清らかな言葉とけがれた言葉
ふわりと身体が浮かび上がる瞬間。
およそ地球の重力を忘れ、自己と世界との分離された空間。
ひとたびこの境地を味わうと、この境地なしにはこの濁世を生き延びることは不可能なのです。
・3種類の言葉
ヒントは言葉です。世の中にはおよそ3種類の言葉があります。
清らかな言葉とけがれた言葉、そのどちらにも属さない言葉。
世の中にはとかくけがれた言葉が満ちあふれています。このけがれた言葉は一体どれだけわたしの心を切り裂けばよいのでしょうか。悲しいかな、社会人としての生活は、わたしの心をズタボロにしてしまうのです。
対して清らかな言葉とは何を指すのでしょうか?
それは、自己の心を癒やす言葉のことです。
自分を励ましてくれる言葉です。
注意点がひとつ。けがれた言葉と清らかな言葉は共存できないということです。
・無の作り方
では、どうするか。わたしの場合、まず座ります。ソファーでも椅子でも座布団でも何でもいいのです。条件はただひとつ。他者に介入されない空間を確保することです。
次にじっと目をつぶり、思考を停止します。一切の判断を中心するのです。言葉という概念を忘れてしまうのです。重要なことはこだわらないこと。浮かび上がる映像や音に身をゆだねます。全身に浴び続けたけがれた言葉を一切消し去るのです。リフレインが完全に止まり切るまで一切消し去るのです。
さあ、これで心がまっさらになりました。何もない「無」の状態です。自分が世界と乖離した瞬間です。とっても軽い。自由とはもしかしたらこのことを指すのかもしれませんね。この境地に浸り切ります。
・清らか言葉をささやく
最後に清らかな言葉を自分自身に与えるだけ。
「わたしは大丈夫」
「わたしは強い人間だ」
「わたしは成功を約束された存在なのだ」
「わたしの未来は黄金の輝きを持っているのだ」
「わたしの人生は必ず幸福と一体化したものになるのだ」
最近巷間に流布しているアファメーションに近いものがあるかもしれません。
神よ!濁世に汚れしわが心身を清め給え!
わたしはいま、この瞬間に生まれかわるのだ!
・生まれ変わったわたし
生まれ変わったわたしは、明日もまた濁世、そう、あのしがらみにとらわれた世界を歩み続けるのです。もちろん、歩みを止めればこの苦しみから解放されるやもしれない。されど、この世界から逃げることは不可能。色々なしがらみがありますから。自分ひとり逃走するわけにはいかないのです。
宿業とでも言うのでしょうか。
わたしは、ひとりの人間として苦しみに満ちた世界を歩き続けるのです。