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いかのおすし②【朝の会】

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《美桜ママ》

「みなさん、覚えましたね。大事なのは? せーの」
「い・か・の・お・す・しー」
はいよくできました、ではさようなら、と『サイバー犯罪対策室の警察官』と名乗っていたパンツスーツの女性が児童に手を振りながら体育館後方に進む。プロジェクター画面がはっきり見えるようにと体育館の二階の窓は全て暗幕が閉められていたけれど、先生が体育館の鉄の扉を大きく開けるとパッと明かりが差し込んできた。
 
4年生、全クラス合同の授業参観。
プロジェクターにはまだ「いかのおすし」の標語がうっすらと映し出され、頼りなげに風になびいている。
 
知らない人にはついて「いか」ない
知らない人の車には「の」らない
あぶないと思ったときに「お」おきな声をだす
あぶないと思ったらその場から「す」ぐに逃げる
何かあったときには大人に「し」らせる
 
なるほど。イカ好き日本人には耳馴染みの良い、覚えやすい標語なのだろう。海なし県のうちの娘はイカよりサーモン命だけど。

途端に騒がしくなった体育館で、私はひとりぼんやりしていた。
子どもがきちんと体育座りしている後方で、パイプ椅子に座った母親たちは警察官の講義中もずっと旦那の愚痴やパート先の不満に興じていた。講義終了で市民権を得たおしゃべりはボリュームを増し、今度は講義内容についての主張も混ざり始める。
――どっかで聞いた話ばっかりだったね。
――結局、家庭で話し合えって。めんど。
家庭ごとのリテラシーやモラルによって感想が異なるとはいえ、愚痴であることに違いはない。

上の子のクラスLINEがいっつも荒れてんの。うちも。昨年みたいなイジメ自殺とか、ほんと勘弁。えっ。そんなのあったっけ? 未遂だね。不登校の子でしょ。誰? 誰? 
 
「えー。保護者の方へ、ご連絡です。このあとの学級懇談会に参加される方は3時に各教室にお集まりください。児童が先に教室に戻って帰りの会をします。保護者の方は少しこちらでお待ちくだ――」
学年主任の先生がマイクを使って「少しこちらでお待ち」と説明している最中にも、後方の椅子に座っていた親たちはパタパタとスリッパの音をたてて体育館から出て行く。
 
私もこの光景にすっかり慣れた。
毎学期行われる授業参観に、普通・・の母親ならパートの都合をつけて来る。いつもお世話になってるママ友には御礼を言いたいし、情報共有しておかないと、知らぬ間に自分が影響力のあるママさんのストレス発散対象になっていたりしたら大変。
 
「美桜ちゃんママ」
子ども達が先生に連れられてゾロゾロと体育館から出て行くのをなんとなく眺めていると後方から突然声をかけられた。
「あれっ。吉田さん、どこに座ってた?」
「うん、一番前。あ、あそこ、美桜ちゃん歩いてるよ」
登校班が同じ吉田シュウト君のママが、私の娘を見つけて指を差す。私が娘に向かって手を振ると、きょろきょろしていた美桜も私を見つけ、ニッコリして振り返してくれる。
 
よかった。私が学校に来ることを美桜が喜んでくれるとホッとする。「絶対来ないで」って反抗期まで、毎回必ず見に来よう。
 
「ね、学級懇談会、出る?」吉田さんが私に聞く。
「うん。担任がどんな先生だか知りたいし」
「そうだね。あ、しゅうー!」
吉田さんが張り切って息子くんに手を振ると、一瞬目があったようなシュウト君は、逃げるように体育館出口に向かう。
「ちぇ。あいつ、さいきん反抗期なの」
眉間に皺を寄せて顔を見せる吉田さんに、ふふ、と笑みを返した。
 
 
昨年、大規模の新興住宅が建ったせいか、県の方針で外国人労働者が増えたせいか、人口減少が続く田舎なのに児童数が結構多い。美桜の学年は4クラスあるけれど、それぞれ35人近くの児童が在籍している。
でも、懇談会となると1クラス10人も集まれば多いほう。
 
