鎮魂歌、そしてふたつの世界
「街とその不確かな壁」を読了した。
一読後、村上春樹のセンチメンタリズムを愛するわたしの幼稚な理解力では、一抹の寂しさを感じてしまった。そしてすぐに読み返した。
ノートに書き起こし、想起した。
そして泣いた。やっと少し理解出来た気がして。
直子。
村上春樹作品におけるミューズとして「風の歌を聴け」「ノルウェイの森」など様々な作品に登場するキャラクターである。
今回の作品にも直子を思わせる少女が登場する。
家族を喪失し、心に傷を持つ少女。
彼女が語る架空の「街」
それがこの物語のもうひとつの世界になる。
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」における「世界の終り」である。
その街は少女とぼくの脳内にある。
その街に暮らす人々には「影(暗い心)」がない。
その街には、時間も音楽もない。
ぼくはその街で「夢読み」という仕事をしている。それは人々の心の残響を癒す仕事なのだという。
ここまでは「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」とほとんど相違ない。
今回の作品が特殊なのは、次の点である。
「街」とわたしたちの生きる現実
どちらが本物なのか、という問いの答え。
壁の中で暮らす人たちと
切り離された影、どちらが本体なのか
という問いについての答えである。
「街」は脳内にあるもの、架空のもの。
壁の中で暮らす人たちは
現実から旅立った人たち。
そのような解釈が「世界の終り」における
緩やかな説明だったように思う。
それが今回明確に変わった。
壁はわたしたちの意識である。
その中にいる人たちは、ある意味でわたしたちの魂とも言える。
彼らがいるから、わたしたちがいる。
わたしたちがいるから、彼らがいる。
そして「この世界」
こちら側の世界には、感情がある。
わたしたちは彼らの影で、そして彼らはわたしたちの影であるのだ。
ふたつの世界のどちらも裏でも表でもない。
どちらもなければ、人は生きていけない。
直子に似た少女は
「わたしたちは皆誰かの影にすぎないのよ」と話した。
直子を忘れられないわたしたちのために
彼女はそこに居てくれたのかもしれなかった。
「ぼく」は少女に
やっと「さよなら」を言えたのだ。
「また明日」ではなく、「さよなら」を。
「あなたの分身の存在を信じてください」
夢読みを継承した少年は言った。
「ぼく」はこの作品で
誰かを求め、待ち続ける場所から
自分自身を信じ、過去を許す場所へと
移行したのだ。
「あらゆる情景だ。
私が大切にまもっていたすべての情景だ。
その中には広大な海に降りしきる雨の光景も含まれていた」
広大な海に降りしきる雨の光景。
直子。
キズキ(同じく「ノルウェイの森」で失くした登場人物)
つかまえようとしても、最後までこぼれ落ちていってしまったもの。
そこにある慟哭を、春樹さんは
真に穏やかに締めくくった。
「なにより深く、どこまでも柔らかな暗闇」
その暗闇の中ですべての魂は寄り添っている。
暗闇の中から、新しい思想が姿をあらわすことだろう。
まごうことなき傑作である。