ようこそ伊豆へ―静浦口野逍遥
写真:県道17号から見た淡島
宝泉寺裏門前から左に降りる道がある。
行くと道は右と左に分かれ右は臨済宗栄昌寺、左は天神宮があり少々見晴しが良い。山沿いに歩けば三角屋根の建物の後ろを経て、だいたい真っ直ぐな道に戻れる。その道に入らないと金櫻神社境内に入り行き止まり。ただ1/25,000地形図には道が記載されているけど1/2,500基本図にはないので前者が間違っている。
この道は元は内浦へ向かう道だったが、近代に海沿いの道が開かれると登り降りのあるこの草分け道は廃れた。
金櫻神社の本体は金櫻山だがどうにも登れる感じではなく、無理して登った記録が別の人の手によりブログで報告されている。この神社については戦前の地図には記載されていないから国家神道に整理された時一度廃されたのではないかな。さてこの神社の調度は凝っていて一見の価値ありと思うが自分が訪れた時は誰も来なかった。
ありがてぇ、ありがてぇ。
金櫻山のある尾根は昭和30年代になるまで沼津市と内浦村との境界で、さらに遡ると駿東郡静浦村と君澤群との郡界でもあった。そして駿東郡は伊豆国には含まれないので、この尾根は伊豆への入口ということでもある。だがそれを記した標識は海沿いの道である県道17号線にはない。
おそらく静浦地区も伊豆のうちと見ている人が多いのでは。
さて金櫻神社へは県道から階段で入るようだ。これを登った所から見下ろすと工場の跡地のような槽状施設が並んでいるふ頭が見える。これは県の水産試験場の跡地で現在取壊しが進んでいるが、この後どうなるのだろう?
このふ頭の先端には口野島という岩礁があったが、埋立てられて工場地のような印象の土地になった。同時期に狩野川放水路が開削され、大久保山が採石のために掘り崩されたからその時に出たズリで静浦から西浦にかけて埋立てが進み、海岸線の形は大きく変わってしまった。こうして県道17号線は海沿いを主体に整備されていった。
大久保山は獅子浜と江浦の間にあり、江浦の浦を強調するような山だったが崩れやすく道を塞いでしまうことが度々に。昭和30年代に切り崩して石を採るとなったとき反対する人がなかったという。しかしいざ山が無くなってみると西風や西日が江浦に流れ込んで環境が変わり江浦・多比の人から大いに恨まれたという。
このような経緯から県道17号線には「これより伊豆」の看板が立つ代わりに「採石反対」のそれが口野の隣りの集落の内浦重寺に行く途中に立つ。
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