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愛されたから愛したのではない。ただ、愛したのだ。

これは某死にゲーの
あるキャラクターの描写である。


僕はこの言葉が美しくて大好きだ。


この一文を読んだとき
あまりの美しさと
含んでいる悲しさに涙しそうになった。


僕は父親が不倫の末家を棄て、
結果母親が精神的に狂ったという
アクティブな家庭で育った。


その上で僕には
非定型発達の特性も強くあったので
母の感じる育てにくさは格別だったと思う。


母が僕を愛してくれなかったのは残念だし、
今でも僕の心に残る傷ではある。

ただ、今にして思えば
心から愛する夫を失い、
育てにくい娘が手元に残るという状況は
精神的に脆弱性を抱えた母からしたら
かなり厳しい状況だったろうと思う。


冒頭に出した某死にゲーの
レナ○と○ニの関係性は
他人事とは思えない。

僕ももし母が
精神を病みながらでも僕を愛してくれたら
おそらくラ○のように思って
行動しただろうと思う。


現在、僕は
母をはじめとしたきょうだいたちは
僕から遠くにいたほうが
心穏やかでいられるらしいと理解したので、
特段嫌な意味とかそういうのではなく
距離を保つようにしている。

最後に会ったのは
十年以上前になると思う。

ときどきさみしいと感じるが
それは母や家族に対してでは無く、
ついぞ得ることのできなかった
母性に対しての
寂寥と喪失感だと思う。


母を狂わせ
僕への虐待を許した父親が、
今では僕の唯一の肉親だと感じている
(他の肉親も存命だが
絆を感じられるという意味である)。


僕はあらゆる意味で
父のことを娘として愛しく思っている。


父はクソ野郎だし
償うことの難しい罪を犯したかもしれない。


それでも、父は僕にとってのヒーローで、
困っているとき・泣きべそをかいているとき
絶対に手をさしのべて助けてくれる存在なのだ。


僕が父のことをそのように慕っているのは
父が僕を娘として愛してくれたから、
というのも大きいのかもしれない。

家族の中で、たしかに父は
昔から僕には絆を感じてくれている様子だった。


そういう意味では

愛されたから愛したのはでない。
ただ愛したのだ、
という言葉を実現することの
恐ろしいほどの尊さに
ハッとさせられてしまう。


愛され、愛を返すこと
その形も健全で
だからこそありふれて尊く
たやすくもある。


だが相手が自身を愛しているか否か関係なく
ただ愛を抱いて注ぐという行為には
純粋な美しさだけが在る。


僕はそういう風に
美しく、強く生きられるだろうか。

昨日は、一昨日はどうだったろうか。
明日、いや一分一秒先はどうだろうか。


考えているとめまいがするほど道のりが遠いが

さりとて
考えずに歩くよりはずっといい。

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