
私の原点 長崎五島列島の釣り
『五島の釣り』 全2章
第1章
「祖母から聞いた話」
一荒川温泉の釣り一 全2話
第1話
私の釣りの原点は、祖母の語る五島の釣りの話だと思います。
私の父母は五島列島の福江島の出身で、当然、両祖父母も五島の人です。
終戦後、五島から神戸へ引き揚げて来た父母を追うようにして、母方の祖父母も神戸へ引き揚げて来たそうです。
私が生まれた頃の家族は、父母と姉と私の4人に加えて祖父母、そして母の弟である私の叔父の7人でした。
私は赤ん坊のときからこの祖母に手をかけ目をかけて育ててもらいました。中学1年生まで一緒に床を並べて寝ていたと記憶しています。祖母は本当に私を可愛がってくれました。
私は小さい頃、祖母の話してくれる昔話が大好きで、毎晩のように祖母の昔語りを聞きながら眠りにつきました。
「おばあちゃん、またやまんばの話して。」
と何度も何度も同じ話をせがんでいました。
祖母の語る話の数は今思えば少しだったのに、よく飽きなかったものだと思います。子供にとって昔話とは、たとえ同じ話であっても毎回新鮮なのでしょう。
ところがある日の昼間、祖母は昔話ではなく、釣りの話をしてくれたのです。
この話をきっかけに、わたしの「釣りをしてみたい」という思いに火がつき、今に至っているのです。
第2話
その祖母の釣りの話というのがこうです。
五島の荒川という所に温泉があって、そこでは温泉から竿を出して魚を釣ることができるというのです。しかも、何匹も続けざまに。
その話を聞いたのが幼稚園へ行く前だったか、或いはもう一年生になっていたかは思い出せません。
しかし、その話を聞いて、私は俄然釣りというものをしたくなったのです。当時イメージしたことを今でも覚えています。
それは、祖母を含む数人の女性が裸で温泉から竿を出して釣りをしている姿です。私は、毎晩祖母と一緒に風呂に入っていましたので、祖母が裸で温泉から竿を出す様子は容易に想像できました。
ただ、子供ながらにその温泉は本当に海のぎりぎりの所にあって窓から竿を出すんだろうと辻褄を合わせていました。
私は、祖母に何度も本当に温泉に入ったまま釣りができるのか尋ねましたが、祖母はいつもそうだと言いました。
後年、五島の荒川温泉に行く機会がありましたが、温泉自体は山の方にあり、そこからは到底竿を出して海釣りをすることは叶いませんでした。祖母の時代は海の際に温泉があったのかも知れませんが、今となっては確かめようもありません。
「祖母から聞いた話」
ー五島・荒川温泉の釣りー
完
第2章
「仏ん川」 全5話
第1話
父母の故郷である五島へ初めて訪れたのは小学2年生の夏休みでした。遠路私を連れて行ってくれたのは母方の祖父母でした。
お世話になっている祖父の兄にあたる福一爺さんの家で、私が何が何でも釣りをしたいと我儘を言うと、福一爺さんが孫の政(マサ)と一緒に連れて行ってくれることになりました。
政は、私と同じ小学2年生でしたが、牛の世話や草刈りなどを一人前にこなしていて、とても同い年とは思えない頼りになる親戚でした。
福一爺さんは、褌一丁という出立のうえ、煙管で莨を吸っていました。分厚い手のひらに火のついた真ん丸の莨の葉を転がしたのには驚きました。
こんな頼もしい二人なら安心して魚釣りができる。絶対に釣れる。私は幸福感に包まれながら、二人のする一挙手一投足を興味深く見ていました。
第2話
釣りに出かける日、福一爺さんはまず、畑の土を鍬でひとかきしてミミズを掘り出しました。
家の近所で見るミミズよりは随分大ぶりです。土くれを身にまとい、のたうつミミズが見る間に空き缶いっぱいになりました。
