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なるほど、ソウルメイトってこういうことだったのか

昨夜、大河ドラマ「光る君へ」が最終回を迎えましたね。

なお、今回の記事には一部ネタバレを含みますので、まだご覧になってない方はご遠慮くださいまし。

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半よわの月かな

小倉百人一首第57番紫式部より

ドラマの後半において、娘の藤原賢子(越後弁えちごのべんまたは大弐三位だいにさんみ)に歌集を渡すシーンがあり、有名なこの歌も出てきました。

一般的には、藤原道長に言い寄られながらも、上手にこれをかわし、道長がスゴスゴと退散するシーンを歌い上げたものだと解説されてきました。

ところが、大石静さんの手にかかれば、あら不思議、生涯のソウルメイトを歌い上げたものになっちゃうんですね(笑)

病床についた道長に対し、源氏物語の第54帖「雲隠」がなぜ空文であるかを説いていましたが、よくよく考えてみますと、百人一首にあるこの歌にも「雲がくれ」とあります。

そもそも源氏物語第53帖「幻」が、光源氏の出家を描いたものであるのに対し、「雲隠」は光源氏の死を描いたものとされています。ですが、なぜかしら「雲隠」の文章は後世に残されておりません。

後世の人間が消去したとも、紫式部本人が描いてなかったとも、色々な説がありますが、本作品では後者を選んでいました。

本作品の初期の頃に、身分違いの恋に悩む二人の青春期を描いておりましたが、本妻の源倫子の計らいにより、死に際に二人きりの時間を持つことができました。

長い長い恋の物語が、ようやくここで堂々と決着したわけですね。

しかし、このシーンどうも既視感があるなぁ、と思っていたら、あぁ、そうか、同じ大石静さんの脚本による映画版「セカンドバージン」に似たようなシーンがあったのを思い出しました。

死に際に寄り添い、共に人生を回顧する二人。

これこそまさに愛の境地ですよね。

雲隠れする夜半よわの月

う〜ん、なるほど。

身分違いの男性に、許されぬ恋をする女性の心境と解釈することも可能ですね。


フランス文学などにも多く散見しますが、
身分の高い男性が、形式上身分相応の女性と結婚し、本命の彼女と秘密裡に恋愛を楽しむという風習がヨーロッパにはあったそうです。そこから不倫文化が発展することになるのですが。

それに対して、恋愛と結婚を同義的に解釈するロマンティック・ラブ・イデオロギーという考え方もあります。現代ではむしろこちらの方が普遍的かと思われます。

さらにこの、ロマンティック・ラブ・イデオロギーを発展させて霊魂や前世と結びつける思想家もいました。

心霊主義だとか神智学だのといったジャンルに属する人たちですね。現代では、スピリチュアルの言葉で親しまれている概念です。

こちらの分野では、よくソウルメイトという表現が用いられます。

ソウルメイトあるいは運命の恋人に関しては、昔からよく文学や映画の題材に選ばれてきました。

今回の「光る君へ」における藤原道長とまひろ/藤式部との関係性もまたソウルメイトに近いものがあると感じるのは私だけでしょうか?


人間は、ひとたびその生を受けたなら、必ず死を迎えるものです。

生まれてからしばらくは、母親の腕の中で生きていくことになるのですが、願うことなら、死ぬ瞬間にも寄り添ってくれる人を希求するものです。

「光る君へ」の二人のように、
愛する人に抱かれて死を迎えたいものです。

それではまた。

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