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分人レポート

はくれぽ!を開設して1ヶ月以上経った。

3本の展覧会レポを書いた。

初めて書いたものは、展覧会自体に興奮していたのでなにかぐちゃっとしてる。
2本目は作品より芸術史的に見ていたので作品の印象がうっすい。
3本目は表現が難すぎるし画像がなさすぎて手描きイラストを入れる始末。

う〜ん、、、
展覧会レポートって難しい、と改めて思う。
あと助詞とか読点が難しい(その辺の基礎がない)。

初めは背景とか芸術史とか入れながら書きたいと思っていた。
でも、それも学習の基礎があってそれまでの知見によるところが大きいと思うので、我ながら空っぽ過ぎな記事だなと思う。

かといって「楽しい〜」「おもしろ〜い」「好き!」といった感覚的なものが、うまく表現できるわけでもない。自分は感覚的だと思っていたのが、もしかしたら全然そうじゃないかもと、打ちのめされる。

というのも、自分の「好き」に対して長らく言語化してこなかったのが、原因なのではと思っている。
ある時から「好き」と声に出していうことを封じられていたというか、自分で勝手に封じていたというか、の弊害を大人になってから自覚するのは中々ツラい。

絵を描くのが好きなのでイラスト化してみたりもするけれど、それもさして上手くないのは分かっている(でもやめられない)。

、、、書いていてまた切なくなってきた。

否!

ということを「書く」ことが言語化のリハビリであり、自分の中の分人*を見分けることにつながる(ハズ)と思っている。

統一感とか、自分の特性とか、真面目にしたいとか、おチャラけたいとか、表面的だとか、中身がないとか(あ、また石の下の入り出した)ずっとバラバラだと思っていたけれど、それでいい。多分。

誰かが記事100本を書いてからが本番?と言っていた気がするので(うろ覚え)、たまにはこうやってグチグチ言いながら1ヶ月の振り返り反省と、書くことの意味を定期的に考えてみたいと思う。


*平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』,講談社現代新書,2012年9月20日

指先をジッとみる

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