福一爺さんは、その上に湿った土をかぶせて、トントンと整えました。
ミミズ缶の入ったバケツを政が持ち、銘々が竹竿を担いで坂道を下って行きました。
どこへ連れて行ってくれるのか、わくわくしながらついていくと、程なく小さな川の岸辺に着きました。
早速、政が手本を見せ、一投目で何やらエラの辺りが赤い魚を釣り上げました。
私は、目の前で餌を投げ入れて魚を釣り、魚籠に入れるまでの一連の動作を見たのは恐らくこれが初めてだったと思います。
自分もやりたくてうずうずしていましたが、どうやってよいかわかりません。
第3話
政はそんな私の気持ちを察して、丁寧に餌の振り込み方を教えてくれました。
鉤に指を引っ掛かけないよう鉤のつけ根辺りをつまみ、テンションをかけた竿の反動で前へ餌を放る。
それができると自ずとミミズは川へ送り込まれます。
政に教わったとおりやると、ミミズはトボンと川面へ落ちました。
浮きなどなかったので脈釣りだったろうと思います。
初心者には、あたりの取りにくい難しい釣りですが、なにせ魚影が濃く、入れ喰い状態なので、すぐにググッとあたりがありました。
初めてであっても、これは魚が餌を喰ったということは分かりました。
釣り上げた魚は、先程、政が釣ったのと同じエラの赤い魚でした。
こうして生まれて初めての魚は存外簡単に釣れ、バケツの中でグルグルと泳ぎ回っていました。
第4話
もう、教えてもらわなくても自分で釣りたい。
魚は面白いように釣れました。
ところが、釣れる楽しさにかまけて水面ばかり見ていた私は、鉤を水面近くの枝に引っ掛けてしまいました。いくら竿を引っ張っても鉤は外れません。
すると、福一爺さんは、政に向かって顎をしゃくって合図をしました。
政はランニングシャツを脱ぎ、ズボンも脱ぎ、そしてパンツまで脱いで真っ裸になると、下手の浅瀬から冷たい川に入っていきました。
緩やかな流れに逆らって、政は私の方に近づいてきました。
そして、私の目の前の、とても足の届きそうにない深緑色の流れに首だけ出して泳ぎ、引っ掛かった釣鉤までたどり着きました。
なんと政は、泳いだまま釣鉤を外し、私に笑顔で釣り鉤を返すと、もと来た方へ泳いで行きました。
私は、再び釣りができる喜びよりも、自分がいかに都会のぼんぼん育ちで無力なのかを痛感し、同時に政への尊敬の念をさらに強くしました。
川からあがった政に私は何度もお礼を言いましたが、笑顔の政は唇を紫色にしてブルブルと震えていました。
第5話
大量の川魚を持って帰ると、おばあさんがにこにこしながら
「どけ行っちょったか?」
と私に尋ねました。
「川」としか分からないで返答に困っていると、すかさず政が、
「仏ん川(ほとけんかわ)たい。」
と元気よく答えてくれました。
その後、四十数年を経て、子供を連れて墓参りのため五島へ帰りました。
墓参りの後、私が子供の頃に魚釣りをした懐かしい川を息子たちに見せてやろうと車を走らせました。
しかし、「仏ん川」は、寺脇という村の随分奥まったところにあったという記憶しかありません。
たぶんこの辺りだろうとカーナビの示す細い川の橋の上に車を停めました。
橋の上から下をのぞくと、鬱蒼と茂る木々に囲まれ、細い清らかな流れはありました。
「ここだ。」
直感で分かりました。
しかし、下りて行くにはかなりの藪こぎをしなくてはなりません。子供たちを連れてでは無理でしょう。
「お父さんは、昔、この川で初めて釣りをしたんだよ。」
子供達も欄干越しに恐る恐るその流れをのぞいています。
「さあ、もう帰ろうか。」
ふと、欄干に川の名前が書いてあるのに気付きました。
そこには「仏ノ川」とありました。
「仏ん川」 完