懇談会といっても、担任の先生が子供たちの「普段の様子」と称した、「よそいきの話」を一方的にしゃべるだけ。中学受験を念頭に先生と仲良くしておきたいとか、発達に不安があるから個人的に相談したいとか、何かある人しか参加しないのかも。
 美桜は三月後半に産まれたから、入学したての頃は他の子よりひと回り小さく、勉強も運動もできないことだらけで悩みも多かった。今はそんなに周りの子と大差ない気がするけど。

私たちは4年2組の教室に入る。
「本日はお疲れ様です。あらためまして。担任の高橋です。この学校に久しぶりに戻ってまいりました。このままこちらで定年を迎えるかな、と思っています」
 
子ども用の小さい椅子に座った私たちを前に、先生はにこやかに話を始めた。自分の息子の席に座った吉田さんは、机の中や横のフックに掛かっているサブバックの中身を「点検」しはじめている。
 
「お母さん方は、本日の警察の方のお話、どうでしたか。最初『スマホを持っているひとー』って問いかけに、半分くらいの子が『はーい』って手を挙げていてびっくりしてしまったんですけど。3年の終わりに児童に聞いたときは、ほとんどの子が持っていないって答えたらしいんですが。でも、SNSはまだあまり利用していないようですね。ひと安心しました。皆さんのおうちは、どうですか」
 
先生は保護者の顔を順に眺めて返事を待つ。誰も何も言わないので、先生と目があった瞬間に仕方なく私が口を開く。
 
「うちは、まだです。中学に入ってから考えればいいかなって」
 
先生は「うん、うん」という感じでにこやかに頷く。「うちも」という声がどこかで小さく聞こえた。
すると、一番後ろに座っていた浅田ヒナタちゃんのママが早口で話し出した。
 
「うちは持たせてます。共働きなのでヒナタと連絡とれないと困るんですよね。連絡用なので、もちろんLINEも使ってます」
 
先生は「そうですか」と少し眉を上げたが、変わらずにこにこしている。
 
「というか、いまどきスマホを持たせないとか、使わせないって考えの方が、どうかと思うんですよ」
 
浅田さんの明らかに棘がある言い方に、ピリっとした空気が一瞬走る。
 
「ちゃんと家でルールを決めてヒナタにも守らせてます。スマホを持っていない子のほうが学校でのタブレットの扱いがおかしいってヒナタが気にしてましたけど。っていうか、なんでこの学年はタブレット使った授業しないんですか。下の子、2年生なんですけど毎日のように使ってるって聞きますけど」
 
結構な剣幕で言いたいことを並べ立てる浅田さんにヒヤヒヤした。
でもたしかにタブレット端末は一人一台ずつ用意されてるはずだけど、それを使って授業をしたという話はあまり美桜から聞かない。
今年の2年の担任は、若い男の先生が二人もいるからデジタルの扱いに慣れている、なんて話も吉田さんから聞いたことがある。
 
「そうですよね。実は、急に人数が増えて、ちょっとタブレットの台数が揃ってないんですよね。不公平があってはいけないので、昨年使っていた子も今のところちょっとだけ我慢してもらっています。それに、今年はもっとタブレットを活用していかないといけないと我々も考えています」
先生は相変わらずニコニコしながら答える。
 
「ちなみに、ヒナタさんのおうちではどのようなスマホのルールを決めていらっしゃるのか、伺ってもいいですか」
 
先生がそう言うと、周りの母親たちは興味津々で一番後ろの席の浅田さんを振り返り、くちを開くのを待った。
 
「うーんと。食事中は見ない、夜9時になったらリビングで電源を切って充電する、アプリのインストールは勝手にできないし。あ、あと、困ったことがあったらすぐに私か夫に相談する……とかですね」

最後に少し不安げな表情を先生に向けると、先生は大きくうなづいて微笑んだ。
 
「なるほど。とてもいいルールですね。ヒナタさんなら安心ですが、SNSで怖い事件が実際に起きていますから相談は大切ですね。あ、コウタさんもスマホ持っているって手を挙げていましたよね」
 
