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いかのおすし⑦ 【3時間目】

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《美桜》

「来週から学校だね。そしたら、この公園までは来ないよね」

いつもの桜公園に着くと、友香ちゃんが自転車を降りてそう言った。わたしはヘルメットをかぶったまま水筒の麦茶をがぶ飲みして「そだね」と返事した。
 
6時間の授業のあとに遊びにくるのはちょっと遠くて大変。土曜日はどうかな。友香ちゃんとはいつでも遊べるけど、でも、ここで何度も遊んだアンや、おじさんに会えないと思うとちょっとだけ寂しい気もした。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
「あ、いたよ」
 
公園のトイレ近くで、四つ葉のおじさんがスマホで誰かと話をしてた。丁寧な言葉で「はい、はい」と頭をポリポリかきながら話してて、わたしたちがいることに気づいていない。

友香ちゃんがイタズラっ子みたいな顔で、シーッって言いながら、こっそりおじさんの後ろに立つ。おじさんが「はい、では。失礼します」と電話を切ったところで、二人でせーの「わっ!」とおじさんの背中をポンと叩いた。
 
「わあぁぁっ。びっくりしたぁ……」
友香ちゃんが、きゃっきゃ、ひっかかったと大笑い。
わたしは、おじさんが怒りだしたらどうしようかと思ったけど、おじさんも「なんだよ、もう」と笑ってくれて安心した。

「今日あたり、いると思った。前に会ったのも火曜日だったよね」
友香ちゃんが笑いながらそう言った。
よく曜日なんて覚えてるな。
「ああ、そうかな。月火と仕事が休みだから」
「あ。もしかして美容師さん?」
友香ちゃんが言うと、おじさんはちょっとびっくりした顔をした。
「なんで?」とわたしが友香ちゃんに聞いた。
パパが美容師だったっていうママの言葉を思い出して、なんだかドキドキした。
「だって美容師さんは火曜日お仕事休みなんだよ。あ、床屋さんかな」
友香ちゃんが当たり前って顔で言った。
 「うーん。どうかな」と、おじさんは首をひねって笑った。
「今日も遊べる? バドミントン持ってきてないんだけど。アンがいないと水風船もないし、何しよっか」

え。おじさんと一緒に遊ぶの。それはダメって言われてるからヤバイな。でも友香ちゃんが誘ったんだからね。私が遊ぼうって言ったわけじゃないから、しょうがな……
 「いや、今日はもう帰るところだよ」
「えーっ」
友香ちゃんが大きな声でガッカリする。私はちょっとだけホッとする。

「今度、遠くに引っ越すことになってね」
「え、どこ?」
「宮城県。仙台ってところ」
「宮城県……牛タンだ!」

友香ちゃんは学校で習ったばかりの名物を言った。おじさんは「そうだ!」って言って、自分の舌をベローンと出して白目むいた。やだーきもーい、とふたりでちょっと逃げる。
「あはは」
おじさんは、追いかけてこない。
わたしたちから、またおじさんに近づく。

「引っ越したら、もうここには来られないな。俺、この公園が好きでさ。桜が綺麗だったから」

そう言って目を細め、青々とした桜の木を見上げた。

「知ってる。私たちも桜さいてるときに来たことある」
わたしが言うと、おじさんはにっこり微笑んだまま、わたしを見た。
「そっか。じゃあ、一緒に同じ桜を見たんだな」

「おじさん、いつ引っ越すの?」
友香ちゃんは興味しんしんで聞く。
「10月くらい」
「なんだ。まだまだ先じゃん。それまで遊ぼうよ」
友香ちゃんはまたバドミントンを教えてもらいたいのか、そう言っておじさんを引きとめた。
 
「いろいろ忙しいから。もうここの公園には来ないと思う」
 おじさんは、くちをへの字にして友香ちゃんに言ったあと、わたしの方を見てにっこり笑った。
 
なんだか、ドキっとした。

おじさん、よく見たらかっこいいかもしれない。
最近ヒゲをはやしはじめた、ドラマの、あの俳優さんに似てる。何て名前だったっけ。ママの好きな俳優さん。
 
「でも、君たち」
おじさんは急に真面目な顔をして言った。
「いいかい? こうやって知らない人に話しかけられても、一緒に遊んだりしたらダメなんだよ」
さっきまで楽しかったのに、突然ママみたいなことを言う。ヤレヤレ。
 
