奥座敷?
軽井沢という地名は信州の専売特許ではなく、横浜にもある。
そう言っても、そこは真の横浜ではなく、神奈川の一エリアでしかない。現在は南と北に分かれて横浜市中区に属するが、人にはあまり知られていない地名だろうか。そうしてその北側奥は三ツ沢というエリアになる。こちらは横浜市神奈川区だ。東、南、西、上、中、下の六町に分かれて南と北の二町しかない軽井沢と比較すると遥かに広い。神奈川区峰沢町大池に発し反町を経て神奈川区地先海面へ注ぐ滝の川という小河川があるがこの川の中流付近に発達したのが三ツ沢地区である。そのため河口から遡れば平坦な道を行くことによってそこへ辿りつくことが出来るが、横浜駅からでは大変遠回りになるので、駅からバスで行くのが一般的で運行本数も多い。しかし後年市営地下鉄が開通する時は横浜駅から反町側を経て当地を通すことになり、上町下町の2駅が開設されるようになった。
当地区の目玉というか、著名な施設は三ツ沢公園である。軽井沢からの道を登りつめた丘の上に出来た公園でその殆どが運動施設として使われている。どういう意味があるのか判らないが、小学校高学年の遠足でここに連れて来られた。1964年東京オリンピックの予備施設として整備されたから、そういう栄光を知らしめる意図があったのだろう。三ツ沢公園に行く場合、横浜駅西口からバスに乗った方が地下鉄よりもはるかに楽である。
次に広大な施設といえば市営三ツ沢墓地である。三ツ沢の北側に併行する谷戸を底に両側の丘を多数の墓石が埋め尽くす。横浜の墓地というと久保山墓地と根岸共葬墓地が古くからあるがそれに次いで歴史のある墓地で明治末に開設された。
他にあるものと言えば、岡沢町から移転してきた市民病院と、天下の秀才が通う県立横浜翠嵐高校と、豊顕寺境内位である。岡沢町から移転したとは言っても旧病棟は三ツ沢公園と道を挟んで向かい合う位置だから元々三ツ沢にあったと言っても強ち間違いではないし、県立高校では序列第一位の進学校とはいっても周囲に浅野、慶應附属、法政2・女子、桐蔭学園など私立学校に大きく水を開けられている感じで、野球以外にたいしたこと無かった横浜高校からでさえ今の人は名門大学に入るくらいだから、どちらかというと凋落気味のようだ。豊顕寺に至っては元は仏教大学のような銘刹だったが今は公園の片隅にあるひっそり系寺院でその一隅には国道管理事務所が建てられてしまった。
横浜市民ですら用の無い人はいかない。三ツ沢とはそういう場所である。