見出し画像

仙人みかんの里、木負を経て

 墓参のやりなおしという、普通は経験しないことをした。
 行程は前回と同じだが、その時の帰路で古奈温泉にスーパーマーケットがあることを知ったのでそこに立ち寄ってからバスに乗ることになった。ただ前回は7月の木曜日で今回は8月の日曜日だ。しきみについては自分でも良く判らなかったので店員に尋ねたら新人らしく覚束ない…生花売り場にあったけど(そこが盲点で)。ことによるとそれを供えるのは伊豆全体での約束事ではなかったのかもしれない。
 その店には駅から歩いて15分位である。買い物を済ませてバスに乗る。前回来た時に三津坂隧道を出てすぐの所の情景があらま欲しかったので内浦地区センター前で降りた。発端丈山ハイキングコース三津北口の最寄りのBS。そこからまずは三津坂古道旧隧道を見るために40mほど遡った。坑口は水が出ていたので通り抜けるのを断念し、また目的地まで歩いて行った。
 三津に降りて郵便局前に出た。そこで見た光景は忘れられない。例えて言うなら潰走する友軍を見た秋山好古の心境だったか。
 ぽか~ん。
 三津シーパラダイスに行ったのは子供の時の事で、桜貝の標本を買った記憶がある。レストランに貨物船の模型があった。それを最後に一度も訪れていない。脇の旧道を越えて長浜に出た。
 長浜には城址がある。伯父の最期の時往来して知った。気になったが今回やっと登城することが出来た。中世初期の城郭で、当然のことながら大天守はない。とても小さな物見櫓が推定できる範囲で復元されているだけで、城址というより小型の森林公園といった感じである。この先公衆トイレに恵まれないので、有難いスペースである。道を挟んで向かいにはJAふじ伊豆の農産物販売所OH! MOSがある。
 重須から旧道と現県道は大きく別れるが、旧道の方は一旦海から離れて新県道長井崎トンネル手前で交差し長井崎を巡って木負に達する。昭和50年代に開校した長井崎中学校はこの上。そのため旧道を通る通学バスがある。
 旧道と新県道はまた交差するがその直前には洋上ホテル客船スカンジナビア号が繋留されていた。淡島マリンパーク、三津シーパラダイスと並んで北西伊豆の主要な観光施設の一つであったが晩年は切り売りされて買い手によって曳航されたが途中で難破した。もしこの広場に統合小中学校が丘の上から移転できれば通学はだいぶ楽になるだろう。
 旧道は新県道と交差したあとまた内陸側を走る。ここから次の久連に行くには赤崎を巡らなければならない。赤崎巡りのルート開設も明治後期以降の事でそれ以前は丘を越える山道ルートしかなかった。昭和30年代に赤崎周りの改修工事がなされたらしい。定礎銘板があって元請け業者らしい名前があるが誰かが削って落した跡が荒々しい。工事を巡って何かあったか。
 実はここを通ったのが帰りの話で、行きは木負から丘を越えるルートを辿った。途中全く自分には関係のない墓地があってそれがどうなのか確かめたかったから。県道から離れたみかん山の農道だから当然空中写真でしか判らない。で登って見ると木負の集落が見渡せる…もしスカンジナビア号があればと思わざるを得ないような程よい景観。そんなこんなで山方逍遥。目的地に付き花立へしきみを入れ簡単な墓参を済ませた。旧盆の直後でぐるりを見渡すとその景観は華やぎとはまた別の整った印象を与えた。
 さて帰りは海沿いの道を歩いた。東海バス西浦線は2本に1本の割合で木負農協前で折り返すからそこまで行けば楽に沼津駅にたどり着く。しかしもっと海が見たかったので歩くことにした。長井崎にも寄ったがバス停に二人の学生風の男子がいた。こちらから見るとなんだか『となりのトトロ』を連想してしまった。
 三津を過ぎると最早喧騒は見られなかった。伊豆長岡駅に行っても帰りの特急はないので海伝いに歩いた。沼津駅までのバス代を浮かすためである。結局御用邸まで歩いてバスに乗り沼津駅についたら19時03分発の直通が待っていた。
 この時はまだ良かった。

古奈温泉街から乗ったバス
崩壊途上の旧隧道三津坑口
三津浜
驚きの光景
これ郵便局前なんだけど、どうなの?
三津浜海水浴場
峠越之道
木負(きしょう)の集落
この辺の集落の墓地はこんな感じ
しきみ飾る禅宗寺院墓地
喧騒はもうない
私が見た最後の大瀬行き

 だがこの翌年の夏に墓参に行ったらどうにも様子がおかしい。
 墓が無くなっていた。基礎が残り骨壷を収めるカロートがセメントで埋立てられていた。
 これほど驚いた事も、人生でそうない。

こうして縁が途切れてゆく…




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?