記事の理解の「曲解」に対する私の対応と、礼儀の話
ツイッターの頃から、Xに至るまで記事を出し続けていますが、たびたびこういうケースが起こるので記事にまとめていきたいと思います
直近では「特性だから許される、許されるべきという思考はすぐに捨てたほうがいい話」という記事を載せた際にもあったのですが、定期的に
「記事の内容を曲解一方的に書き込む行為」があります
私として「曲解してるな」「違う受け取りをしているな」と感じたら、やんわり伝えて方向修正する形にもっていくようにしていますが、
多くの場合は「責められた」「間違いを指摘された」と感じるのか喧嘩腰、攻撃的に詰め寄ってきます
私はもうこの段階で、シャットアウトするようにしています。なぜなら
・こちらの言葉に納得はできない事が多い
・やり取りを進めていく内に相手にダメージを与えるまでやめることができない状況に落ちいるからです
皆さんは心当たりはないでしょうか
そして、大前提として、質問されている側からいきなり、攻撃的な呟き飛んできたらこちらとしては「失礼」だと思うし「怖い」のです
今回の記事の事例がいい例だと思うのですが、記事の全体の内容が
・特性や弱さ、苦手さを理由に自分の行いが許されるという思考は現に慎む必要がある
・そういった行動が「もう関わらないほうがいい」というあきらめにつながる
・すべての人は特性、弱さ、苦手さを持っていて、お互いに事情があるので一方的に押し付けないようにしよう
というのが要約であると思うのですが、この記事を読んで
ASDの人のこういうところに困っている
とか
被害にあって、一方的に相手がおかしい
という理解になるのは「曲解」以外の何物でもないでしょう
結局「自分は虐げられた」という体験を盾にして相手を攻撃しているじゃないですか
理解した上で「こういう意見もあります」「こういう考えはどうでしょう」と返してほしいのです
せめて、理解が及ばなかったとしても「どういう意図で言っているのか、詳しく知りたいです」と相手に攻撃しない方法で質問することはできるはずです
支援者としてどうなのか?という疑問もあると思いますが、これが「精神衛生を保つ」上での私のSNSのスタンスであり、
私がよく言う「ここまではできて、ここまではできない」という「ニーズ」と「デマンド」の話なのです
相手に「こう振舞うべき」と押し付けるのは勝手なのですが、それに伴って「相手が自分の思い通りに動く」とは思わないでほしいのです
今回の件の感想を言えば、普通に腹が立ちます。しかし、これが一過性のものだとも知っていますし、この後のお互いの振る舞いで人間性等が浮き彫りになってくるのではないでしょうか
このままならそれでもう議論は起こりませんし、その後に晒したり、貶めたりしていたら、結局「やっぱりブロックしてよかった」と私は思ってしまいます
私は自分のスタンスを改めてお伝えするいい機会になったとも考え、この記事を書かきました。今後につなげていきたいと思います
これからもよろしくお願いしますm(__)m