いい面とそうじゃない面
しょうもない日常から気づいたことをシェアしています。
先日、小学生の運動会にいってきました。
半日の短縮した運動会でしたが
一生懸命取り組んでいる姿に目頭が熱くなるどころか
ウルウルしっぱなしでした(笑)
次男は6年生で小学校最後の運動会。
ダンスと組体操をミックスさせるという
斬新な演目に、今年はどんな風になるだろうなぁ?
とワクワクしながら見始めました。
主人がカメラ係
私は動画を担当し、
主人からのアドバイスで被写体を大きく撮影していました。
音楽が始まり、
次男君、キビキビと動いている姿を見て
(うんうん!
頑張ってる姿いいねぇ~!)
と思っていました。
兄がいるからか成長が早く
2.3年生の頃、既にイキっていた彼が
その殻を破り、
逆に一生懸命がかっこいい!
と思えるようになってくれたことが
またうれしかったです。
へたくそなりに、撮影していると
違和感を感じ始めました。
彼の前にいる女の子が踊ってない!
初めは、待ちパートで踊らないなのかなぁ
と思っていました。
立ったり座ったりの動きは皆と一緒にやっていたから
違和感を感じるまでに時間がかかりました。
隊列が変わり
彼女が前列、次男が後列のターンになり
やはり踊らず。
徐々に
(あの子、大丈夫かなぁ?
隣の子に話しかけたりしてるから仲間同士が険悪なわけじゃないのね。
練習に参加できなかったけど運動会には参加したのかな?
でも、上下の動はしているし、
隊列移動もしてるってことは踊りを知らないわけでもないんだ!)
などなど想像をかき巡らせていました。
違和感を抱きつつ、ビデオをとっていると
前にいたおじいさんが
「一人全然踊らない子がおるなぁ!」
と、けっこう大きな声で言ったのです。
(おぉ、やはり気づく人いるよなぁ~)
と思っていたら、お母さんが
「踊らないし、邪魔だわぁ~」
と、これまた大きな声で発言したのです。
ギョッとしました。
(もし、この声が本人に聞こえたら?
近くに彼女のご家族がいたら?)
とか・・・
さらに、
「踊らないでいることの方がは恥ずかしいのになぁ~
あぁ、本当に邪魔。踊らないならどいてほしいわ!」
と不満が続いて発言されるのです。
(いやいや、邪魔といっても、
彼女の真後ろはうちの子でっせ!
きっとうちが一番彼女がフレームインしてるはず(笑)
私が不満言わないんだから
そんなに言わなくてもいいじゃないの~)
なんてね!
心がユサユサ・・・
彼女が踊らないことよりも
この会話が聞こえてくることにいたたまれず
その場から離れ斜めから撮影することに。
(帰宅後ビデオをみるとその会話がもろに
録音されていてゲンナリ。トホホ)
この状況皆さん、どう考えますか?
確かに
運動会や学芸会などで恥ずかしくて小さな動きをしてしまったり
やらない子の方が目立ちます。
親としては、一生懸命な姿が見たいという気持ちもあって
このような考えを持つことは当然です。
私自身も、次男に張り切って踊ってね!
と、言っていました。
先生方も練習時に
「はりきって踊った方がかっこいい!
悪目立ちしないよ!」
と助言はしていたはず。
協調性が必要な運動会!
皆がそれぞれ自己主張しまくっていたら
まとまりません。
集団行動の学校生活
さらに運動会なんていう場では
協調性がマックスに要求される場面!
一方で、いろんな子がいることもまた事実です。
一見、普通の子に見えても
長男のように発達障害の子もいます。
学校に行けない子もいれば
自分が何を考えているのか分からない子もいます。
その中で、彼女は
踊らない!
という決断をしたのでしょう。
どんな理由でそう決めたのかかは分かりませんが
踊らない!
という意志を貫き通しているのが
良し悪し別のにして
凄い!
です。
彼女なりの協調性
ですが、踊らないと決め込んだ中でも
彼女なりの譲歩、協調性を表現しているのが
・隊列移動への参加
・上下動の動き
をしていることです。
運動学的にいうと
腕やモモの末端の動きを放棄しているだけで
首から下骨盤から上の体幹部分を動かしているから
運動量的にはオッケーという見解も可能です(笑)
兎にも角にも
ここにある事実は
皆と同じ振り付けの動きをしてないという事実。
いい面とそうじゃない面
かつての私は
あの子踊らなくてどうしたのかな?
という気持ちが沸くだけに留まっていたと思います。
今は
全ての事象にはいい面とそうでない面がある
ということが考えられるようにになってきました。
今回の出来事で3つの面が私の中に起きました。
一つ目は
運動会を見学するでも、欠席するでもなく、
参加してうえで自分の決断を貫いた
彼女の意志の強さが凄い!
という面。
もし私だったら、
この状況や視線が怖すぎて
小さくても踊ってしまいそうです。
次に、
自分の思いを全うしすぎると周囲との間にひずみが起きるということ。
踊らないということによって
統一感が損なわれ、
見ている人の中には違和感や
不満を抱く人が現れます。
さらにその不満を発言することによって
不快に思う人もいるということ。
最後に、
踊らない!
と決めたことを
許容したクラスメイトや先生
がいるということ。
帰宅してから次男に聞いてみると
「あぁ、○○ね。いつも踊らないよ~」
それに対して不満もないようで
フラットに彼女の行動を受け入れていました。
私らの時代の先生なら、
「やらないならそこに立ってろ~」
ですよね(笑)
物事には陰陽がある
物事には良い面、そうでない面どちらも存在していています。
それらがあるからこそ
物事が円滑に進んでいるんでしょう。
以前の私なら
どっちが正解?
と白黒つけたがり
結論づけようとしていました。
いい面、そうじゃない面双方あるけど
今こうして6年生の演目が遂行されていることで
大枠の目的、運動会的にはオッケーなのです。
yoga的思考
フワッとして聞こえるかもしれません。
でも、
大枠を捉えるマクロの視点も、
小さな事象が起きた時に向けるミクロの視点
どちらにおいてもバランスが大切なのです。
起きている現象に対して
比重は違うかもしれませんが、
最後には
いい面とそうじゃない面を合わせて
丸になったらトータルオッケーですね⭕️
いろいろと心が動く瞬間はあります。
それが喜怒哀楽。
それをおさめるのではなく
今起きている事実を捉えていく練習が
yogaですね。