2年だなんて、ほとんど永遠ね。【最終話】
いままでのあらすじ
1978年。6月。15才のぼくは、同級生のかごめと海を見ている。ぼくらは、駆け落ちすることにした。ぼくの誕生日、駆け落ちする日、駅のホームにかごめは来なかった。34年目。50才。ぼくは自分の誕生日に駅のホームにひとり佇む。ひとりの女子高生が、ぼくに声をかける。彼女は一通の手紙をぼくに渡す。それはとても長い、かごめからの手紙だった。34年前、ぼくに会うことなく、遠くの地に引越したかごめ。30才で結婚して、娘が生まれた。その子が手紙を渡してくれた女子高生だった。彼女は「もうひとつ伝えることがあるの」という。
世界中の愛情表現が、指輪じゃなくて、全部、ミルキーになっちゃえばいいのに
「それは、なんだろう。僕はまだ、きみに尋ねたいことがあるけど」
「先にわたしから伝えるね。タツヤさん、うしろを振り向いて」
僕は、50のおじさんとしてはあり得ないくらいの速度で振り向いた。線路の向こう側のホーム、夜のとばりがおりてきた中、ベンチに座ってこちらを見ているかごめがいた。
「かごめ」
僕は、あり得ないくらいの大声で叫んでいた。向こうのホームへ行くためには、階段を降りて移動しないといけない。僕の視界から少しの間でもかごめがいなくなると、もう二度と、その姿を見られないんじゃないかと怖くなり、立ち上がったまま、動けないでいた。
「かごめ」
僕がもう一度叫ぶと、かごめがにこやかに笑って、手を振ってくれた。きっと待っててくれる。僕は、階段へ向かった。50になるとわかるけど、日が暮れると老眼がきつくなる。くだりの階段では、よく足を踏み外す。僕はそれでも、階段のてすりを独り占めしながら、駆け降りた。すでに息があがっていたけど、死なない程度の速度で走って、かごめがいるはずのホームへの階段を、今度は上がった。やれば走れるもんだ、と、思いながら。
ホームに着き、かごめの姿が見えた。よかった、ちゃんとかごめがいる。かごめは、立ち上がって、僕を待っててくれる。残念なことに僕の息切れは、ぜえぜえ、に変わっている。僕はかごめに近づく。やっぱりかごめだ。かごめは両手を広げて僕を待つ。僕はかごめを抱きしめる。かごめも僕を抱きしめる。
「息切れがおさまるまで、ちょっと待ってくれ。ラブレターへの返事はそれからにして欲しい」
「もう、タツヤったら。相変わらずね、はぐらかす」
僕らはベンチに座る。向かいのホームでは、かごめの娘さんが手を振って、そしてこちらに背中を向けてベンチに座り直す。
「タツヤ、ほんとにごめんなさい。何もかも」
「かごめ。きみが謝ることなんて何もないよ。もし謝ってくれるんなら、せめてもう少し近い場所で待ってて欲しかった。そしたらこんなに息切らせて走ることもなかったのに」
ふたりして笑う。
「あぁ、それにしてもかごめ。どれだけ待たせるんだよ」
「ごめんね」
「ミルキー34個だね。34年分」
「34年、なのね」
「そうだよ。もう、お互い50なんだから」「50。もう誰がみたって、いい大人ね」
「そう、いい大人だ。もう、誰にもなんの文句はいわれないはずの」
「そんな思いは、あの子にはさせたくないわ」
「そうだね。僕も息子たちにはそんな思いをさせたくない」
「お子さんいるのね?」
「ふたりいる。上は中2。妻とは、この駅で出会ったんだ。かごめを待ってる時に、心配して声かけてくれた」
「もしかしたら、毎年待っててくれたの?」
「そうだよ。でも、50になった今年を最後にしようと思ってた。妻にもそう話してたんだ」
「奥さん、わたしたちの事、知ってるんだ」
「知ってるよ。ホームで不審者だった僕に声かけてくれたとき、話したんだ」
「そうなの。わたしたち、お互いに助けられて今いるのね」
「そうだね。助けられて、今、ここにこうしているんだ」
「感謝しなくちゃ」
「感謝しよう。お父様は、その後どうなの?」
「父は、わたしの結婚をとても喜んでくれて、ほっとしてた。さつきが産まれた翌年、亡くなったの」
