2年だなんて、ほとんど永遠ね。【第3話】
今までのあらすじ
高校1年生のかごめとタツヤは、いつものように岸壁にすわって海を見ていた。ふたりがずっと一緒にいるためには、卒業までの2年、待たないといけない。2年。そんなの、ほとんど永遠ね。年取って死んじゃうわ、と、かごめはいう。ふたりは、駆け落ちすることにした。決行の日。かごめは現れなかった。月日がたち、タツヤは50才の誕生日に、かごめと落ち合うはずだった大分駅のホームにいる。タツヤに話しかけてきた女子高生が差し出したのは、一通の手紙だった。
手紙
こんにちは、タツヤ。この手紙があなたに届く事を願いながら、でも、それが怖くもある。あなたに、どんなに謝っても許してもらえないでしょう。あの日、約束のあの日に、ここに私が来なかった事。連絡も取らなかった事。取れなかった事。ごめんなさい。タツヤの言葉を借りれば、順を追って、お話します。
駆け落ちをする、約束の日の三日前から、私はお気に入りの服を駅のロッカーに入れてたの。他にも、小物とか、あまりかさばらないように気をつけて、何回かにわけて。でも、母は、何か私が普段と違ってるって、気がついてたみたい。母が父に相談したくても、父は仕事人間で帰りはいつも遅くて、ようやく話が出来たのは、駆け落ちの日の前日だったの。私はそんな事も知らず、明日からは全て解放される、って、自分のことばかり考えててなかなか寝られず、お母さんは今日、遅くまで起きてるんだなあ、くらいしか思ってなくて。
私はなかなか寝られなかったのに、いつもより早く目が覚めて、でも、出来るだけいつも通りにしようと気をつけて、朝ごはんを食べようと食卓に行ったら、いつもはまだ寝てるお父さんもいたの。ご飯は食卓にいつものように準備されているのだけど、お母さんは伏し目がちだし、何もかもいつもと違うのよ。私は、何も気がつかないふりをして、おはよう、朝会うお父さん、久しぶりね、とか、話したと思う。私が箸を手に取った時にお父さんが、
「かごめ、お前、彼氏と何かあったのか?」
って、言うのよ。私は手に取った箸をどうしようか考えながら、こういう時、箸は置いたほうがより自然なのか、なんて考えながら、
「何かって?」
って、答えたの。内心はドキドキしてたわ、もちろん。駆け落ちのことはバレてるはずはない、ないはずよ、って。
「まさか、子どもが出来たとかじゃないよな」
そんな風に思ってるなんて、考えてもなかったからびっくりしたし、何より駆け落ちがバレてないことでホッとしたし。いつもは嫌でたまらないあの列車に、いますぐ乗りたいと思ったわ。
「もう、なに朝から変なこと言ってるの、お父さん。普通の女子高生なら、ヘンタイおやじ、とか大声出してるとこよ。ねえ、お母さん」
波風たてずに収まるように気をつけながら、出来るだけ穏やかで、屈託のない声を心掛けて話したの。こういう時は、お母さんを味方につけるのが一番、とも、思った。でも、その日は違った。
「かごめ、あなた、このところ生理がないわよね」
あっ、って、思った。だから朝からお父さんがこんなこと言ってるんだ。
「ばかなこと言わないでよ。それもお父さんの前で。やましい事は何もないわよ。もう、やめてよね」
と、さっきとは違う、大きな声で答えながら、やましいって、なんだろう。もし妊娠してたら、それはやましいんだろうか、って思って、自分で言った言葉だけど、悲しくなった。その悲しみ、今でも思い出せるわ。
父の少し後ろのいた母が、両手でエプロンの端を握りしめたまま一歩踏み出して、
「じゃあ、あなたのお気に入りのあのワンピース、どこにあるの?」
えっ、お母さん私を監視してるんだ、って、衝撃を受けたわ。
「それに小学生から使っている小物入れもひとつ足りない。下着も減ってる」
