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【知的障害+ASD】信じたものに一直線だった高等支援校時代 #3
娘は公立の小中を経て高等支援学校を卒業し、就労しています。
娘の高校進路を決める際、高等支援校なら将来も安泰に違いない!
それは全くの見当違いで、私は世間の評判に我が子を当てはめていただけだ、と娘が卒業してから気付きました。
支援校が悪いということでは決してない。
ただ、私を含む当時の親たちは、学校の評価そのものに、我が子の未来を託し過ぎていたと思います。寄宿舎生活をすれば、就労訓練をすれば…と実態を知らずして勝手にそう思い込んでいました。
卒業から10年以上が経ちました。娘は企業就労、就労継続A型事業を利用しながら働き続けています。
今日は、卒業後と時代についてこの10年を振り返りたいと思います。
お子さんと進路を決めるうえで、参考にしていただければ幸いです。
答え合わせの高等支援学校卒業後の多様な人生
さて、軽度知的障害のある生徒が就労訓練の高校を卒業したら、働ける人生になったのでしょうか?
答えは、生徒の数だけあります。
結婚し、子どものいる人、離婚した人、転職しながら働き続けている人、自動車免許を取得し、通勤にマイカーを利用している卒業生たちもいます。
「企業就労」という側面からいえば、10年継続して働く知的障害のある人も珍しくない。
今は、10年前とは時代が大きく変わり、障害者雇用を後押した法律もでき、企業も率先して雇用するようにはなりました。
それでも、それは極一部の人たちに限られていて、一見、上手くいっているように見えている家庭にも、様々な課題は取り残されたままになっています。
「私が死んだらどうなるのだろう」と不安におののき、日々のサポートに疲弊していたりする。精神疾患の症状が悪化し、働けない知的障害のある人たちもいます。
「学年で働けるのは1~2人」という個人面談で聞いた話も、支援者がいて初めて成り立つことだった…を痛感する日々なのです。
渦中にいた時は見えなかったことが、見えてくるのは卒業後 なのです。厳しい現実を目の当たりにすると、あの厳しい寄宿舎生活を3年間続けてきた意味は活かされているのだろうか?
そうことを考えます。
高等支援校以外の進路決定をした軽度知的障害のある人たち
では、高等支援校以外の選択をした知的障害のある人たちはどうでしょうか?
答えは、生徒の数だけあります。
こちらの場合も高等支援学校卒業生たちと同等の状況が続いています。
ただ、知的に遅れのない発達特性のある人たちの場合、公務員になってバリバリ働いている人も私の周辺にはいます。子どもの頃には発達に差があったとは思えなかった子が、店舗店長クラスにいることも珍しくない。
大学進学している子も珍しくない。
現実を知るにつけ、なにが違ったのだろうか?と、まとまらない気持ちも出てきます。
健常者側の発想では心を潰してしまうかもしれない
今になってみると、知的障害のある人の人生が時代によって家庭によって変化している反面、知的障害のある人の内面は変わらないのだな、と気付きます。
これまでの私が、「就労さえできれば安泰だ」と考えていた背景には、働くことができれば一人暮らしも難なくできる、と考えていたことに気付いたから。それらが健常者側の考え方だったと気付いたのも、娘が卒業してからだったのです。
訓練すれば、できるようになる
は、健常者側の発想であり、知的障害を理解しているとはいえません。
ですが、今の時代はそれが主流になっている…と考えて間違いありません。
本来の教育とは何か?人生とは何か?考えるほどに答えはでないものですが、我が子の人生に何を選んで、何を選ばないのかを親として考える必要があると思います。
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