見出し画像

小説/金曜日のアジフライ【マイピリ①】

「金曜日はアジフライ 30 円引き!」
店頭の立て看板に書いた文字は、もう暗くて読めない。今日、ラミネートして貼り付けたばかりのアジフライの写真が、風に吹かれて今にも剥がれそう。

商店街から一本脇に入った惣菜屋「揚げたてアフロ」で本格的に働き始めてから3か月。
コロッケとトンカツは商店街の1等地に立つチェーン店に勝てないから、魚をウリにしよう、と先週提案してみたものの……。
「やっぱり立地が悪いんだよなぁ」
と、ため息まじりにひとりごちる。

商店街のスピーカーから流れる楽し気な音楽が余計に侘しい。
主婦のお買い物タイムはとっくに終わった。仕事帰りの若者はお弁当の袋を下げて大通りをまっすぐ進む。
はぁ。今日のお客さんは、あとひとりだけかな。

私は後ろの厨房にむかって声をかけた。
「もうすぐ沙綾が買いに来る時間だからさ、コロッケ揚げる準備お願いね」
返事の代わりに、奥の和室から仏壇の鈴の音が2回聞こえる。
「お父さん、聞こえた? もうすぐいつもの――」
「ばかやろう。そこに立ったら大将と呼べって言ってるだろうが」
聞こえてるなら返事くらいしてよ、と言うとアフロヘアの大将がサンダルを履いて厨房に立った。
「ちょっと、バンダナ巻いてよ。髪の毛気を付けてねっ」
大将は「はいはい」の後に「優香は母ちゃんよりうっせぇな」とぶつくさ言って手を洗う。

そもそも惣菜屋の店名に「揚げたてアフロ」はない。
隣の理容室「バーバーふらい」のオヤジと、お互いの繁栄を願ってつけた店名らしい。そういう結束、ほんと無駄。
船出を祝った30年前からずっと座礁しているってそろそろ気付いて欲しい。
そんなことを考えながらコロッケを包む紙を18枚用意していると、自転車のブレーキ音が響いて目の前で止まった。沙綾だ。

「いらっしゃい。寒い中ありがとね」と声をかけると、とんでもない、と白い息を吐きながら自転車のスタンドを立てる。
「バイト先から晩ごはん抜きで稽古場に来る人が多いからさ。コロッケ一個差し入れるだけで、ぜんぜん違うんだよね」

沙綾は手袋を外してカウンターに寄り、脇の壁に貼られたポスターに気づいて声をあげる。
「嬉しい。今度の3月公演の、貼ってくれてるんだ」
「もちろんだよ。幼馴染が女優デビューだなんて嬉しいじゃん。今度サイン書いて。飾るから」
「やだ。こんな小さな劇団、誰も知らないって」
沙綾が恥ずかしそうに笑う。

「いやいや。入団して間もないのに主役なんてすごいよ。昔から、オーラがあったもんね。絶対大物になるよ」
私が大袈裟に褒めると、化粧っ気のない、まだ学生のような顔立ちの沙綾の瞳に僅かな翳りが見えた。何かまずいことにでも触れただろうかと話題を変える。

「あ、あれは大丈夫? なんだっけ、ほら新型の病気。大型船から感染者出たってニュースやってたけど」
「ああ、サーズ、じゃなくて……新型コロナだっけ。横浜の話だし。大丈夫でしょ」
「ならいいけど。じゃ、コロッケすぐ揚げるね」
「あ、待って」
沙綾は、カウンターの上に今日から置かれた「金曜日はアジフライの日」のPOPをじっと見つめて「美味しそう」と呟く。
「さすが沙綾。母の故郷の長崎から特別に取り寄せてる鯵なの。超ふわふわでサックサク。旬じゃないけど絶対おいしいから食べて。金曜日はお買い得!」
18枚も売れたら今日の分は完売で大成功だ。私は一気にまくしたてた。

沙綾が下唇を噛んで「うーん」と考えていると、長身の男性が「沙綾ちゃん?」と声をかけて近づいてきた。
「あれ、西村さん。今日は早いですね」と沙綾が反応する。
「うん。バイトが早く終わった。差し入れ、いつもここで買ってたんだ。友達の店って言ってたよね?」

西村さんとやらが「こんにちは」と頭をさげながら狭い軒下に入ってくる。
「この店だったのか。いっつも沙綾ちゃんが持ってきてくれるコロッケが本当に美味しいって、みんな楽しみにしてるんですよ。あ、アジフライも美味しそう」

