8時間のリプリー
NHKの朝ドラ「虎に翼」は15分番組。
私は殆ど見ない時間帯。
ドラマの毎回の終わり方が、翌日また見たくなる演出をしているらしい。
15分ドラマ、1時間ドラマ、そして映画の2時間など、尺の長さで演出法は変化する。
先日、Netflixの長尺ドラマ『リプリー』を見終わった。
アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』と同じパトリシア・ハイスミス原作。
マット・デイモンやジョン・マルコビッチ、主人公リプリーを演じている俳優は多い。
Netflix版『リプリー』は、長尺の8時間だった。
原作に限りなく近い尺なのだと思う。
オリジナル脚本で無い限り、小説は端折ったり足したりしなければならない。
映画館に座る客のお尻を考えると、だいたい2時間くらいが多い。
『太陽がいっぱい』は、全てを手に入れ、幸せ絶頂のリプリーが売店の女主人から呼ばれる。売店で待ち受ける刑事たちの指示だ。
逮捕を予感させ、物語が終わる。
おそらく原作の三分の一位だろう。
でもキレの良さ、どんでん返し、余韻で、名作映画となった。
この頃の映画はだいたい、犯罪は成就せず、で終わる事が多い。
同じドロン映画『地下室のメロディ』も隠した札束がプールいっぱいに浮いて終わる。
『サムライ』『冒険者たち』では劇的な死が待っていた。
終わらせ方で名作となる映画は多い。
Netflix8時間の『リプリー』ではリプリーの犯罪と逃亡劇が丹念に描かれる。
作りが上手く、長尺だがあとを引く。
この手の犯罪映画は、犯罪者の方に思い入れするハラハラ演出で引き込む。
パトリシア・ハイスミスの作品には、同性愛者が多く登場する。
彼女は「私が小説を書くのは、生きられなかった人生の代わり」と記している。
彼女は同性愛者だった。
近年でこそ『バウンド』や『フィラデルフィア』など、この要素の名作は多い。
だが当時は勿論、LGBTが理解される時代では無い。
パトリシアは、自分の性癖を犯罪者の様に感じていたのかも知れない。
罪を犯すリプリーへの自己投影。
当初『太陽がいっぱい』のリプリーは当時大スターだったモーリス・ロネが演じて、駆け出しのアラン・ドロンが億万長者の放蕩息子グリーンリーフ役だったらしい。
監督ルネ・クレマンは、大胆に役をチェンジした。
美青年ドロンをリプリーにする事で同性愛要素を匂わせたのかも知れない。
アラン・ドロンはこの映画でスターダムを駆け上がる。
笑えるのは、日本公開当時『太陽がいっぱい』を同性愛映画と見抜いたのは、あの淀川長治さんくらいだったらしい。
マット・デイモン版の『リプリー』は同性愛を全面に出していた。
パトリシア本人をモデルにした、偽名で書いた小説『キャロル』も映画化された。
ヒッチコックの『見知らぬ乗客』も同じハイスミス原作だが、ヒッチコックはそんな同性愛要素を端折ってる。
ヒッチに重要なのは、明快なサスペンス要素のみだ。
Netflix版でリプリーを演じるのはBBC制作『シャーロック』、ホームズの宿敵モリアーティを演じたアンドリュー・スコット。
この俳優はとても上手い。
小説のリプリー設定年齢は若いが、この作品では35歳くらいだろうか。
アンドリュー・スコットは、抑えた芝居に様々な心情を盛り込む。
だが、この『リプリー』で一番凄いのはカメラだ。
『暗殺の森』『地獄の黙示録』『ラストエンペラー』のカメラマン、ヴィットリオ・ストラーロを彷彿するカメラワークだった。
モノクロームの映像がとても美しい。
ワンカットずつプリントして、壁に飾りたくなる。
iPadの待ち受け画面にしたくなる。
おそらくロケハンにも、とんでもない時間をかけている。
リプリーの犯罪を見つめる街角の彫刻像や、死体処理を目撃する猫のインサートショット。
美しいナポリやベネツィア、そして海の描写。
長時間ドラマなのに、サスペンス演出と風景描写が計算され、無駄なカットが無い。
先人の言葉。
「知っている事を書きなさい」
刑事だった作家の犯罪劇や、医者が書く医療物は、細かなディテール描写でリアルになる。
同性愛者ではないと書けない描写も沢山あった。
拙作『ピノキオは鏡の国へ』は、映画的手法で書いている。
映画化されるとしたら、このカメラマンと組みたいと、マジに思った。
でも、もし端折られるとしたら何処を削られるのだろう。
8時間くらいにはして欲しいが。
ピノキオ小説も、この文章構成くらいのスピード感で書いている。
おそらく私がCM作家出身だから。
15秒、30秒の作品が多かったせいだ。
ダラダラすると自分がストレスになる。
だから、たぶん飽きさせない。
私の場合、知っている事は、映画と広告、それにアート。
大きな嘘を吐くには、その周りに小さな真実を沢山重ね無ければならない。
私もそれに拘った。
結局、ペーパーバックで、2段組で読み易くし、それでも500ページ。
そしてちょうど半分くらいから、暴走し始めるストーリー展開も、先人に学んだ事だった。
ヒッチコックなどもそうなのだが、長尺物は2つの要素に分ける事が多い。
『サイコ』ではヒロインがシャワールーム死ぬまで。
そして後半は妹たちや探偵の犯人探し展開。
『ピノキオは鏡の国へ』も、前半の大船や葉山の物語から、後半はヨーロッパと舞台を変えている。
この『リプリー』も、始まりはニューヨーク。
そして、犯罪の場所、メイン舞台のイタリア。
カメラワークも意図的に変えている。
細かな計算があちこちに見える。
いちばんの拘りは、モノクロームだと思う。
リアルな犯罪劇にファンタジーの要素が加わる。
手を抜かないで8時間の画作り。
おそらく一年がかりの作品だと思う。
大画面2時間を劇場で見るか、映像配信でも手を抜かない長時間ドラマで見るか。
これから映画のカタチはどう変わって行くのだろう。