べにくる小池さんは、バウンディきどりの鶴瓶ですよ』って山下君は言ってました」
藤岡がそうチクると、あちこちから小さな笑い声が漏れた。
 
鳩巻署は県内でも凶悪犯罪件数が極めて少ない。
平和な笑いに包まれ、一瞬今抱えている事案をすべて忘れてしまいそうな空気が流れる。
 
俺は今までこんな雰囲気の署を経験したことがない。
この署も人口減少と共にそのうち「交番」に降格するのかもしれないが、結婚してから、いや、せめて子供が産まれてからこの署に異動が決まっていれば離婚するような事態に至らなかったかもしれないなどと詮無いことまで考えた。
 
「山ちゃん、結局、近堂とポケモンキャラで盛り上がったのか」
「小池さん、Vaundyはポケモンじゃなくて人間です。でも、近堂も知りませんでした。芸能関係には弱いみたいですね」
 
「じゃ山下、一体どこで和んだんだ。さっきから聞いてたら全然じゃないか」
 
俺が笑いながら尋ねると山下は急に真剣な顔を俺に向けた。
 
「いきなり笑い出して暫く止まらなかったのは」
そこまで言って山下の表情が固まる。
 
確認するように藤岡と目を合わせ、決意したようにもう一度俺を見る。
 
「笑ったのは、ケンさんのことを『現場保存の鬼』って言った時です」
 
近くにいた全員が俺の顔を見た。
 
背中を見せて座っていた仲間も無表情に振り返る。さっきまで笑っていた藤岡の目が鋭く俺を刺す。話に加わっていなかったはずの刑事課長とも目が合う。
 
換気のために開けていた窓からの風が止まった。デスクの上を舞っていたホコリたちが写真のように浮いたまま固まっている。
自分だけが動いている世界。
仲間たちの白い瞳が俺を刺したまま動かない。
 
なぜだ? 俺が一体何をした。なぜ一斉に俺を見る?
うなじに汗が噴き出る。
 
「お」
 
一音だけ発して右手を前に出したと同時に、高い警報音が鳴り響き無線のスピーカーから音声が流れた。
 
【本部から各局。前崎東署管内で傷害容疑事件発生。本日九時五十分頃、マル被は前崎市本町×××付近において男性二名を切り付け現場から南進、徒歩にて前崎東駅方面へ逃走中――】
 
一瞬の騒めきと静寂。署内に緊張が走る。事件発生は隣の署管内だが駅を超えればうちの管内に入る可能性もある。
 
【マル被にあっては身長一五○センチ程度、女。ベージュのコート、黒スカート着用。目撃者マルモクによると被疑者マルヒは刃物を複数所持しているもよう。確保にあたっては十分に注意され――】
女による刃物での傷害事件発生か。
 
「まただ」
 
複数の視線が一瞬にして絡み合う。おそらく考えていることは同じだ。一連の傷害事件とうちで捕まえた近堂は全く無関係だと確定したか。それともこれも別の事件か。
 
俺はコートを掴んで部屋を出た。山下は何も言わずともついてくる。
マル被確保のためか、先ほど俺に向けられた仲間たちからの厳しい眼差しから逃げるためか。俺がマル被を追うのか俺が山下に追われているのか、分からない。
 
分からないまま、俺は振り返らずに駐車場へと走った。


「子供」へつづく ▶


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豆島  圭
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