見出し画像

生かされて生きている

ほんとうに辛いなあと思うとき、いつも手にする本がある。
水俣病闘争を戦った緒方正人さんの「チッソは私であった」という本だ。
自分の粗末な人生と、緒方さんの壮絶な道のりを比べあわせるなど愚の骨頂だと思う。
思うけれども、この本を読むといつも自然に涙が出るのだ。そして歩き出すことが出来る。

緒方さんは水俣病を作り出した「チッソ」という会社と裁判で戦っている。相手が加害者で、緒方さんは被害者である。
でも長い戦いの中で、緒方さんは変化していく。
そのことを「狂っていく」と表現している。
テレビを壊し車を壊し、漁船に乗っては魚に海に話しかける。
文明的なすべてを憎み怒り、草や虫と話す。
そんな中で気づいたのだという。
「自分もまた人間である」ということに。
「チッソと同じ人間である」ということに。

公害問題で人間は裁判を起こせる。
でも虫は魚は鳥は猫は、海は大気は、訴える言葉を持たない。
そのことに気づいたのだという。

緒方さんは戦いと異なる運動をはじめるようになる。それは「祈り」を基本とするものだった。

なんという優しさだろう。
なんという深い思いだろう。

この本を読んで、わたしはいつも思うのだ。
敵はわたしだと。
人間の姿をした敵がこの目に映っていても、
制度としての敵がわたしを阻んでいたとしても、
それでもほんとうの敵はわたしだけなのだ。

わたし以外のすべての命に、祝福を。
様々の模様を織りなす友人たちに、愛を。

そしてわたしたちは、わたしたちの敵も含めて、存分に生き方を模索するのだ。
草と魚と海に、問いかけながら。
どこまでも自由に。

魂うつれ。
良き魂よ、わたしに力を貸して下さい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?