おむの戯言 持つ者と持たぬ者
先日初めて、酔いで目がガンギマった「おむ」です。今回は持つ者と持たぬ者について僕の考えを共有します。
これまで僕は、結局役に立つのか立たないのかという観点で広く行動の是非を判断してきましたが、様々な立場の人と話す中でこの考えが半分正解で半分不正解かもしれないということに気づかされました。
皆さんも過去を振り返ってみて、行動するかしないかをどのように判断しているか考えながら、見ていってほしいなと思います。
伝えたいこと
突然ですがもしあなたがいま、ピーマンを食べるか食べないか判断しないといけないとなったときに、どのような判断基準でこれを選ぶでしょうか。この解答が“食べない“だったとしてこの理由で考えられる例は、
などでしょう。
二つ目の回答に関してはいわゆる食わず嫌いという呼ばれるものですね。簡単に言ってしまうと僕が今回の投稿で共有したい考えはこの食わず嫌いをなくしましょうということになります。
それって本当にあなたの意見?
皆さんの中でも、今後の人生についてよくわからないだとか、正解って何なのって思う方も少なくないのではないでしょうか。
実際僕もそのうちの一人で有名企業に勤める方からのお話と本州で活発に動く経営者のお話ではたまに真反対の内容であることもありました。
結局誰の言葉を信じればよくて、どう動けばいいんだと余計に混乱する時期もありました。
ただ、その中で思ったのは自分が判断するという過程を踏まないと、結局はうまくいかないのだろうなということです。
お話いただく方はどなたも自分の仕事にやりがいを感じていて、充実しているのに、でも言っていることが違ってる。もしかしたら、充実とか正解って自分の中にしかなくて他から与えられたものでは充実って得られないのではないかと考えるようになったのです。
他の例でいえば何でもいいから起業した方がいいという人もいれば、先に企業で勤めたほうがいいという人もいて、どっちの方がいいんだとわからなくなりましたが、おそらく今の状況でどちらを選択しても何も手に入れることはできません。
自分がこっちにしようと判断できる状況があるからこそ初めて正解への一歩目が踏み出されるのではないかと思うのです。
意見を持つために
これまでの話を言い換えると、自分にしっかり判断材料があるのかということが重要になってきます。
では一体判断材料ってどのように手に入れられるのでしょうか。これは一択で“行動“しかないのかなと思います。
少し難しい話にはなりますが、例として起業か企業勤めかの二択を選ぶときには、自分の中で判断材料が必要ですが、そのための行動には判断材料は必要ありません。
ここで最初に話した”食わず嫌い“がキーワードとなりますが今あなたが習慣化して行動している中から判断材料になりうるものってこれ以上ほとんどないと思います。
いま、二つの選択から決められないならいつも通りの生活で変わることはまず不可能です。今食わず嫌いしてやっていないこともやってみてください。あなたが不安に思うことや正解がほしいものに対してもしかするといい影響を与えてくれるかもしれません。
おわりに
偉そうにお話しましたが、僕も完璧に食わず嫌いしてないかと言われると答えはNoです。
ただこれまで話してきた内容を意識はしています。多少なりとも今回話した内容を意識していただけると少し違った観点を得られるのではないかと思います。
こういった視点を持つ者と持たぬ者、周りから見ても全く違った人に見えると思うので一緒に頑張りましょう!それではしーゆーれいた
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?