昭和の野池 『おばん池の思い出』
全5話
第1話
通称「おばん池」は、昭和40年代、私がお世話になった小さな池です。
おばん池は、私の家から2kmほど離れた高取山の東の麓の崖の上にぽつんとありました。
池の大きさは200㎡ほどで、ずんぐりとした瓢箪形。三方を藪に囲まれたこの池の東側は唯一土手になっており、私達子供はここから池に入ってメダカやエビを捕ったり、時には釣り糸を垂れたりしました。
水面には池の半分ほどを蓮の葉が覆っていました。
まだブラックバスやブルーギルなどの外来種が入る前の時代で、どこにでもある日本の野池であり、恰好の遊び場でした。
この池に地図上の正式名があったかどうかは知りませんが、小学校の校区という狭い地域の人間には「おばん池」で通っていました。
私が近所の年長の友達から聞いたところによると、
「ここで遊んだら危ないからよそへ行け。」
と叱りに来るおばあさんがいるから「おばん池」という名前になったとか。
しかし、私が小学生の間、何度もそこで遊びましたが、いちどもそのおばあさんには会いませんでしたし、私の知った友達で、おばあさんに怒られたという者は一人もいませんでした。
第2話
ー 洋一くんのしかけー
家の隣に洋一君という私より三つ年上の男の子がいました。
三つ上というのは、小さい子供にとってそれはもう何でも知っている何でもできる、憧れを形にしたような存在です。
洋一君は、私に大変親切でありましたし、他の年長者が私を疎んじたりしても、いつも私の味方をしてくれました。
ある日、洋一君の家へ遊びに行くと、洋一君が何か白いねばねばしたものを練っていました。
洋一君にそれは何かと尋ねると、
「釣りの餌や。」
とぶっきらぼうに言いました。
「釣り?洋一君、釣りに行くんか?」
と即座に尋ねましたが、洋一君は餌作りの手を止めず
「うん。」
と言ったきり、いつどこへ行くかは教えてくれません。
つまり、同い年の友達と行くつもりで、私を連れて行ってはくれない様子です。
しかし、その釣り道具は見たい。餌も見たい。何を材料にどうやって作るのか知りたい。
その餌は何でこしらえているのか尋ねると、洋一君は、にわか釣り師と見えて自信なさげに「メリケン粉とさなぎや。」
と教えてくれました。
(そうか、メリケン粉とさなぎか。)
私は、洋一君が釣りに連れて行ってくれなくとも、自分で釣りをする日が近づいた気がしました。
ただ、メリケン粉は分かるのですが、「さなぎ」が分かりません。見た感じでは、鰹節を砕いた粉のようで、匂いもそのような感じでした。
後に、それは釣り具屋で売っている「さなぎ粉」であることが分かりました。
つまり、釣具屋へ行かないと手に入らない代物だということです。
町内のほんの数年先輩たちは、誰から教わったのか、その秘密めいた粉の存在を知っているばかりか、手に入れていたのでした。
この一事を以てしても、幼少の頃の数年の年長者というのは尊敬に値する存在であるということをよく表しています。
第3話
ー初の単独釣行ー
ある夏の日、私はおばん池まで2kmの道を、一人釣り竿を担いで走って行きました。
池に着いたとたん、大事な道具を忘れてきたことに気づきましたた。
私はすぐさま踵を返し、もう一度走って2kmの道を家まで戻り、道具を手に取るや、さらに2kmの道を駆けておばん池まで戻りました。
どうして、都合6kmも駆けられたのか。
それは、そのときすでに私がいっぱしの釣り人であったからです。
いっぱしの釣り人かどうかは、持っている道具や腕前や、ましてや釣果で決まるものではありません。
「釣りがしたい。何がなんでも釣りがしたい。」と思うかどうかです。
小学二年生ぐらいだったか、私はこの頃すでに釣りをすることに対する並々ならぬ思いをもっていました。
それは、祖母から釣りの楽しさを教えられ、
「何としてでも自分一人の力で一匹釣りたい。」
と強く願っていたからでした。
このようにして、私はおばん池で生まれて初めて自分一人で鮒釣りを試みました。
しかし、おばん池を卒業するまで、一度もこの池で鮒を釣りあげたことはありませんでしたし、浮きがぴくりと動いたこともありませんでした。
半世紀以上も経った今、はっきり言えることは、釣れた喜びよりも、釣れなかった悔しさの方が、私にとってははるかに釣りに対する情熱をかきたてた、ということです。
第4話
ー少年太公望ー
三年生ぐらいの頃だったでしょうか。
ある日、おばん池へ行くと、学生帽を被った中学生が一人、岸辺の最もよい場所に陣取って鮒釣りをしていました。いや、リールを使っていたので、もしかすると鯉を狙っていたのかも知れません。
私は、興味津々に近づき、何やかやと質問をしました。その中学生はよほどの人物とみえ、私の質問にいちいち学者のように詳しく説明してくれました。
なかでも彼の使っているリールは「たいこリール」という代物だということを今でも覚えています。
我々ちびっ子が彼の釣り場に半ズボンの裾を褌のように引き上げ、白い尻を見せながら入って底をかき回すのですから釣り人としてはたまったものではなかっただろうと思います。
しかし、彼は私たちへ邪魔だと言ったり、そこから立ち去るよう命令したりはしませんでした。
隣の家の洋一君よりさらに2つか3つ年上らしきその中学生は、今から思えば小さな太公望のようでした。
第5話
ー発明家ー
このおばん池に、釣りとはまったく関係のないおじさんが、ある日突然現れました。
そのおじさんは白衣をまとい、自分で「発明家」だと名乗っていました。
年の頃は、小学三年生の子供から見ておじいさんになりかけ、つまり「初老」のように映りました。
その発明家が何を発明したのかは今は覚えていません。というよりも、本人の口からご自身が発明した物のことは聞きていないか、或いは聞いて驚くような物ではなかったのかもしれません。
はっきりと覚えているのは、学校の先生のことを「知識を伝えるだけの人」と評して、見下していたことです。
「私は、物を発明し、人類のためになっている立派な人間である。学校の教師なんぞは私に比べれば、ただ知識をバトンタッチするだけで大して世の中の役に立ってはおらん。」
と。
当時、学校の先生のことを神様のように感じていた私(当時の子供は大抵そうであったと思います)にとって、その神様のことを大して値打ちのない職業人のように言う発明家の言葉に驚きました。
その頃はまだ「胡散臭い」という言葉を知りませんでしたが、その言葉がぴたりと当てはまる人物であったように思います。
そんな人もときおり現れたおばん池でした。
「おばん池の思い出」完