発端丈山、死の徘徊
山があって海があるところに憧れていた。
それに気が付いたのは20才くらいの頃だった。元々探検が好きで子供の頃から今日に至るまで身の回りの探検が趣味と言うより生活の一部というような感じで生きてきた。
おそらく先祖の半分が代々西浦という環境で生活してきたせいか、それが遺伝子に残っているのかもしれない。
しかし山登りには道具の手配やら移動やらでお金がかかるものだから、著名な山に登ったことが殆どなく、授業を除きスニーカーで登れるような低山しか今日まで経験したことがなかった。海の方はと言うと泳ぐのが得意ではないから外から見るのが専らである。一度大瀬で海水浴と言うのをしたことがあるが、海水が目に沁みることを覚えたためにあまり経験がない。
2020年8月9日に登った発端丈山は、大昔に授業で登った富士山を除くと、その時私にとって最も登山始点からの比高が大きい山になった。
伊豆長岡駅からバスで三津坂に出た。バス停のある所は三津ではなく伊豆の国市長瀬という所である。前回この辺に来た時は三津から三津坂隧道に向かって登ってきて、隧道と平行に並んだ旧隧道の入口を見てから引き返したので、今回三津坂でバスを降りたのはその反対側を見ることが目的で実は発端丈山を登るのが目的ではなかった。旧隧道の長瀬側入口に行くと旧隧道の復旧を試みている人がいて色々話を伺ったが、その復旧はなるほど難しいようだ。その時発端丈山を登山口の話をしたがどうやらこれが私が今回の登山経験するきっかけになったようである。
昭和36年に開通した現在の三津坂隧道は幅が狭く自動車のすれ違いは出来るが徒歩で通り抜けるのは不快だ。この時旧隧道の三津側坑門近くは水が出てぬかるんでいることを知っていたので今回も現用隧道を通りぬけた。通り抜けると道はつづら折りになるような急坂だから三津方向への眺望は良く、12時25分に内浦交番前に出た。
この交番は少々不思議で、町の中心にあるのではなく人里の終わる山の中にある。
近年三津の中心から移動してきたのは2011年3月の東日本大震災に伴う津波被害の教訓からであるらしい。同様な事にならないように波の被らない位置まで引っ越したのか。しかし地図で確認するとその標高は20m程でそれほど高いわけではなかった。ちなみに三津坂隧道三津坑口の標高は58.3mとあるからバスから降りて40m近い損をした。
ぷんすこ。
そしてここに発端丈山ハイキングコース三津北口登山口の入口があった。
さて進入して見るとその登りルートは登ったり少し下がったりの繰り返しで辛いことったらない。ちなみに頂上に着くまで誰ひとり会わず、この登山ルートは敬遠されていたようだ。
山頂に着いた。比高390mを登るのに80分近くかかった。
さて登っては見たものの真夏の昼下がりということで見晴しは思ったほどでもなかった。かすんでいるのである。そして頂上には何もない。まず水場がないのが滅法辛い。水筒は必須だが手持ちのそれはというと350mlであるから容量不足で、1リットルのものを用意すべきだ。そのために長居をせず長浜口に出るルートを降りた。
実はここからが興味深く、途中に鉄筋コンクリート製の展望台がある。おそらく自分が生まれる以前からあったようで、急登の途中にあるそれを作るために必要な資材をどのように運んだのだろう? 町場の工事のようにレディーミクストコンクリート車が駆け付けられる場所ではなく砂・砂利・セメント・水槽を下から担ぎあげて現場でこね合わせなければならない訳で、完成後の維持管理も難しいだろうことは素人目にもすぐ判る。これよりわずかに離れた所に使われていない小型のケーブルリフト装置があるから、これを用いて資材搬入したようだ。
しかしここからの展望も冴えない。回りに木々が生い茂ってしまったから。そしてこの先、急登ならぬ急降。これが楽かと言えばそうでもなく危険。そうして降り途中にあるのはアバンダントファームであった。
沼津3浦の名物であるみかん栽培の成立要因は、北面下がりの斜面地に適した作物が何かという切実な問いに端を発していたようだ。しかし急斜面地だと海抜150mがその限界点らしい。先刻紹介した花坂のみかん園もその位の高さになる。しかし内浦は急斜面地であることと漁業が主体のために農業への転換は西浦ほどうまく行かなかったようである(逆に西浦は漁業が盛んではない)。雑草に埋もれるみかんの木と崩壊途上の農作業小屋を目にして標高160mの内浦重須見晴台についた。
高ければ高いほど見晴しは良いと考えがちだが、高い所からの見晴しは総描的な印象のディテールの荒いものになる。内浦を見晴らすのであればこの位の高さの方が良いようで苦労して発端丈山を目指すこともない。ここまで来るのも辛いし。先日紹介した小海草原もだいたいこの位の高さになるがそちらは木々のために現状では見晴しは期待できそうもない。もしそこに展望台があれば重須からの見晴しと小海からの見晴しと二つの角度からのほど良い見晴しが期待できそう。ここから重須を経るルートと長浜を経るルートが分岐しその時は長浜に出たが、人家が近付くにつれてみかん園も復活基調になる。ハイキングコースの終点は長峰山住本寺門前。日蓮宗の寺院で門前の水難供養の碑で知られる。この碑文の文字はごく普通の書体だが書かれている内容が想像できて少々恐い。
そうして長浜の集落についた…内浦三の浦に集う若者がうらめしーや。