![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/79047555/rectangle_large_type_2_acdcdadd2db9ea84d1b796d8dc9a4607.jpeg?width=1200)
放水路交差点―静浦口野逍遥
西浦の縁地へ自分一人で通うようになった2020年7月以降、今日までの回数が2000年以前に通った回数を越えてしまったようだ。20年間ここを通ることがなかったのは2007年に長岡ルートを発見したからで、それというのも東海道線の直通特急で来られる長岡ルートの方が車を運転できないものには快適だから。
![](https://assets.st-note.com/img/1653172772578-AFheB7mqcv.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1653173031824-bXjMs9mDeZ.jpg?width=1200)
もちろん長岡ルートには欠点があって、西浦へ直通するバスがないために三津で乗り換えなければならないことと、料金の高さと列車の運行時間が朝は遅くて夕方は早いということである。
自動車だと東名高速道路沼津インターから国道414号線で上石田を経るという経路になる。このルートを高速バスで行くのは自分にはとてもハードルが高い。電車より運賃が高くアクセスも良くないから時間がかかるし。
さて口野放水路交差点を経るのなら自家用車でもバスでも徒歩でも変わりがないけど、自分にはここを内浦から沼津へ抜ける時が興味深かった。しかしなぜか沼津から内浦へ行くときは独特の理不尽感があって好きになれなかった。この理由がよく判らないが、口野橋から交差点に入ると必ず直面するのが御場隧道でこのトンネルが山を通り抜けるためのものと言うより巨大な石に穿たれたという感じがして、無駄と言うか謎と言うか、そんな感じがしたからかもしれない。これが逆方向ならばトンネルを右に見るだけだ。御場隧道を切り崩して青空の道にするのは容易な印象だがそれをせずに残したのは意味があるのだろうか。古地図を見てもトンネルの上に乗る丘?の大きさはそれほど変わっているわけではないから、波浪を防ぐ楯のような役割があるのかもしれない。
さて放水路交差点は国道414号線と県道17号線、そして旧県道の交会する4辻路である。もっとも国道はL字型に曲折しそれに県道と旧県道が取り付くという変則性のある交差点だが、元々沼津から西浦に抜ける道が県道として一体化していた所へ長岡方面への道がトの字接続していた。その後狩野川放水路の開削に伴って県道134号口野トンネルが開通すると沿道に長岡、修善寺と著名な観光地を抱えている方が下田街道として認知され、逆に小さな浦が連なり交通需要の小さい県道17号よりそちらが本道となった。そして昭和57年の国道認定で勝負は決着した。
県道17号も口野の入江の一部が埋め立てられると共に海沿いに経過地を変更した。この埋立てはおそらく放水路と口野トンネルの掘削ズリを使ったものだろう。そのため三津に通じるだけでなく口野切通しを経て長岡に通じていた旧道はほとんど自動車が通らなくなった。
通り抜ける者の著しく少なくなった御場隧道。
幼き時の特異な感興はこの存在に起因するのか。
![](https://assets.st-note.com/img/1653171276982-DjPF4XjXGN.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1653171420359-qWj1WcWtZ9.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1653171699481-bUo71AISHk.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1653171699481-bUo71AISHk.jpg?width=1200)