お。西村、ナイスアシスト。きっといい人。
「そう。めちゃ美味しいです。いかがですか?」
私はコロッケを揚げようとしている大将に手のひらでストップをかけ、正式な注文を待った。
「あ、でも魚だ」
西村さんが残念そうな顔で、当たり前のことを言った。
「誰か魚嫌いがいるんだよ。打ち上げで刺身も出ないもんな。アレ辛いよな。揚げ物ばっかだもんな。誰だよ、魚がムリとか。おこちゃまかよ。いいよ買っちまおう。たまには違うのもいいよ」
それを聞いた沙綾が「でも」と戸惑う。
「まさか沙綾ちゃんが魚ダメ?」
「いえ、私は大好きですけど。でも、差し入れは座長のお金だし……」
「そっか。コロッケの方が安いか。じゃあ差額は俺が出すよ。今日バイト代でたんだ」

いいぞ、西村。ナイスバイト。
大将も厨房から身を乗り出して待っている。私はもう一押しの声をかけた。
「座長さんも、今日はアジフライのくちだと思うなー」
知らんけど。

拳を握って注文を待つ私の前で、沙綾はそれでも首を傾げて顔を引き攣らせた。
「まさか、その座長さんがお魚嫌い?」
私がふと口にすると、沙綾が気まずそうにうなずく。
西村さんが目を見開いて声をあげた。
「そうなの? うわー。俺、何年も一緒に居て知らなかったわ。沙綾ちゃん、よく知ってたね。じゃあコロッケにしておくかぁ。あの人怒らせると怖いもんな」
コロッケvsアジフライで、いい大人がそんなに怒るとは思えないけど……仕方ない。コロッケが売れるだけでも良しとするか。

私が「大将、コロッケ18……」と厨房に向かって言ってから「今日も18個でいい?」と沙綾に確認する。
「待って」
沙綾が珍しく大きめの声をあげた。
長めの前髪の下から覗く瞳が、いつもより強い。でも声は僅かに震えていた。
「ア、アジフライ……ください。18枚!」
背後から「オッケー、アジフライよろこんで!」と大将のご機嫌な声が飛ぶ。
「いいの?」
「うん。いいの。優香のお母さんにはお世話になってたし」
「なにそれ。そんなの気にしなくていいのに」と笑うも、沙綾は笑わない。

ジュワッ ジュワッ

フライヤーにアジが威勢よくダイブする音が響く。
西村さんとやらが心配そうに言った。
「沙綾ちゃん。座長って優しそうな顔してるけど結構ネチネチするよ。それで劇団やめていく女の子もいるし、大丈夫?」
アジフライ用のパックを用意し、たかが揚げ物でネチネチ言うなんて小さい器だ、よく座長が務まるなと思いながら、二人の会話に耳を傾ける。

「私、小学生の頃、よく優香のおうちで晩ごはんをご馳走になってたんです」
沙綾は唐突に昔話を始め、私に「ね?」と同意を求める。
「ああ、うん。懐かしいね」
「優香のお母さんのつくるアジフライ、めちゃめちゃ美味しくて。うちでは食べたことなかったから。しっぽまで食べた」
「あはは、そうだったね」
「優香のお母さんには、色々教わった。劇団に入ってすぐの頃もね、すごい応援してくれた。自分の能力を信じなさいって。大丈夫だから。安売りしちゃだめって」
「安売り?」
西村さんが聞き返す言葉で、私は手を止めた。

母の自慢のアジフライ……値段を下げるのに大将が反対していた理由はそれだったのかしら。私は母の教えを無視しているんだろうか。
でも、まずは、ひとりでも多くの人に食べて欲しいし。
うーん。

考え込んでいると、沙綾が西村さんを見上げてハッキリと言った。
「西村さん。そもそもコロッケ買ってこいって言われたわけじゃないんです。みんなが喜ぶものでいいけど、僕はコロッケがいちばん好きかなって」

うわ、という心の声が、西村さんの実際に発した声と重なった。
「うわ。やらし。座長、そういうとこあるよね」
「でも、たかがコロッケで一週間がんばったご褒美として奢ってやるとか、僕のおかげで君がどうこうとか。恩着せがましくて、ちゃんちゃらおかしいですよね」
沙綾が語気を荒げると、西村さんが両眉をあげる。
「沙綾ちゃん、意外と言うね」
私も「たかがコロッケ」の部分には突っ込みたかったけど、そんな雰囲気じゃないことに気づいてやめた。