「知らない人じゃないじゃん」友香ちゃんが言った。
「いいや。君たちは、おじさんのこと何にも知らない。そうだろ? おじさんが怖い人だったらどうするんだ」

「おじさんは、怖い人じゃないよ。悪い人じゃない!」

わたしが言ったら、おじさんはびっくりした顔でピタっと動かなくなった。
「……でしょ?」
わたしが確認したら、背筋をぴんと伸ばして上を向いてしまった。どんな表情をしてるのか分かんない。ゆっくりと顔を下に向けて、わたしと目を合わせて少し笑った。
 
「ありがとう」
 
え? おじさん、もしかして泣いてる?
いや、そんなわけないか。大人なんだから。だけど泣いているのかと思ったくらい、ちょっとだけ声がふるえてた。
 
そして続けて言った。
「この公園はさ、桜まつりとか夏祭りとかやっているときはいいけど、それ以外は人が少なくて。川もあるし、危険だと思うんだ」
突然、何を言い出したのか、よく分かんなくて、ぽかんとした。

「だから、人が少ないときは遊びに来ないほうがいいかもしれない」
「そうなの?」
おじさんは、しっかり頷いて「今日は、もう帰りな」とにっこり笑った。
「え、もう?」

「俺は」と言ってから、「いや、おじさんは」と言い直した。
 
「君たちのことは何も知らない。偶然会って、ちょっと一緒に遊んじゃったけど。ごめんな。名前も知らないし、聞かないよ」
「なんでですか」
「だって、こんなおじさんが小学生の女の子と仲良くして個人情報を聞いたら変だろ? 分かるか? コジンジョウホウ」
 
友香ちゃんはきょとんとしてる。
個人情報という言葉は、わたしたちだってよく知ってる。ぺらぺら喋ったらダメなんだって、みんな知ってること。

おじさんにそれを言われるのは何か変だなって思ったけど。でも、おじさんの言っていることが分かる気がする。
そして「ほら、おじさんは全然変な人じゃないでしょ?」ってママに大声で伝えたい。
 
「あたしたちの名前を知りたいの? 言ってなかったっけ?」
友香ちゃんがペラペラしゃべりそうな勢いで話し出すのを、おじさんが必死で「ちがうちがう」と笑って止めた。
 
「いいか、俺は知らないおじさんです。知らないおじさんに遊ぼうとか言われたら、普通怖いだろ。話しかけられたら逃げろとか言われないか? そういうお母さんは、正しい。よく言うことを聞くんだぞ」
友香ちゃんは何か言いたげで、「えー、でもさぁ」と口を開きかけたのを、おじさんが制した。
 
「お母さんは!」
さっきよりはっきりと、強めの言い方だった。
 
「君、君のことが、大好きなんだ。すごく大切に思ってるんだから。いいか、忘れんなよ」
 
おじさんは「君」のところで、わたしと友香ちゃんそれぞれに指をさして言った。
 
ママの、何がどう正しいのか分かんないけど。
おじさんにそう言われたら、そうなのかな、って気がした。
「うん。わかった」
友香ちゃんより先に、わたしが返事をした。
おじさんは、満足そうな顔で、笑ってうなずいた。

 
おじさんにせかされて、さっき脱いだばっかりのヘルメットをまたかぶって自転車にまたがって、漕ぎ始めた。
道路を渡るときに自転車をとめて足をついた。何となく気になって後ろを振り返ったら、おじさんはまだこっちを見てた。
友香ちゃんが止まらずどんどん進んじゃうから、わたしは手も振らずに前を向いて、また自転車をいっしょうけんめい漕いだ。
 
あんな優しい人がパパだったらいいのにな。
 
一緒に遊んでくれて。困ったときは助けてくれて。ママはダメって言ったけど。絶対変な人じゃないのに。
怖いことも、嫌なことも、なんにもなかったのに。
 
怖い顔をしてて、くさいにおいがした、いつかの知らないおばあさんには「優しくしてあげないとかわいそう」なんて言うのに、親切でよく遊んでくれる友達のパパみたいな優しいおじさんとは「遊んじゃいけないに決まってる」なんて。
 
そんなの、矛盾してる。
 
おばあさんは、どこの誰だか知らないけど。
おじさんのことは知っている。
さっき電話で自分の名前を言っているのが聞こえてた。
 
名前は、ナカジマさん。
お仕事は、美容師さん。

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豆島  圭
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