「そうか。僕がなんて言葉をかければいいかわからないけど。でも、お父さんもお孫さんの顔を見られて、よかったね。さつき。いい名前だ」
「父がつけてくれたの。主人が、お父さんにお願いしようって、言って」
「柿本さん。ほんとうに思いやりのある人だね。僕には全然足りてないところだ。幸せそうで、よかったよ、かごめ。ほんとに」
「タツヤ」
「かごめは、きょうのためにわざわざ四国から大分に来たの?僕がいるかもわからないのに?」
「そうね。その話もしないと」
「次の手紙が届くのかな」
「もう。直接話すわよ」
「よかった。暗くなり始めてるから、ほら、遠視で、文字を読みづらくなるからね」
「ほんと、タツヤって、タツヤのまんま」
そういうと、かごめはさつきの背中をしばらく見ていた。そして話し始めた。
「おととし、母がわたしに話したの。さつきが来年高校になるタイミングで、大分に戻ったらどうかって。柿本さんのご両親も高齢になりつつあるし、さつきともっと行き来したいはずよっ、て。それに、言いにくそうにしてたけど、高校の時の相手の人と、もし会えるなら一度会って、ちゃんと話した方がいいと思う、そう言ったの。わたしの中に、ずっとタツヤがいることを、感じていたのね。主人とも、そのままの言葉で話したの。あなたを傷つけることになるけど、タツヤと会いたい。会って、ちゃんと話をしたいって。主人は、そういう日が来るだろうって、ずっと思ってたって、言ったわ。その後、さつきにも話したの。すべて。タツヤとの出会い、駆け落ちできなかったこと、四国に戻ったこと、そこでの生活、お父さんとの出会い。すべて。頭ごなしにあなたのことを、もう子ども扱いしない、と、伝えるためにも、そうすることがいいと思ったの。さつきはしばらく考えてた。きっと今でも考えてると思う。自分が知らなかった母親の歴史を知ったのだから、当然だとは思う。でも、伝えたことを後悔していないわ。もう、心を閉ざすことはやめたし、向き合う家族でいたいと思っているから」
気がついたら、タツヤはわたしの手をずっと握ってくれている。心地いい。
「それで去年、大分に家族で戻ってきたの。ようやく大分に戻った。主人は、若社長からのれん分けしてもらって、市内から少し離れた山間の場所に、お豆腐屋さんを開いたわ。自分が作ったお豆腐。ようやくお母さんに食べてもらえたの。お父さんも、おいしい、美味しい、と言って、食べてくれたの。その夜、主人はめずらしくお酒をたくさん飲んで、続けてきてよかった、これでようやく、ひと区切りついた気がする、そういって、自分がつくった豆腐をじっと見てた。
私は司書の採用試験を受けて、今年から市内の小学校の図書館で働いてる。名前さえ分からない木に囲まれた列車は、もう無くなってた。木は刈り取られてたわ。覚悟して帰ってきたけど、なんか拍子抜けしちゃった」
「刈り取られてた。全てはそこから始まったようなものなのに。そうなんだ」
小さな声でそう言ったタツヤは、しばらく自分の手を見つめている。
「ねえ、タツヤ。1年前のこの日、やっぱりホームにいた?」
「いたよ。もちろん」
「もちろんって、即答ね」
「でも、さっき言ったように今日を最後にしようと思ってたんだ。50という区切りで」
「じゃあ、ギリギリセーフ、で、少しは許してくれる?」
タツヤは、もう一度わたしを見て、少し笑った。
「最初から怒ってなんてないよ。かごめが、許す、という言葉を聞きたいんなら、何度でも伝えるよ。もう、とっくに許してるよ、かごめ。僕らも時間かかっちゃったけど、肩の荷を降ろしていいよ、かごめ」
かごめは、もう一度大きく両手を広げ、僕に身を任す。僕もかごめに身を任すように、ふたり抱き合っている。
「駅のホームで抱き合うふたり。きっと、クリスマスあたりが似合うんだろうけど、真反対の夏至間近、というのが、ちょっと残念だね」
と、僕が抱き合ったまま言うと、
