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2年だなんて、ほとんど永遠ね。【第2話】


34年と1週間後。

 50才の誕生日に、僕は大分駅のホームにいる。芸術作品と書かれているオブジェと、僕は見つめあっている。さっきから何度も尋ねているけど、このオブジェは僕には答えてくれない。教えてくれない。
「ねえ」
 このベンチには僕しかいない。左へゆっくりと振り向く。今どきの女子高生、としか、僕には表現出来ないけど、多分、高校生だろう女の子が、痛いほどまっすぐな視線で僕を見下ろしている。
「僕の事かな」
「ねえ、おじさん。朝もここにいたよね」
「うん。きっといた。朝から今まで」
「それで、」
「うん、それで?あっ、ここは君のいつもの場所なのかな?」
「いや、そうじゃなくて」
「それならよかった。君の日常の邪魔をするつもりはないから」
「そうじゃなくて。あなたは朝から夕方のこの時間までここにいて、その芸術作品とお話は出来たの?」
「いいや、それが、ひと言も答えてくれないんだ。残念だ」
「そうでしょうね」
「そうなんだ。もしかしたら君は、このオブジェと話が出来るのかい?」
 その少女は、あからさまに仕方ないな、という表情を浮かべて、僕の隣りに座った。
「ちょっとやそっとじゃ、その芸術作品とはお話出来ないよ、おじさん」
「それは残念だ。どんな修行をすればいいのかな?」
「おじさん、話をはぐらかさないで」
 はぐらかす。
「よく言われる」
「本題はオブジェとの会話じゃないんでしょ?」
「話を持ち出したのは君だと思うけど。そもそも、女子学生と話す事なんてないから、かなり緊張はしてる。本題って、何だろう?」
「誰を待って、一日中ここにいるの?」
「なるほど。順を追って整理してもいいかな?」
「ねえ、順を追うって、あなたたちの世代はみんなそうなの?それともあなたはずっとそうやって来たの?今日は暑いね、って、挨拶しても、気圧の変化を順を追って確認しないと話は先に進まないの?」
「いやはや参ったね」
 少し沈黙。
「ごめんなさい」
「君が謝る事はないよ。順を追うってのは、きっと僕の性格なんだ。かつて僕が君の年頃だったころからね」
 しばらくその少女はあごを引いて、考え込んでいる。長く艶やかな髪。生命力が眩しい。
「まず、私があなたに声をかけた理由。私は通学のためにいつもこの駅を利用してるの。今朝もこのホームに降りたら、慌しい時間なのに、このかぼちゃのような芸術作品に向き合ったままの人がいたのよ。それがあなた。で、授業が終わって、家に帰るためにいつものようにこのホームに来たら、まだいたのよ、あなたが。びっくりするでしょ、普通」
「なるほど」
「私はあなたと話さないといけないと、思ったの」
「なぜかな」
「このままほっといたら、あなたは明日には死んじゃうか、返事をしないオブジェを破壊して捕まって新聞の片隅に掲載されるか、だと思ったの」
「それはいただけない」
「でしょ?」
「助けてもらったお礼に食事でも誘うべきなんだろうけど」
「高校生を口説くなんて犯罪よ。結局捕まって新聞記事よ」
「それもいただけない。どうだろう。自販機だけど、炭酸とコーヒー、どっちがいいかな?それともそれも犯罪の入り口かな?」
「一緒に行って選ぶ」
 そこまで言い終えると、彼女はすっと立ち上がり、ホームの階段横にある自販機に向かって歩く。僕はその後に続く。自分の子どもでもおかしくない年の女の子にご馳走するのが、自販機飲料。変だけど、そんな事が気になっている。
 自販機の前に立った彼女は、左手を腰のあたりに置き、右手の指で唇を触りながら陳列された商品を見つめている。
「これにする」
 メロンソーダ、と、ラベルに書かれた炭酸飲料を指差して振り返る。僕は用意してた小銭をスロットに投入すると、彼女は左手の人差し指で、購入ボタンを押す。いつも思う事だが、商品排出時には必要以上に大きな音がする。商品が受け取り口に現れる。彼女は上半身を柔らかく折って、両手を使ってペットボトルを取り出す。
 僕は、隣りの自販機で、昔ながらの炭酸飲料の缶を購入した。ふたり無言で先程までのオブジェ前に戻り、ベンチに座った。彼女は、黙ったまま右手でペットボトルを持ち、左手でキャップをひねって開ける。首を綺麗にのばしてメロンソーダを飲む。僕は長いことデスクワークのためか、もう首を綺麗にのばすことが出来ない。うがいをするために顔を上に向けてても、首がのびていないと、妻によく笑われる。取り戻せない時間。
「僕が君くらいだった頃、やはりこの駅を使って、高校に通っていたんだ。その頃、このホームには芸術作品のオブジェはなくて、立ち食いそば屋があった。夕方、サラリーマン風の人や僕ら高校生が、そこのカウンターでそばを食べていた。僕も何度か食べたことがある。お腹がすいて、というより、駅のホームでそばを食べる、ということを体験したかったんだ」
 彼女は右手の甲で口をぬぐいながら、僕の話を聞いている。
「ぺらぺらのプラスチックの器に、そば、かまぼこ、ねぎ、そして肉。汁は器ぎりぎりまで入っていた。肉は煮詰められてて、すじ肉のように硬かったけど、なぜだかそれがとてもおいしく感じられたんだ。高校卒業して大分を離れ、いくつかの駅で時々ホームの立ち食いそばを食べたけど、あの頃の、この駅のそばの味には及ばないんだ。全然。でもこのホームのそば屋も、無くなってしまった。もう20年くらい経つかな」
