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文脈の話

僕は日本語が好きだ。

テレビに出演している人
アニメ・ドラマ
小説
映画監督
俳優や女優

それらの創作物や人間で
「文法的に正しい言葉遣い」を
口語で行っている人を見たのは、
ネジロウの社長である道脇裕さんだけである。

道脇さんの言葉の使い方を見て
聞いて、どれだけ感動し喜びに震えたか
正確に人に伝えるのはとても難しい。


Xは言葉を、日本語を使いこなすツールだから
正しい日本語を使いながらユーモラスな投稿をしている方を
たくんさん見かけることができる。
そういうのがとても好ましい。


逆に日本語を、
そこまで間違っているわけではないんだけど
うわべだけ取り繕って使っている人も多くて、
苛々したいときはその方たちの投稿を探すこともある。


僕は定期的に怒らないとやってられない性分なので
そうするのだが、夫からすると意味不明らしい。

別段、怒ったからって苛々したからって
投稿主さんに何かをするなんてことはない。

ただただ、
「こいつの言葉の使い方はめっちゃいけてないのに
いけている振りをしてて周囲からも認められててむかつく」
と怒りのエネルギーを胸の中で焚き上げる。


そうして湧いた怒りのエネルギーを
ゴルフの練習だったり
小説だったり
絵だったりにぶつける。

これぞ永久機関と言えるだろう。


日本語の使い方が上手ではない・汚い人は
偏差値が足りていないとかそういうことよりも、
文脈への理解と読解が足りていないように思う。

ここでいう文脈は
前後の自身の発言だけではなく、
単語ひとつひとつが持つ歴史的背景も含んでいる。

例えばGoogle辞書で引いてみると
さほどネガティブな意味は載っていない単語や漢字
というのがあると思う。

だけど実際
日本語をよく知っている人たちの間では
その単語や漢字は
あまり良くないイメージのあるときに使用するもの
という不文律があることがほとんどといって良いだろう。

文字や言葉というのは文化だから
当然成り立ちや背景という
面倒くさくも美しい慣習が存在する。


不文律を知らずに
「なんかカッコイイあたし・おれ」
としてあまり美しくない言葉を
使っている方が増えてきている気がする。

ソーシャルメディアを見ていると
日本ネイティブの30代とかよりも
海外ネイティブで日本に住んでいる人
海外経験があり日本に住んでいる人
とかの方が
日本語への理解や読解にリスペクトがある様子で
聞いていてとても心地よい言葉の使い方をしてくれるので
驚き、思いがけず嬉しくなることが多い。


美しい日本語でなくとも
不文律を無視しても
会話は出来るし
人間関係を築くこともできる。

人間というのはエネルギーを
可能性をもっているから
善を心がけずとも生きて成功できるものだ。


正しく
美しい
不文律を、慣習を理解した
言葉の使い方をしたとて
意識して続けたとて

お金持ちになれるわけでも
痩せるわけでもない。

だからこそ廃れていくのだろう。



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