泉谷しげるの話をしよう。
泉谷しげるさんと、多くの仕事をした。
CMやポスターを10本くらい作らせて貰っただろうか。
お国仕事が多かった。
総務省の不法電波キャンペーンのポスターやパンフレット。
神奈川県ドラマ『ヤミ金融の闇を暴け』ではストーリーテラー(語り部)をして貰った。
検索すればダイジェスト版が見られる。
高齢者雇用月間ポスターとかCMも。
仲代達矢さん、樹木希林さんに続いて、泉谷さんにも出て頂いた。
官庁系の広告は全てがコンペだから、キャラクター提案が重要なのだ。
泉谷さんは震災などの被災地での無料チャリティを積極的にやられる。
彼独特の正義感をお持ちの方だ。
そして遠慮なく「もの言う」泉谷さんキャラは貴重だと感じている。
人選に困った時は、泉谷さんにオファーの電話していた。
漫画を描くとか、共通する趣味もある。
最初にお会いしたおり、泉谷さんが描かれた漫画を見たことを告げる。
泉谷さんが二十歳(一般人)の頃、手塚治虫の「COM」に応募された事も知っている。
私自身も漫画誌「ガロ」に一年くらい連載していた事を打ち明ける。
すると泉谷さんは「漫画かぁ。やり残したのはマンガくれえだなぁ」と呟かれた。
次の仕事の現場で、出たばかりの私の映画エッセイ「ヒッチコックを追いかけて」を手渡す。
「ヒッチコックか。コイツさぁ、人殺し映画ばっかだけど、おもしれぇよな」
『そういえば。確かに“人殺し映画”ばかりだ…』
当たり前過ぎて、考えもしなかった論点を突かれる。
そのあと「ヒッチコックを追いかけて」は、泉谷さんのコンサート旅行のお供になったらしい。
彼は映画好きで、映画の裏話とか大好きみたいだ。
だから映画の裏話がいっぱいの小説「ピノキオは鏡の国へ」を献本させて貰った。
すると丁寧な御礼の封書が届く。
メールじゃなくて、なんと墨書きの手紙、色紙など郵パックが届く(これは驚いた)。
私の本を、また“旅のお供”にするとある。
以来、メールで映画・ドラマ話をする様になった。
例えば、そのころ放映していたドラマの話。
「『笑うマトリョーシカ』はドラマのデキは悪いが、本は面白そうだな」と忌憚ない意見。
言われたドラマの内容は忌憚なさ過ぎで、ちょっと書けない。
泉谷さんが俳優として認められた作品がある。
日本を揺るがせた実際の誘拐殺人事件を題材にしたドラマだった。
捕まった犯人は、黒澤明『天国と地獄』の予告編を見て、犯行を思い付いたと言っていた。
泉谷さんの主演で実録ドラマが出来る。
誘拐した子どもを殺害する犯人役だった。
私は再放送か何かで視聴して、その演技に驚いた記憶がある。
ドキュメンタリーの様に淡々と犯行に向かう男、そして事件後の日常。
迷宮入り寸前で逮捕される経緯が、丹念に描かれた名作。
取り調べシーンでの、泉谷さんの狂気に満ちた、刑事に対しての反抗的な演技は忘れられない。
そこでの型破りの演技が、俳優泉谷しげるを作ったと思っている。
その時の話を、泉谷さんのマネージャーでもある、実弟の泉谷勇さんに聞いた事がある。
あの演技には理由があった。
刑事役の有名俳優と監督、それに泉谷さんでのドラマの衣装合わせのおり。
犯人を追い詰める刑事の衣装(ヨレヨレのコート)を監督が提示する。
その刑事役の俳優は、衣装がみすぼらしく見える、と不満だったようだ。
「これはちょっと…。私はカシミヤのいいコートを持ってるんです…それを着たいなぁ」と提案した。
多くの映画で悪役に甘んじていた彼が、テレビでの刑事役が当たってスター俳優になる。
それ故に出た言葉だろう。
しかし俳優は与えられる役を演じるのが仕事だ。
監督は「この刑事は叩き上げの根っからの刑事だし、カシミヤなどの高級品はそぐわない。このコートでお願いします」と正論を言う。
俳優は不満げに答えた。
「でも私のファンが…どう思うかなぁ」
泉谷さんの表情が変わった。
泉谷さんは取り調べのシーンの時、その刑事に向かって灰皿を投げつけるとか、監督の指示以上の、熱が入った激しい反抗的な演技になったそうだ。
「あれは兄の怒りですよ」と弟の勇さんが言われる。
泉谷さんの独特の熱い正義感が、本気の芝居を作ったのだ。
とても古い作品だが名作、もし良ければ視聴して欲しい。
泉谷さんはホアキン・フェニックスのファンで、『ジョーカー2』を見られた話になる。
またまた「これ、映画としてはダメだな」という意見。
私は、続編を見ていないので、最初の2019年『ジョーカー』の感想を言った。
ベネチア映画祭の金獅子賞を取ったとは思えない出来の悪い映画だと思った事を泉谷さんにメールする。
プロット(筋書き)がスコセッシ作品『タクシードライバー』にそっくりな事。
しかし、ジョーカーが悪の権化になる理由が希薄すぎる。
デニーロのお笑い番組でバカにされたからダークサイドに落ちる?
ウェイン財団の若いサラリーマンを地下鉄で殺したくらいで、市民のカリスマになるか?
『シェーン』や、東映の『高倉健映画』でも、主人公は我慢の限界、耐えかねて拳銃やドスを抜く。
そのカタルシスが胸を打つのだが『ジョーカー1』には、それが全然無い。
ジョーカーという絶対悪になる理由に説得力が皆無。
私の意見に泉谷さんも同感してくれて、その理由を述べる。
「ジョーカーの監督は、熱狂的なスコセッシ監督のファンらしいのよ」
主演俳優ホアキンがアカデミー賞を取った時、『ジョーカー』の監督が同じアカデミー会場に居て、壇上から審査席のマーティン・スコセッシ監督に叫んだらしい。
「スコセッシ監督! あなたの『タクシードライバー』に影響されて作りました。この映画は、あなたのお陰です」と。
しかしスコセッシは、笑いもせず真顔で無視したそうだ。
「映画の出来が悪過ぎだからだと思うよ」と泉谷さん。
泉谷さん続けて曰く。
「そのジョーカーの監督は、デ・ニーロが出ていたスコセッシ作品『レイジング・ブル』や『キングオブコメディ』そのままの構図アングルを『ジョーカー1』でやってる。スコセッシに徹底してるのよ」と。
私が気付かなかったカットの説明までしてくれる。
私は、驚いて開いた口が塞がらない。
何という観察眼。
泉谷さん、音楽家だが演技者なのだ。
彼独特の演技論理を持っているし、沢山の映画も見ている。
だから分析出来るのだ。
私は古い「実録誘拐事件」のドラマを思い出した。
演技者としての観察眼だ。
その眼で映画の分析をしている。
そして。
「今よ、漫画を描いてるんだ。描かしてくれる奴がいてよ。久しぶりだし、描いてると、おもしれぇんだ」とメールにあった。
私は「やり残したのは漫画ぐれえだなぁ」と、大昔に呟かれた泉谷さんの言葉を思い出した。
私も、久しぶりに漫画を描きたくなった。