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客席に

自分のために芝居をやるのだ。
強くなるのだ、なんて言ってきて。
そんなのは嘘だった。
ほんとうはそうじゃない。

そう言わないと、潰れてしまいそうだった。
壊れてしまいそうだったから。

ほんとうは違う。
全然違っていた。

あの日、福島で
震災の後の福島で
泣きながら芝居をした日。
お客様がオープニングから
ずっと泣いているのが
はっきりと見えていた
あの体育館で。

わたしは
お客様を捨てたのだ。

福島で公演が出来て
だから辞められる。
これでいいと語った。
十分やった。
十分自身をすり減らした、と。

ほんとうは違った。
ほんとうは自分を許せなかった。
弱い自分。
持ちこたえられない自分。
頑張れない自分。
芝居が恐くて
たまらなくなってしまった
使い物にならない自分のことが
あの日ほど
許せなかったことはない。

そんな私を
求めてくれたお客様のことを
一日たりとも
忘れたことはない。

お客様は
大衆と呼ばれることもあった。
お客様は
時に優しく
時には恐ろしい魔物であった。
お客様は
味方であり
時には太刀打ちできない
強靭な敵でもあった。

お客様を恐れ
愛し
憧れ
傷つき
それでも求めた。

わたしはその恐怖の中で
ひとりの人間として
お客様に
育てて頂いたのだ。

だから。
芝居を、自分のためになんてやらない。
わたしにはそんな感覚はない。

恐くて仕方ない。
ここは戦場なのだ。
ほんとうの戦場でないだけ、マシだ。
それでも思想闘争として
同じだけ恐怖することは
悪いことではない。

1人前にものを考える人間になりたいのなら
その恐怖は
身の内に取り込むべきものだ。

ずっと逃げていたものに。
向き合おうと思うのだ。
わたしの背中にずっと…長い間…

被爆者の方々と手を繋いで、流した涙。
沖縄、辺野古。皆で傷つきながら話したこと。
戦場慰安婦を演じるために
体に再現した様々のおぞましい傷。

言葉も傷も涙も
客席に座っている。
そして、わたしをずっと
待ってくれていた。
この十年。
芝居を離れてからずっと
背中にその気配を感じながら
わたしは決して振り向かなかった。

被爆者の方々が恐ろしいか。
沖縄戦で亡くなった方々が恐ろしいか。
戦場で辱められた娘さんたちが恐ろしいか。

おまえはまだ
そんなに弱いのか。

彼らが何を待っていると思う。
優れることか。
完璧であることか。
まだそれが何かわからないのか。

わたしは…
わたしは…
舞台に、立ちたい。
今、もう一度板の上で
彼らに会いたい。
あの頃のように、話がしたい。

今日死ぬとしても
そうするだろう。
それだけはずっと変わらない。
今日死ぬのなら
舞台の上にいたい。
今日死ぬのなら
最後に演じていたい。

客席にいる生きているお客様も
亡くなったお客様も
わたしは愛している。
ずっと前から愛していた。
これからもずっと愛している。

恐くてもいい。
それでもいい。
震えても、死にそうでも
間違えても、台無しでもかまわない。

わたしもあなたも生きていて
(時には死んでいても)
やっと会えたから
話そう。
それが劇場という場所だったと
思い出したのだ。





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