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September 11

SNSで下記のポストを拝見し、アメリカで同時多発テロ事件が起きた日のことを思い出しました。

短期の語学留学でカリフォルニアに滞在している最中のことでした。留学期間のちょうど半分、2週間がたったところでした。

そのときお世話になっていたホストファミリーのおうちにはテレビがなく、太平洋時間の早朝に起きた事件のことを知らないまま語学学校に出席しました。当時はスマホやノート型パソコンも持っていなかったので、放課後に学校のデスクトップでネットサーフィンをして初めて、大変なことがあったと知りました。家族や友人から心配するメールが届いていました。なかには「すぐに帰ってきたほうがいい」という人もいましたが、発生直後はカリフォルニアでも空港自体が閉鎖されていました。「このまま帰国できなくなるんじゃないか」と心配になり、学校のカウンセラーさんに相談に行くと、「いますぐには飛行機は飛ばないけど、2週間後なら大丈夫なはず。落ち着いて」としっかり目を見て話してくれたことを覚えています。自分の国が大変なことになっているにもかかわらず、海外から来た英語のつたない学生に真摯に向きあっていただいたことに、いまも感謝しています。

翌日以降も学校は通常通り開かれましたが、授業のなかで事件のことを取り上げる先生もいました。直立不動で右手を胸の上に当てる星条旗への向かい方や国歌の歌詞が載ったプリントが配られ、みんなで斉唱しました。そのような文脈で日の丸を見つめたり『君が代』を歌ったりした経験はなかったので、ひとの「愛国心」が生まれて初めて目前に現れたように感じ、少し戸惑いを覚えました。

学校やホストファミリーに大きな変化がなかった一方、街の様子は変わりました。とにかく、静かでした。人通りが消え、ひっそりとしていました。愛国を叫ぶ声や怒声を聞くこともありませんでした。ただ、住宅の庭先など至るところに半旗が掲げられました。アンテナの先に小さな星条旗をつけている自動車を何台も見ました。カリフォルニアの人々が静かに静かに、被害に遭われた方々のことを思い、哀悼の意をささげていることを肌で感じました。

ホストファミリーと事件について話すことはほとんどありませんでした。小さな息子さんがいたので、アメリカへの憎悪が目に見える形で突然つきつけられた事件のことをその子のまえで口にするのがはばかられた部分もありました。そのような静かな空気と裏腹に、まだ容疑者もはっきりとわかっていなかった時点で、ブッシュ大統領が報復するという方針を発表しました。その直後、日本にいた家族から「大統領の方針を強く支持するとホストファミリーに伝えなさい」というメールが来ました。混沌とした状況のなか、憎悪を突き返すような姿勢を支持することは、私にはできませんでした。しかも、それをホストファミリーに伝えるなんて。日本では当日の夜も翌朝も、それ以降も、ニュース番組などで発生時の衝撃的な映像が繰り返し流れていたことを、帰国してから知りました。日本にいた家族からすると、当時のアメリカは大混乱と悲しみに陥っているように見え、そのなかで私ができるだけ安全に帰国日まで過ごすための方法としてあのように伝えてきたのだと思います。でも、カリフォルニアにいた私には、そんな言葉を口にすることのほうが非日常に思えました。カリフォルニアの小さな街は、本当に静かでした。メディアを通して見えるものは必ずしもその地で見えるものと同じではないのだと痛感しました。そして、「国は国、ひとはひと」だということも。

語学留学をした翌々年、大学でのアメリカ関連の授業のなかで、911についてプレゼンする機会がありました。私の発表のあと、「大統領が報復すると言ったのはイラクじゃなかった?」という質問が出ました。少なくともそのクラスメイトのなかでは、アフガニスタンとイラクがごっちゃになっていたのです。アメリカ出身の教授が、「最初に空爆を行ったのはアフガニスタン。イラク戦争はその後だ」と補足してくれました。

冒頭のポストを見たとき、その授業のことがぱっと頭によみがえりました。いる場所によって情報が違って見えること、必ずしも正しく伝わらないこと。そもそも正しいとは何なのか。23年たってもあのカリフォルニアの静けさだけは、私にとってたしかなものとして残っています。

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