内浦小海270m山―絶景かな絶景かな
あんなことをされてしまうと、やはり当惑する。
自分の縁地付近を舞台として基本女子しか出てこないTVアニメーションを放映されたことである。
その名は言うまでも無い。
さてその作品が製作された目的は、地元の観光振興にあったと見る事が出来るが、話を聞くと成功したという感じでもない。
この作品群についてはもっとも最初の作品が放映される直前の2013年初頭にもあまりいい話を聞かなかったし(よく判らないが作為的な事を平気でする連中が絡んでいるとか)、実際2次創作を除いた全ての作品を見てきたものの、自分の中では通奏低音的に不信感というか、理解しがたい何かを感じていた。
特に現在放映中の作品については、どうにも理解できないのである。話がくさいし面白いと思えない。また一人の人間を取り囲んで意志を変更させようとするなんて、吊るしあげにしか見えない。
私にはこの作品群のひとりよがり的な設定(例えば国立の学校が廃校寸前で、さらにアルパカ飼っているとかもうね)が鼻に着くのである。
もちろんこれについては高3の時に浜松静大受けて落ちたこととは無関係…
閑話休題。
作品の舞台が観光地としては3級の場所(もちろんそれは観光ガイドブックとかを参照してのことで、実は観光資源には恵まれている方なのでこのような評価をするのはやぶさかでもある)を選んだ理由が果たして観光振興にあったのか?という疑問があった。というのも、舞台である内浦三津を含む沼津市が中心駅一帯の連続立体交差と、国道414号線バイパスの建設という人口20万人程度の町としては大きすぎる事業を抱えていて、私もそうだが批判的に見る向きも多く…その殆どが政争的な観点からのものであるのに念が残る…この事業に対して市外の人の関心を寄せる意図があったのではないかと見ている。
それというのも、舞台の中心にある「発端丈山ハイキングコース」の案内板がおそらく設置から30年以上の年月を経てもほったらかしで、私の冬の手先の如く色褪せてささくれだってガサガサだったのさ。
もし市が本当に観光に傾注する姿勢なら、とうの昔に更新されただろう。
因みに昨日は大潮の日であるだけでなく快晴の日曜日。口野千畳敷に踏み入れる絶好の機会。
また古文書の言う「重寺四十八谷」がどんな所かをトレースしたい。
そのついでに内浦に赴き発端丈山ハイキングコース三津中央口も見たが、その御入口たるや来迎寺脇を抜けて見ると草ぼうぼうで、どうやら最近人が踏み入った感じがなかった。
その代わりに旧内浦小学校裏の270m高地に初登頂!
この270mの山には特にこれと言った名前が付されていないようだ。
城山と聞くが発端丈山も城山という。発端丈山の方は公認されているみたいだが実際に登って見て果たしてここを本当に城として利用していたのか、登り降りに相当時間を要するので疑問を感じるけど。270m山の方にしてもほぼ同様で、こちらは現在頂上付近まで軽自動車が通れるコンクリート舗装道があるからまだ登りやすいが、徒歩で行ったら30分近くかかる。もちろんこの道は戦後のものらしく、戦前の地図では海照寺裏からほぼ一直線の登山道らしき急登でこれでは30分で行ける感じではない。逆に発端丈山の方には戦前の地図に登山道の記載がなく郡村界が記載されるだけ。
私が270m山に気が付いたのは、10年前に通りかかって2年前にやっと入城する事が出来た長浜城から白いガードレールが見えたため。このガードレールは大変目立つので8月にそこまで登って見たらえらく辛いもののその労力に見合った情景を目にすることが出来た。幸いGoogle-mapに指示ポイントがあったので写真を投稿したけどいつの間にか消されてた。誰が何の目的で指示ポイントを置き、なぜ消したのかさっぱり分からないが、投稿者に無断で何の説明もなく指示ポイントを削除するのであればGoogleの信頼性を損なうことだろう。かと思えば静浦学校付近にある獅子浜突堤のように立入禁止とされる施設に指示ポイントを置いたり。
Google-mapは個人のブログではないので。
さて今回静浦地区センター前から江浦、多比、口野、野営葬之地、重寺、三津来迎寺と歩いて270m山に改めて登ることが出来た。
しかしいざ行ってみると頂上はさっぱり景観に恵まれない。
おそらく大平山からの登山ルートがあってしかるべきだろうと思うがそれも無いのがざんねん坂。もっとも登り口には財政投融資等で建設された内浦小学校の比較的新しい木造体育館が全く利用されずに放置され雑草が生えているからなんとも言いようがない。なぜ沼津市は観光にもっと力を入れないのか? 二つの巨大事業を抱えていて、その意義が疑問視されているのにそれより軽便に出来る何かを放置しているのはどうにも見栄っ張りな沼津人の性格をよく示している。
まあ沼津人が見栄っ張りだからこそ大勢の人が絡むTVアニメーションを作ったわけだろうし、多くのラッピングーカーが鄙にハマれなほど走りまわるようになったのだろうけれど。