突然ふられたコウタ君のママがびっくりしたように、恥ずかしそうに答える。
「うちの子、手を挙げてました? ごめんなさい、見栄張っちゃったかな。土曜日の塾に行くときだけ私のケータイを貸しているんです。1時間だけ。何かあったら家に電話できるように」
 
なるほど。そんな使い方してるのか。それはいい案だと思っていると隣の吉田さんが突然声をあげる。
 
「いやー、コウタ君すごいね。うちのシュウトに私のスマホなんか貸したら何するか分かんないわ。いきなりゲームダウンロードしたりして」
 
吉田さんの発言でクラス中に笑いが起こる。あちこちで、うちもうちも、とおしゃべりが始まり、「うちも男だからストーカーとか誘拐より課金が怖い」と誰かが言い「うんうん」とみんなの同意を得ていた。
 
「男の子だからって安心できませんよね?」
 
せっかく和んだ場が、浅田さんの一言でまた雰囲気が変わる。
「男の子もたくさん被害に遭ってますよね。うちは大丈夫っていう油断が一番危ないって、ヒナタにいつも教えています」

浅田さん、言っていることは正しいと思うけど、言い方が怖い。
 
「そうですね。今日お帰りになったら、ぜひもう一度、スマホの危険性についてお子さんと話し合ってみてください」
先生が綺麗にまとめ、次の漢字テストの日程について、と話題を変えた。
 

 
30分程度で懇談会がお開きとなり、吉田さんと駐車場に向かって歩く。
美桜は友達と一緒にすでに家に帰っているはず。3年生までは学童に預けていたし、先輩ママさんたちがそうしていたように私も卒業まで学童にお願いしようと甘い見積もりでいたのに、今年は定員オーバーだからとあっさり断られてしまった。 美桜はちゃんと言いつけを守る子だけど、一人で留守番させることに不安がないわけではない。
 
「あんなこと言ってたけどさ、ヒナタちゃん、親に内緒でTikTokやって怒られてたって知ってた?」
「そうなの?」
「そうだよ。ヘッタクソなダンスたくさん投稿してて。ミクちゃんと一緒に踊った動画を勝手にアップしたって、すごい喧嘩したことあったの、知らない?」
「へえ。全然知らなかった」
うちはスマホを買ってあげてないから、そういったことにも疎く、ヒナタちゃんやミクちゃんの話は美桜から聞いたことない。

正直、少しほっとしている。
インスタにしろTikTokにしろ、分からないことも多くて面倒くさいし、経済的にも助かる。
だけど、もしかして本当は欲しいのかも。うちがシングルだから美桜は遠慮しているのかもしれない。

 「友達の顔を勝手に載せるとかって、ありえなくない? それでよくルール守らせてますぅとか言えるよね。それにさ、TikTokって、そもそも小学生は規約でダメなんだってよ。Youtubeもそうじゃん」
吉田さんのステップワゴンの前で立ち止まり、開錠しながら話を続けた。
「そうなの? でも小学生ユーチューバーとか沢山いるよね」
「あれは、親が登録してるんだよ。有名なユーチューバーは親がちゃんとしてるでしょ。子役のタレントみたいなもんよ」
 
ふーん。なるほど。最近の若い親はすごいな、なんて感心してしまう。私だってまだまだ若いはずなんだけども。
 
「それからさぁ!」
吉田さんが大袈裟に泣き顔で言う。
「このゴミ、見て!」
吉田さんは自分のエコバックをガバッと広げ、折れ曲がった大量のプリントやらハンカチやら小さなエンピツなどの中身を見せてくる。
 「全ッ部、あいつの机ん中とサブバッグん中に入ってたの。どうりでハンカチ何枚買っても足りないはずだわ。このプリント見てよ! 『来週のお知らせ』って、いつの来週だよ。習字が始まりますから汚れてもいい服でって、新聞紙持って来いって、あーもう腹立つわぁ」
 
毎年変わらない吉田さんの嘆きに、私はいつも笑わせてもらっている。
彼女はエコバッグを後部座席に投げつけるように置き、「じゃあまた。こんどゆっくりランチでもしよう」と約束して車に乗り込んだ。

今年も、何も変わらない一年が始まっている。
 
はずだった。

 
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豆島  圭
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