「私は、実力で役を勝ち取ったつもりです。公演初日まであと1か月半、死に物狂いで仕上げます。自分が、後悔しないように」
沙綾の声が震えてる。

ジュワ、ジュワワ

次から次へ、もくもくと鯵がダイブする音で、沙綾の緊張した息遣いも掻き消されていく。

どうしたんだろう。
劇団に入団した当初、小道具をつくるのも、こうやって使いぱしりさせられるのも、それでも昔からの夢が叶って幸せだと目を輝かせていた沙綾。
昨年の夏ころから何となく沈んでるとは思ったけど。うちはうちで母のことで手一杯で気にかけてあげることができなかった。
何か、あったんだろうか。

西村さんも何かを察したのか、真剣な面持ちで沙綾に向き直った。
「俺は、沙綾ちゃんの演技、認めてるよ。もちろん足りないところも多いけど、それも含めて今回の役に合っているから選ばれたと思ってる。つまらない妬みとかやっかみがあっても、気にしなくていい」
沙綾が下を向いて、そうじゃなくて、と呟く声が「もうすぐ揚げるよ」という大将の声に搔き消された。

沙綾は唇をきゅっと引いて「いくらですか」と私に尋ね、ポケットに手を入れる。
「あっ! やだ。自分のお財布持ってくるの忘れちゃった。預かった二千円しか持ってない。どうしよう。差額は西村さんお願いできますか」
西村さんは「ええー」と囁くように叫びながら財布を取り出す。
「すみません。でも西村さん、今日はみんなに感謝されますよ」
「たかがアジフライで?」
オイお前らいい加減にしろよという私の心の声は、大将の「揚がったよ」の声に掻き消された。

トレーに山盛りのアジフライを見た西村さんが目を輝かせて大声をあげる。
「うわマジ、うまそー。今、一個食べてもいいっすか? デカッ。沙綾ちゃん、稽古場まで歩きながら半分こしない?」
「え、いま食べたら1枚足りなくなっちゃう」
「座長のぶんはコロッケにしよう。沙綾ちゃんが睨まれたら責任感じちゃうよ。コロッケ1個、追加で」
西村さんの注文に「すぐ揚げますね」と返答する私の声を遮り、沙綾が「ううん。こっちので充分」と、カウンターの中にある残り1個の、2時間前には揚げたてだったコロッケを指さした。
「そうだね。たかがコロッケだもんね。こっちので充分だね」と言うと沙綾が目を見開く。
「やだ。ここのコロッケは冷めてもめっちゃ美味しいから充分ってこと。たかがコロッケなんて誰が思うのよ、そんなこと言っちゃだめだよ」
すっとんきょうな声をだす沙綾に、お前らだよ、という心の声が出かけたけど、彼女のどこかふっきれたような清々しい顔が、それをもみ消した。
今の沙綾は、輝いている。

「じゃ、稽古がんばってね」
「うん」
「また来週も来ます」
「はーい、いってらっしゃい」
カウンターを出て、紙に包まれたアジフライをはふはふ言いながら頬張る二人の背中を見送った。

商店街の音楽が心地よく流れる中、立て看板に貼っていた「アジフライ」の写真を丁寧に剥がす。
これはまた大切にしまっておこう。

金曜日の朝が来るまで。




この話は、白鉛筆さんの「水曜日の僕」を読み、感動のあまりに書いてしまった小説です。

「マイピリ」企画で初めて知った、2022年の作品でした。
「マイピリ」とは、こちらの企画のことです。↓

ん?

この企画で二次創作とかスピンオフとかってアリですか?
いやいや、うっかり書いちゃうくらい、それだけ感銘を受けたんです。いや、ほんとに、ごめんなさい。悪い癖です。そして本家より長いという大失態……。

反省はしているが後悔はしていない

白鉛筆さんの作品は、とても静かでいて、それなのに、その奥に滾る想いが込められている、といつも感じます。
愛情だったり、怒りだったり、悲しみだったり。

現実に多くの人が、表面的には普通に、なんてことないって表情で、いつものように、毎日を過ごしていて。
これと言った大きな事件がなくても、人生最高の日じゃなくても、それでも、すべての人の毎日に、何かしらのドラマが生まれているんだよな、って思えるような。

そんな気持ちを味わわせてくれる作品が多いです。

「水曜日の僕」も、そうでした。

「金魚」のお題から、こんな話、ふつう思いつきます??
いや、もう、金魚を見る目が変わるわ。

ということで、私の「#マイピリ①」として挙げさせていただきました。

白鉛筆さんの、この作品に触発されたかた、こちらの曜日がまだ空いてます(空いてるのか?)

👉 月曜日火曜日水曜日木曜日、金曜日、土曜日、日曜日


長くなっちゃってすみませーん。
他の「マイピリ」は、普通に感想やおすすめポイントを書いて投稿しまーす。

いいなと思ったら応援しよう!

豆島  圭
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。