見出し画像

北海道のフライフィッシング 一「おいっ!」の淵の川で自分を釣る、2度も一 第5章 (全8章)『刺さった釣り鉤は簡単には抜けない』

 
第1話
 咄嗟に思い出したのは、小学生の頃に読んだ釣りの本の中にあった「刺さった釣り鉤の抜き方」でした。

 記憶を辿ると、「まず、釣り鉤と糸を結んでいるアイを金属ごとペンチで切断する。
 次に、刺さった釣り鉤を根元(アイ側)から押して貫通させ、皮膚から出てきた鉤先をペンチでつまんで抜き出してしまう。」という荒療治でした。
「荒療治だろうとなんだろうと今ここでやらなくてはならない。」
 すぐに、いつもペンチを入れてあるポケットの中を探しましたがありません。
 そうでした。この度の釣行からペンチをフォーセップ(鉗子)に変えたのでした。フォーセップでは鉤を切断することはできません。
 これで、この方法は完全に断念せざるを得なくなりました。


  
第2話
 しかし、なんとか抜く方法はないかと指に刺さったフライをよく見てみると、鉤自体にぐるぐると羽虫に似せて糸を巻きつけてあるし、パラシュート部分には鳥の羽根が広がったりしているため、アイを切断したとて、これら糸や羽根を鉤といっしょに指の中を通すことは到底できないことに気付きました。
「どうしてこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。俺はかなり動揺してるな。」
「いや、鉤に巻いた糸やら鳥の羽根を切り除けばその荒療治もできなくはないな。」

 しかし、刺さっているのは右手です。右利きの私が左手でこの細かな作業は不可能です。
「そもそもペンチはないんだったな。やっぱり無理だ。」
 かなり混乱し、思考は堂々巡りをしています。


第3話
 もうこうなってしまっては本当の荒療治、「最後の手段」しかこの鉤を抜く方法はありません。

「魚だって返し付きの鉤を無理矢理引っこ抜いても生きているんだ!」
 この先に待ち受けている激痛からは目を逸らし、いちかばちか「引っこ抜く」方法を取ることにしました。

 力一杯一気に抜けばなんとかなるかもしれません。
 しかし、いくら目を逸らしたとて痛いだろうことは分かり切ってます。
 一気にやる前に、ちょっとだけ引っ張ってみて、それから判断しよう。うん、そうしよう。

 試しにちょっとだけ引っ張ってみました。

「いったぁ〜。」
痛すぎました。
 こんな痛いことできるわけありません。
「あ〜ぁ、これまでさんざん魚を痛い目に遭わせてきたバチが当たったわい。」
万事休す。 

 とにかく、お義父さんに知らせなければと、ホイッスルを何度か思い切り吹きました。

 ほどなくして、返事のホイッスルが鳴り、上流からお義父さんが下りてきました。

「どう?大きいのかかった?」

「まあ、かなり…。」

 お義父さんが近寄ってきました。

「こんな感じです。」
と、指を見せました。

 お義父さんは状況がつかめない様子でした。
「フライが刺さってしまいました。返しがついてるので抜けません。」

「どれ。」
お義父さんは私の指を手に取ってまじまじと見つめました。
「こりゃ病院に行った方がいいね。」

 とりあえず、フライのアイに結んだティペットを切りました。
 これだけで、かなりの解放感です。


第4話
 これから頼るのは、キャンプ場の管理事務所です。

 恐る恐る事情を話し、フライの刺さった指を見せると、
「遠くからやって来て大変な目に遭ったねえ。」
と、いたく同情してくださり、電波が届かないからと宇宙電話とやらを駆使して、ほうぼう病院を探してくださいました。

 その日は日曜日でしたが、市民病院には当直の医師がいて診てくださるとのことです。しかも、運の良いことに外科の先生でした。

 フライが刺さったままの人差し指を一本だけぴんと伸ばしたままハンドルを握り、市民病院まで運転しました。

 日曜日だけあって、病院は暗くがらんとしています。

 先生に指を見せながら状況を説明すると、
「こんなけがは初めて見たねえ。」
と、不思議そうにフライの刺さった指を見つめていました。
「こんなもんで魚が釣れるんだ。」
(今日は人間ですが…)
 フライで自分を釣るなんて恥ずかしい話ですが、今はそんなこと言ってる場合ではありません。
 目の前の先生にすべてを委ねて、無事フライが指から取り除かれるることを祈るばかりでした。 


第5話
 治療は麻酔の後、切開して鉤を取り出し、テープで留めて完了しました。
 勿論、怖いので治療の様子は見ませんでした。
「これ、廃棄しときますね。」
 見せてくださったのは、先程まで刺さっていたオリーブパラシュートです。
 その無惨な姿から、先生の悪戦苦闘ぶりがうかがえました。

「まだ、来たばかりなんでしょう。濡れないようにこれ、はめとくといいですよ。」
と、指サックをくれました。
「予備もどうぞ。」

 先程の管理人さんと言い、目の前のお医者さんと言い、北海道の人々の親切な対応に心底感謝しました。

 心配そうに廊下で待ってくれていたお義父さんに治療がうまく終わったことを報告すると、
「じゃ、釣り、できるね。」
と、嬉しそうです。


 再び「おいっ!」の淵の川に立ったとき、時計は午前10時半を回っていました。
 先程までの気負いはなくなり、心は川に溶け込んている感じです。
 「おいっ!」の淵の川が、やっと私を受け入れてくれたような気がしました。



第5/8章 『刺さった釣り鉤は簡単には抜けない』完


 



いいなと思ったら応援しよう!