白鉛筆さん「私の日」 《#シロクマ感想文》
歯を磨き終わってベッドに戻り、クリーム色のカーテンをきっちり閉める。それでも吊り下げられた薄いカーテンは誰かが通るたびに大きく揺れて落ち着かない。消灯の時間までくだらないテレビ番組を眺めてやり過ごす。
そして病室の蛍光灯は、いま消えた。
私は壁付けの小さなLEDライトを灯し、抽斗から一冊の文庫本と老眼鏡を取り出した。隣の若い女性がおせっかいにも「面白いですよ」と貸してくれた、さっさと読んで簡単な感想を伝えながら返してしまおうと思っていた本。彼女の方が先に退院するのだから、と。
ところがそれは思いがけず上質な言葉で綴られた短編集だった。
ある話は雅やかで妖しげな。ある話は荒廃したSFの。ある話は学生の淡く、かつキュン死ともいえる、ある話は……
どれひとつとっても類似したものがなく、繊細で美しい調べの数々。
私は あっという間に この作家の虜になった。
次はどのような話だろうかと胸を高鳴らせて頁を捲る。
今日のタイトルは「私の日」。
息が止まった。
読み進めるのが怖かった。
逡巡し、ふたたび黒い文字に目を落とす。
それは、毒親に育てられた「奈津美」が、母の死の間際に立つ日の話だった。そう。まるで、このベッド脇に彼女が立つ話。
自分は毒親には縁がないと思っていた。ただ、
そういうことなのだ。気づかないのだ。鈍感な私も気づかないまま育った。
そして不幸にもその血は受け継がれ、私は娘を産み育てた。
私は堪えきれずに本を閉じた。
娘が私に囁いている。
今、このカーテンをそっと開けて、私の耳元でそれを。
動悸をおさえながら眼球だけを周囲にそっと巡らせた。
隣の女性の寝息だけが微かに響く病室。
反対側のカーテン上部から漏れ入る月の光。
誰もいない。
居るわけがない。
娘は お見舞いになど 一度も来ないのだから。
私はふたたび本を開く。
目で文字を追いながら「娘との日々」を振り返る。
ああ、そうか。私はそれが怖いのではない。
私は今、その言葉を囁かれるのを待っているのだと気がついた。
親殺しの事件を目にするたび、次は自分の番だと思った。「娘の日」を蔑ろにしてきた過去のことを、いくら謝っても後悔しても、それが許されるはずがないと思って生きてきた。
この物語の「私」のような言葉を投げつけられ、そして詰られ、罵倒され、硬い靴底で何度も蹴られ、「私を終える日」を覚悟している。
この話の娘は、どうするのだろうか。
「痩せこけ、頭髪が白く薄くなった母」に「呪詛の言葉」をちゃんと投げかけてくれるだろうか。
「奈津美」ちゃん。お願いだから、心揺らがないで。
その決意を乱さないで。
あなたが いかに幸福な人生を 自分の手足で勝ち取ってきたのか。
お願い。それを囁いて。
「頑張ったね。偉かったね」って
抱きしめようとする私を 突き飛ばして
お願い。私を決して 許さないで。
願いを込めて頭上のLEDライトを消す。
暗闇に包まれた部屋に差し込む月の光が、彼女の形をカーテンに映し出した気がして。
私はいとも満足げに 今日という「私の日」を終え 深い眠りにつく。
(了)
えっと……。
感想……。感想です。ええ。感想を……書きたいのです。
白鉛筆さんの「私の日」、めっちゃ好きなのです。でも「感想」となると「すげー」「おもしれー」「なんだこりゃー」しか出てこない豆島なので……。なんでだか、こうなっちゃいまして……。感想っていうか、便乗小説……スミマセン。
でも、たぶん。たぶんですよ?
この話は「母娘」ですけど、男女問わず、親の立場か子供の立場かで、どこかしら多くの人が思い当たることがあるのではないかって気がするのです。その小さな棘のような、「後悔」か「恨み」か? 何かを深く深くえぐられる、そんな作品だと思うのです。
本文を何行か引用していますが、結末は書いていませんし、「私の日」の素晴らしさはこれだけでは全く伝わりません。ぜひ本編をどうぞ。
「私の日」だけでなく、白鉛筆さんの描く世界はとても素敵です。
いろんなテイストの作品があるので、まだ読まれたことない方は、必ず複数作品読んでくださいね~!
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