「残念ね」
「残念だ。あんなに好きなそばだったのに、もうその味も思い出せないけど」
「好きなのに、思い出せないの?」
「思い出せるんだよ、ほとんど。今目の前に、同じようなそばを10杯出されても、どれがあの時のそばか、僕には必ずわかる」
「じゃあ、思い出せるんじゃない」
「どんなに頭の中で思い出せても、それはどこまでいっても実体のないそばなんだ。たっぷりの汁が入ったそばを受け取った時の、器のたわみ具合まで僕はこの手に思い出せる。でも、でもだよ。実物に再会したいんだ。僕にとっては、かけがいのない事なんだよ」
「熱弁するのね、おじさん」
「昔話を熱弁するのは、おじさんの特権だ」
「世間的には特権、とは言わず、迷惑、というかもね」
 おじさん、少し笑った。
「駅の南側、再開発されて素敵な遊歩道とか出来てるよね」
「わたしは今の姿しか知らないけど、いい場所と思うよ」
「もちろん、いい場所だよ。以前は操車場があって、古びた金網沿いに登下校していたんだ。あの日食べたそばには、もしかしたらいつか出会えるかもしれないけど、昔歩いたフェンス沿いの道をたどることは、もう出来ないんだ。とりかえせること、とりかえせないこと。物事にはふたつあるのかもしれない」
「昔の炭酸飲料飲むと感傷的になる年頃なの?」
「そうだね。昔話にこれは欠かせない」
「変なの」
「変か、変だよね。一日中オブジェとにらめっこしている50才」
「50、なの?」
「そう、50才。実は今日、誕生日なんだ。僕の」
 彼女は一瞬息をのんだように見えた。
「誕生日、おめでとう、おじさん」
「ありがとう。やっぱり嬉しいもんだね、お祝いの言葉をもらうと」
「結婚してるのよね?」
 と、言って視線を僕の薬指の指輪に向ける。
「そうだよ、結婚してる。子どもは男の子がふたり。長男は中学2年だから、君より少し下だね。きっと」
「誕生日に日がな一日、こんなとこにいていいの?」
「毎年のことなんだ」
「毎年。毎年ここに一日いるの?」
「そう、毎年。種明かししちゃったね。毎年僕は誕生日にふるさとの大分にいる」
 彼女は綺麗に首をのばしてメロンソーダを飲むと、
「これは大事な事だから、はぐらかさずにちゃんと教えて欲しいの」
 と、僕に身体を向き直して話す。
「はい、なんでしょう」
「やっぱりあなたは誰かを待ってるのよね。毎年ここに来てるってことは、連絡もとれない人、ってことよね?」
 一途な性格がほとばしる彼女の視線が眩しい。なつかしい。
「それで、あなたが待っている人って、誰なの?どうして毎年待っているの?結婚して家庭もあるあなたが、もしその人と再会できたら、あなたはどうするつもりなの?」
 今度は僕がドリンクを飲む番だ。
「僕が34年間、待っている人は、初恋の人なんだ。かごめ、っていうんだ。34年前、僕らは高校生で、この日、僕の16の誕生日に駆け落ちするために、ここで落ち合うはずだったんだ。でも彼女は現れず、僕はそのままひとりで旅に出てしばらくさまよった。結局、小倉の街中で補導されて連れ戻されたけどね。連れ戻され、停学が解けた後に登校すると、かごめは転校してた。かごめがあの日、現れなかった理由は、わからないままなんだ。でも彼女は、かごめは、簡単に約束を破るような子じゃないんだ。ましてや、僕との約束を破ったまま、そのままにしとくような子じゃない。僕はかごめを信じてるから、毎年、この日に、ここで彼女が現れるのを待っているんだ」
「そんなにかごめさんの事を思ってるんなら、どうして結婚したの?」
「妻は、この事を知ってる。15年前の今日、今の君のように声をかけてきたのが妻なんだ。その時はこのオブジェはなかったから、おっさんがひとりで一日ベンチに座ってるって、もっと奇妙な風景だったんだろうね。当時妻は駅の職員で、彼女に声をかけられていなければ、僕はどうなってたか、自分でも自信がないよ。妻のおかげで、僕は今ここにいることが出来ると思っている」
 メロンソーダの彼女は、真っ直ぐに僕を見ている。
「34年前、何があったのか。どうして連絡もくれなかったのか。それを知りたいんだ。いや、もしかしたら、そんな事より、かごめに会いたいだけかもしれない。きっと、会いたいんだ。会えた後どうするかなんて、僕には全くわからない。でも、会いたいんだ。駅のそば屋がなくなっても、ふたりで歩いたフェンスが姿を消しても、ただただ、かごめに会いたいんだ。会いたい」
 彼女はしばらく僕を見つめていたけど、やがて視線を自分の手元に落とした。
 列車がホームに入り、何人かが降りてゆき、また何人かが次の列車を待っている。ホームの端で西日があたるこのオブジェあたりには、僕らの他に人はいない。
 彼女は自分のバックパックに左手を入れる。出した手には斜陽に照らされた封書がある。
「これをあなたにって」
 僕はしばらくその封書を見る。
「あなたにって。それじゃまるで誰かから託されたラブレターじゃないか」
「ラブレターかどうかは、私は知らない。読んであなたが決めて。タツヤさん」
タツヤ
「どうして僕の名前を?」
 彼女はそれには答えず、封書を僕にあらためて差し出す。装飾がない封書を見る。これはきっとかごめからの手紙だ。僕は受取り、中の手紙を取り出す。それは、とてもとても長い手紙であることを告げる、とても厚いものだった。

つづく。

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