見出し画像

ただ身を捨ててこそ

夏の代名詞のひとつに夏祭りがありますね。
小さい頃に行った覚えがある方も多いのではないでしょうか。

夏祭りにつきものなのが、盆踊りですね。
踊られた方もいらっしゃるかもしれません。

ふと思ったのですが、盆踊りはなぜ盆踊りというのでしょう。やはりお盆と関係あるのでしょうか。

気になった私は、いろんな文献に当たってみました。
いわゆる祖霊信仰のお盆(盂蘭盆会うらぼんえ)とは直接関係はないのですが、仏教に由来を持つらしいです。

さかのぼるは、鎌倉中期に一遍上人いっぺんしょうにんと呼ばれるお坊さんがいらっしゃいました。

別名遊行上人ゆぎょうしょうにんとも呼ばれ、遊行ゆぎょうすなわち建物に住まわない無住の生活をなされていたそうです。

この方の教えとして、踊り念仏というのものがあります。「ナムアミダブツ」と念仏を唱えながら、好き放題に踊るというものです。

本来、仏教といえば、厳しい修行のもとに仏さまの世界に近づくものとイメージされますが、一遍上人いっぺんしょうにんが説く教えは、非常に楽しそうですね。まるでお花見の宴会のよう。

学問も修行もなく、踊りながら極楽往生できるというのですから、当時かなりの勢いでバズったそうです。

たちまち時の人となり、その周りにたくさんの人が集まってきたので、この集団のことを“時衆”と言います。後に教団化した際にそのまま“時宗”と名乗っています。

では、一遍上人いっぺんしょうにんにはどのような思想があったのでしょうか?

実は、一遍上人いっぺんしょうにんが亡くなる際に、その著書をすべて焼き払ったらしいので、一切記録は残っていません。唯一の手がかりが、お弟子さんの書き残された「一遍上人語録」になります。

その語録の中に、平安時代の高僧空也上人を理想にしているとあります。

そう、一遍上人いっぺんしょうにんは、空也上人の信仰生活をそのまま再現されていたのです。

この語録の中に、空也上人のお言葉として、極楽往生の秘訣を問われた際に 「ただ身を捨ててこそ」 と述べられたそうです。

この世で手に入れたもの、お金や名誉や社会的地位など、あの世ではまったく価値がないのです。極楽往生に旅立つために、この世に対するすべての執着を捨てなけばならないのです。

無心になってひたすらに踊り続ける。
この世の苦しみを、すべて忘れることができそうですね☺️

ちなみに、踊り念仏に関しましては、徳川家康の治世の頃に全面的に禁止されます。民衆が、一切仕事をしなくなり、踊りふけるようになるというのが理由らしいです。一揆防止も原因らしいです。

また、明治政府も禁止しました。
「すこぶるわいせつ」というのが理由らしいです。
その後、現代のような形態として復活するのです。

ただ、全面的というと、信者から反発されますので、例外的に年に1回だけ、お盆の時期だけ許そうじゃないか、となったのが盆踊りの由来らしいです。

ですので、盆踊りの期間ばかりは、一切の労働から離れ、どんちゃん騒ぎをしてもいいようになったらしいです。

歴史って意外に面白いものですね。
それではまた次回✨


いいなと思ったら応援しよう!