「盆と正月が一緒に来たくらいうれしい。それも34回分の」
と、高校生のときの声色のまま、かごめがうれしそうにこたえる。
僕らは顔を見合わせる。
「盆と正月。お小遣いをもらってたあの時から、今はお小遣いをあげる方になったけどね。そうか、大人になるって、お小遣いをあげるってことかも」
僕らは、けらけらと一緒に笑う。
「そうね。そんなわかりやすいことに、わたしたち悩んでたんだ」
「今となってはね」
「そう、今となっては。あぁ、今日、あなたに会えて、再会できて、よかった」
「僕もよかった。この日のこの時のために、僕は毎年、このホームの移り変わりをみていたのかもしれない。だったら、それでいい。充分いい。だけど、」
「だけど、?」
「ホームの立ち食いそばを、さつきさんと一緒に食べられないのが残念だ」
「立ち食いそば?さつきと一緒に?」
「夜にでも、さつきさんに聞いてみて。大した話じゃないけど」
「ふーん、ふたりだけの話ってわけ?女子高生をそば一杯で誘惑しちゃって、それ、犯罪よ」
「誘惑だなんて、なに親子で同じこといってるんだか」
「あれ、そうなの。そんなところも似てくるんだ、親子って。わたし、周りから見たらどんなところがお母さんと似てるんだろう」
「残念ながら、僕はかごめのお母さんと面識ないからね。それは、ご主人に聞いてみるのがいいと思うよ」
「そうか。それが、月日を重ねた、ってことね。もう、語り合うだけでは補えない、そんな時間が流れちゃってる。34年。でも、でもね、34年前のあの時のわたしたちの気持ちって、間違ってないよね?」
「間違ってないよ。今でも間違ってないと思ってる。一緒にいたいひとと、一緒にいたい。その気持ちにいいも悪いもない」
「さつきを見てて思うの。あるとき彼女が、あの時のわたしのように、こそこそと何か準備してたら、どうするだろうかって。まあ、彼女には、わたしたちの話をしてるから、ちゃんと相談してくれるとは思うんだけど、それでも、ね。抑え難い衝動、気持ち、って、わたしも経験してるし、わたしに似てるんなら、なおさら、そんな事を考えるのよ」
「そうだな。その相手がうちの息子なら、ちょっとしたドラマかな」
「昭和のね」
「昭和。そうだな、もしさつきさんがこそこそしてたら、携帯電話だけは忘れずにいつも持ってなさい、何かある前に、おかあさんに電話するのよ、くらいじゃないか?出来ることといったら。携帯、おそるべし、だね」
タツヤが差し出した右手には、ミルキーがある。
「これ、ミルキーじゃない」
「よく一緒に食べてたよね」
「食べてた。海岸の防波堤にすわってね。最初はどっちがミルキー、持ってきたんだっけ?」
「かごめだよ。僕は小学校以来、久しぶりにミルキー食べたから覚えてるよ。それ以来、なにかとミルキー食べてる。日本中の50才のおっさんの中で、きっと僕が一番ミルキー食べてる。健康診断の血液検査で、大変です、あなた血液がミルキーですよ、って言われるんじゃないかと、毎年ヒヤヒヤしてるよ」
「もう、あなたの話は、とどまることを知らない、ってヤツね。ミルキー、いつも持ってるの?」
「大丈夫、34年前のじゃないから。これは今朝、駅の売店で買ったんだ。なくならないよう、しょっちゅう補充してる。口にいれる度に、かごめとの海岸を思い出す。いつか、かごめに会ったら、また一緒に食べたいと思ってね」
「タツヤ」
「指輪じゃなくて、ごめんね」
「もう、すぐはぐらかす」
「それも、さつきさんにも言われたな。僕は成長してないんだね、きっと。小遣い渡す方になっても」
「世界中の愛情表現が、指輪じゃなくて、全部、ミルキーになっちゃえばいいのに」
「でも、それじゃ、食べたらなくなっちゃうよ」
「大丈夫よ。星の王子さまのキツネさんが言ってたもの。大切なものは目で見えない、こころで見ないとわからないって」
完
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