バレてる。きっと、駆け落ちがバレてる。みぞおちあたりが、きゅっとなった。あなたの顔を思い出して、タツヤの顔にすがって、なんとかしのごうと、自分を励ました。
「もう、つまんない事ばかり言わないでよ。どっかにあるはずよ。こんな事で仕事で疲れているお父さんを朝早くから起こして、お母さん、心配しすぎよ。もっと私を信じてよ。お母さんの子なのよ」
お母さんは、エプロンを掴んだ両手を下腹部あたり、子宮のあたりまでゆっくりとあげて、
「そう、あなたは私の子よ。だからわかるのよ。かごめ、あなた、駆け落ちしようと思ってるわよね」
もし私が椅子にすわってなくて立ってたら、きっとペタリと座り込んでたと思う。
「あなたにはまだ勉強したり、学ばないといけない事があるでしょう?」
いつも繰り返されるその言葉。私は、まだ箸を持ったままなことにようやく気づいた。
「相手の男はどんな奴だ。どうせ勉強もできない、つまらん男だろう。そんな奴、許さんからな。子どもは、本当に出来てないんだな。駆け落ちが本当なら相手の家にどなりこんでやる」
お父さんは、急にまくしたてたの。お父さんの言葉を聞きながら、私の周りには、あの名前さえ知らない木のトンネルが、まとわりついてきたの。木のトンネル、覚えてる?箸をたたきつけるように食卓に置いた私は、
「お父さん、タツヤの事をそんな風に言わないでよ。タツヤは何にも悪くない。私だって、悪い事してない」
「子どものくせに、生意気言うな」
また、その言葉。
「わたし、妊娠してるの。もう子どもじゃないわ」
どうしてそんなウソ、言ったんだろうって、今でも思うわ。私は立ち上がってた。お父さんに身を乗り出すようにして。父は、
「なんだと」
と、それこそ聞いたことがないような大きな声を出して立ち上がって、そして、そしてそのまま倒れたの。脳卒中だった。気が動転してたし、あまり細かくは思い出せないけど、救急車の中で、お父さん、お父さん、って、子どものように泣きながら呼び続けたことは覚えてる。当時、私たちが住んでいた所は田舎町だったから、救急車が来るにも時間がかかったし、処置できる病院に着くまでも時間がかかった。それよりも手術に時間がかかった。仕事漬けだったお父さんの身体は、もともと随分と弱っていたと、あとで母から聞いた。
タツヤの事を悪く言ったのはイヤだったけど、身を粉にして働いていたお父さんの事、もう少し私も考えてれば、って、思う。
父は、一命はとりとめたけど、しばらく意識が戻らなかった。やがて目覚めたけど、今度は話す事、身体を動かす事、うまくいかない状態だった。これからの生活もあるし、どうなるんだろう、って。
それで、あの約束の日、駅に行けなかったの。連絡さえできずに。あなたの事、ずっと思ってた。でも、お父さんをこんな状態にした私が、家族を置いてあなたのところへ行く事は出来なかった。まるであの名前さえ知らない木のトンネルのように、どこにも行けない日が続いたわ。それでも一度だけ、あなたの家に電話したの。同じクラスだから連絡先はわかってたし。きっと、タツヤのお母さんだと思う女の人が電話に出たわ。
「タツヤさん、いらっしゃいますか?」
って、聞いたら、
「いません」
という、ひと言だけでガチャリ、と、電話を切られたの。それ以来かな、私、電話が今でも苦手。
10日ほどたって、母が私に話したの。お父さんを看病しないといけないし、生活もしないといけないので、お父さんの実家に戻る、って。初めて聞いたの、その時。父の実家がまだあるって。小さい頃から、私のおじいちゃん、おばあちゃんは、って、何度か聞いたけど、もういない、って聞かされていたから。これからは、父と母の話になるわ。
つづく。
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