古宇から立保へ
自分の詳細を明らかにしようとは思わなかったので西浦拠点を古宇としたらなぜか山の中に家があることになってしまい最近変更した。こう言った場に於いて自己の詳細をハッキリさせる人は少ないだろうし、また逆に本名を名乗っている人に出くわすと却ってこちらが引けてしまうからこれでいいだろうと心得ている。
さて江梨でバスを降りてから足保まで辿りつき、さらに古宇を経て立保迄歩いたが、この先は県道17号線をひたすら歩いた。
古宇は古代には許保と書いたらしい。田方郡吉妾郷許保里。そういう地名があって古宇がそうではないかと言われている。するとそれなりに古い歴史があるようだが江梨と同様、明応以前の歴史がわからない。
足保漁港の古い物揚場の遺構を見て県道を戻る。県道の海側にある歩道がなくなる辺りが足保と古宇の境界で、みかん山が海に迫る崎の辺りには人家がない。崎には波で根元がさらわれたような壊れかけの丸石積みの堤防がある。そこを過ぎると製材所があって古宇の港と集落にでる。製材所には専用の波止場がありしばらく行くと古宇浦漁港の管理するKOUヨット村という波止場がある。薄緑色の民家が目立つ向こうにはコンクリートでできたみかんの貯蔵倉庫があるがその辺が農協のあった所だろうか。砂浜が見えるが海水浴場として利用されているわけではない。そうして古宇川に着くと崎の堤防と似た感じの導流堤があってじきに県道の分岐点に着く。分かれる県道127号線は船原西浦線といって沼津市と伊豆の国市を分ける山稜を越えて戸田にでる道となる。沼津駅と戸田を結ぶバスはこの道を通るが1日1往復しかなく日帰り客の利用は難しい。県道から県道を分かれる所であるためかガソリンスタンドがあって東古宇のバス停がある。またみかん山が海に迫る崎があるが古宇と足保を分ける境界はこの崎の地点である。この崎を巡る海岸道も昔はなくてみかん山を突っ切って越える農道が元の県道だった。本来だったらこの旧道を越したい所だったが、もう夕方で最終バスの時間が気になりだしたのと、もう一つ気になるものが来る時にバスから見えたからだった。
それは立保漁港の西端にある西浦園の建物だ。
西浦園は民宿が本業だったようだが、流石に周囲に観光施設もなく、観光中心の内浦三津よりさらに奥まった所であったから泊まりに来る人はそれほどいなかったのだろう。昭和の観光ブームの頃に出来た鉄筋コンクリート4階建ての建物は周囲の景観から浮いた印象がある。今日では貸しボート業のみの営業となってしまった。この建物と隣り合って立保の農協支所倉庫があって集落の中心に着く。良く見ると半切妻屋根の古い木造建築があり、農協支所の建屋であるようだ。
新しい建物と言えば海側に立つ公民館ぐらいでそこに着いた時、帰りのバスの時間が近づいたので、立保農協バス停でバスに乗った。
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